大学が積極的に技術革新を取り入れれば…(写真:yasu/PIXTA)

インターネット時代が幕を開けた1990年代初頭、大学の生産性は、爆発的な向上を迎えるタイミングがまさに訪れようとしているかに見えた。だが、そのタイミングが訪れることはなかった。それどころか、大学教育は氷河のようにゆっくりとしたペースでしか進化していない。

生産性向上において中心的な役割を果たしているのが教育である。そうした教育の役割を考えるなら、欧米の硬直化した経済を再び活性化するためには、大学教育をどう変革するかに焦点を合わせるべきではないだろうか。

なぜ音楽やスポーツのようにできないのか

たとえば、新入生のための微積分や経済学、米国史など聴講者数が500人を超す基礎科目について、米国中の大学がそれぞれ別個に講義を行っている。しかし、これは理にかなっているのだろうか。たまにはすばらしい講義が行われることもある。だが、それが例外であることは米国の大学に通ったことがある人ならご存じだろう。

なぜ、世界トップクラスの教授や講師による質の高い録画講義を、さまざまな大学の学生が聴講できるようにしないのか。音楽やスポーツ、エンターテインメントの世界では、それが普通だ。教科書については、限られた数の著者が市場の大部分を占拠しつつもしのぎを削っている。録画講義もこれと同様に競争的な市場となりうる。

録画講義へのシフトは単なる一例にすぎない。教育に特化したソフトウエアやアプリの開発余地は無限にある。教員が学生に対して最も建設的なフィードバックを行えるように、個々の学生が抱える課題を把握するのを支援するソフトがすでに開発されつつある。とはいえ、そうした取り組みはまだごく小規模にとどまっているのが実情だ。

変化が遅々として進まないのは、1つには、大学教育は人間同士による深いやり取りによって行われるものであり、生身の教師が不可欠だからだろう。そうはいっても、指導時間の大部分は全米100位クラスの凡庸な講義にではなく、学生を能動的な学びへと巻き込んでいくような討論や演習に振り向けるべきだ。

もちろん、伝統的な大学の外では、目を見張るような技術革新が起きている。たとえば、動画学習サイトの「カーンアカデミー」はビデオ講義の宝庫で、多くのテーマを扱っている。特に優れているのが基礎数学の講座だ。学習の進んだ高校生が主なターゲットとはいえ、大学生にとって(ひいては誰にとっても)役立つコンテンツを豊富に取りそろえている。

大学教授は技術革新を恐れている

「クラッシュコース」や「TED-Ed」といったすばらしい学習サイトも存在する。新たな手法を用いてコースの変革を試みる大学教授もいるにはいるが、ほかの教授陣からの抵抗はすさまじい。新たな教育市場の発展は阻害され、変化に必要な投資をすることすらままならない。

はっきり言おう。大学の教員もほかの人たちと同様に、技術によって職が脅かされることを望んではいないのだ。しかも、大学の理事会に対して教授会が持つ権限は絶大である。どのような学長であれ、有無を言わせぬ態度を教授会に取ったりすれば、誰よりも先に学長の首が飛ぶほどだ。

AI(人工知能)など現在起きている技術進歩には目覚ましいものがある。大学はわれわれの社会の未来を形づくるうえで重要な役割を担ってきたが、自己変革することなく今後20年間、今までの役割を維持できるとは到底思えない。

教育の技術革新は大学の雇用に影響を与えるだろうが、経済全体が受け取る恩恵は大きい。象牙の塔が混乱すればするほど経済は強くなれるのかもしれない。