秩父産のウイスキーを実現した快挙を取り上げます。写真はイメージ(写真:Roxiller / PIXTA)

消費者が単に商品やサービスを受け取る立場としてだけでなく、そのブランドを自らがプレーヤーとなり応援するケースも増えています。『応援される会社 熱いファンがつく仕組みづくり』の中から埼玉県秩父市の「ベンチャーウイスキー」社の事例を取り上げます。

世界で最も権威のあるウイスキー品評会のシングルカスクシングルモルト・ウイスキー部門で、「ベンチャーウイスキー」社の「イチローズモルト 秩父ウイスキー祭2017」が世界最高賞を初受賞した。蒸留所のある埼玉県秩父市は、同社・肥土(あくと)伊知郎社長の生まれ故郷であり、質の良い水と気候の寒暖差という絶好の環境を備えている。「秩父産のウイスキーを飲みたい」と語り続けた彼の夢がもたらした快挙であった。

父の経営していた造り酒屋が他社に譲渡され、残された400樽分の原酒を元手に、肥土氏は最初のイチローズモルトを造り上げる。

メルシャン(軽井沢)やスコットランドの蒸留所で修業・研究を重ねていたため、商品の品質には絶対の自信はあったが、やはり知名度がない。そこでバー巡りという地道な営業活動を開始する。自分の造ったウイスキーを試飲してもらいながら、バーテンダーや来店客に「日本産」の夢を語る日々が続いた。2年間で延べ2000軒を巡ることで、横のつながりが強いウイスキー愛好家の間では一種の有名人にもなる。クチコミで小売店を紹介してもらうなどして、最終的に600本の商品を売り切ることに成功した。

熟成期間中、売る商品がない

2008年にようやく製造免許が下りるが、ウイスキーは最低3年間の熟成期間が必要なので当面売る商品がない。当時ウイスキーといえば完全に右肩下がりの市場にあり、金融機関も開業資金を貸し渋る。そこで秩父に蒸留所を造る際には、バー巡りで知り合ったオーナーバーテンダーたちに一樽38万円で樽の先行販売を行い、資金を集めた。モルトドリームカスクという手法である。

「そのウイスキーができたら、ウチでも取り扱いますよ。頑張ってください」というバーテンダーたちの声は単なる社交辞令ではなく、肥土氏の造ったテイストと、その熱意に対する真の賛辞であったのだ。

今日、日本各地にクラフトディスティラリー(蒸留所)が続々と誕生、日本のウイスキーは新時代を迎えている。その先鋒を果たしたのは「秩父」であり、肥土氏の掲げた夢なのであった。

熱いファンに支えられる企業・ブランドの事例を多数眺めてきた。これらを「ユニークな会社」「特殊事情を持つ」「経営者が突出している」として、例外的な位置づけでとらえるのは簡単だ。しかし、どこか一点でも自社との共通項を見いだすことができれば、そこを突破口として何かが変わるはずである。「ウチでは無理」な理由探しをするのではなく、「ウチでもできる」ところから、ぜひ参考にしていただきたい。

熱い情熱の伝播が生んだ日本産ウイスキー
ベンチャーウイスキー・吉川由美さん(ブランドアンバサダー)

長期低迷の続いた日本のウイスキー市場がV字回復を果たしている。そのきっかけをつくったのは、ハイボールの流行やテレビドラマだけではない。各地の小さな蒸留所が個性ある味を生み出し、日本産ウイスキーを世界水準にまで引き上げた結果の賜物である。

ブランドアンバサダーにインタビュー

その草分け的存在が、ベンチャーウイスキーの肥土伊知郎氏。クラフトマンとしての経験や研究に加え、2000軒ものバーで夢を語り続ける地道な努力が実を結び、開業時には多数のオーナーバーテンダーたちの支援が集まった。同社でブランドアンバサダーとして、広報活動を中心に活躍する吉川由美さんに、インタビューを試みた。

――販売促進については、どのような考え方で臨まれていますか?

当社では営業活動と広告宣伝は一切行っておりません。販促策といえば、飲食店や以前からお世話になっている直取引の酒屋さんに出すダイレクトメールくらいです。マスコミ取材は受けますが、有料パブリシティはしておりません。現時点では、蒸留所に見学に来られるプロのお客様に直接、当社の姿勢やビジョンをお伝えすることが、営業の軸となっています。最近は海外からもたくさんいらしてくれます。

一般の方には、ウイスキー祭などのイベントやセミナーに当社の造り手が出向き、直接説明する形をとっています。ウイスキーには直接伝えるべき、語り合うべき深い世界があるからこそ、こうしたスタイルが大切です。シングルモルトウイスキーには、蒸留所や樽一つひとつの個性を楽しむような文化があります。しかし規格品に慣れた方からすると、「品質にばらつきがある」とみなされかねません。ですから、私たちが直接丁寧に説明していく必要があるのです。

当社の十数人の従業員は、平均年齢30歳程度ですが、本物のウイスキー好きばかりです。夜な夜な秩父のバーに給料を注ぎ込みながら、お店の方に造り手の思いを伝える「仕込み担当兼営業担当」をしています。クチコミを通じて、新たな語り部をつくっていくのが当社のスタイルです。

ブランディングも、特に意識して行ってはおりません。ただ、ロゴマークやパッケージデザインは好評をいただいております。このデザインは、バーでたまたま同席していたデザイナーさんが肥土の話を聞いて共鳴し、そんな面白いウイスキーがあるならぜひ、ということで意気投合して協力してくれた経緯があります。酒場というコミュニティから新しい価値が生まれる、こういうところがベンチャーウイスキーらしさですね。

――吉川さん自身も顧客の立場から、ベンチャーウイスキーに転身されたそうですね。

私は2005年、帝国ホテルでバーテンダーをしていたころ、初めてイチローズモルトの存在を知りました。味もそうなのですが、肥土の人間性やその夢に共感し、すぐにブランドのファンになってしまいました。さらにその後私が渡英し、スコットランドでバーテンダーをしていた際にまたしても、肥土が売り込みに来たのです(笑)。ウイスキーを追い続けていく人生の中で、ご縁があればまた出会うだろうな、くらいに思っていましたけれども、こうした出会いがきっかけで肥土とともに仕事をすることになりました。現在は秩父に腰を据え、ブランドアンバサダーとして仕事をさせていただいております。

――地元商店の方にも話を伺ってきたのですが、皆さんベンチャーウイスキーを熱く応援していました。

当社では、ウイスキーにおける「メイド・イン秩父」を追求しようと、商品全体の10〜15%ではありますが、秩父産の大麦を使用しています。農林振興センターと協力し、シングルモルトに合う麦の品種改良にも努めているところです。また、発酵槽の材料であるミズナラも、地元秩父産のものを使用しようと試みている段階です。

当社が秩父に蒸留所を設置したのは、肥土の出身地ということもありますが、水や自然環境が良く、気候の寒暖差がウイスキーの熟成に向いているからです。

秩父蒸留所で造られた30年モノをファンの方と一緒に飲む、というのが私たちの夢です。秩父には温かい人が多くて、私たちが地元のバーでお酒を飲んでいると、「頑張れ!」と声をかけられる機会が増えました。2017年には市民栄誉賞まで頂戴いたしました。やはり地域の応援というものが、私たちの気持ちを支えていると考えております。

プロのバーテンダーを支援者に

――今後の課題は何でしょうか?


現在、おかげさまで売れ行きも良く、そのため当社の商品はどこへ行っても品薄で、関係各位にご迷惑をおかけしています。当社の製品にはこだわりのある熱いファンが多いということも心得ておりますが、手に入れたくても買えない状況が続けば、「like」が「hate」に転化する危険性があります。好きだった相手を憎む、という状況は本当に怖いですよね。

ですから、現在の品質を保ったまま生産量を増やしていくことが、当社の1つの経営課題ではないかと思っています。

ベンチャーウイスキー・肥土伊知郎氏の夢と情熱は、プロのバーテンダーたちを支援者に変えてしまった。3年先の樽の先行販売もすごい話だが、吉川さんのようなキャリアを持つ方を広報担当にリクルートできたのは、それを上回る大きな実績ではないだろうか。