玉木正之のスポーツ内憂内患「政治利用が必然の五輪を何につないでいくか」

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「平昌(ピョンチャン)オリンピック」でなく「平壌(ピョンヤン)オリンピック」と揶揄された「政治的オリンピック」が開催中だ。

 北朝鮮からは最高人民会議常任委員会委員長で党内序列2位と言われる金永南(キムヨンナム)氏を団長に、金正恩(キムジョンウン)氏の妹の党第1副部長である金与正(キムヨジョン)氏も韓国入りして開会式やレセプションに出席。日米を中心とした国連の北朝鮮への圧力が強まるなか、「作られた南北交流」が押し進められた。

 以前にも本欄で書いたことがあるが、オリンピックとは「反戦平和運動」であり、戦争が政治の延長であるのと同様、平和運動も政治運動にほかならない。

 従ってオリンピックが政治利用されるのは必然とも言える。過去にも独裁国家の独裁者(ヒトラー)と独裁政党(ナチス)による示威行為やユダヤ人差別の隠蔽、五輪開催中の核実験(東京大会での中国)、五輪開催のための反政府勢力大量虐殺(メキシコ大会)、人種隔離(アパルトヘイト)政策に反対するボイコット(モントリオール大会でのアフリカ諸国)、冷戦時代の東西諸国のボイコット合戦(モスクワ・ロス両大会)、パレスチナ武装ゲリラによるテロ(ミュンヘン大会)、五輪休戦(アテネ大会)明けの隣国侵攻(ロシアのグルジア侵攻)‥‥等々、細かく調べれば、オリンピック全大会が何らかの形で政治的だったとも言えるのだ。

 ただし冬季五輪は、夏の大会のように大都市で開かれるわけではなく、雪山のリゾート都市や観光都市で開催されることが多い。それだけに注目度が低く(政治的アピールの場としての利用価値が低く)、夏季五輪のようには政治的に利用されることがなかった。

 ところが今回は、分断国家での開催で、しかもその一方が世界でも珍しく生き残っている世襲の独裁者が支配する共産主義国家で、核ミサイル戦力の保持を誇示しているため、それに反対するアメリカと一触即発の状態にあるなかでの冬季五輪開催となった。

 そんなオリンピックが、政治的に利用されなく平穏に終わるわけがない、と考えるのが当然だろう。

 IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長は、五輪期間中の南北融和を歓迎した。それは平和運動の推進という五輪精神(オリンピズム)からは当然のこととも言え、開会式の入場行進における南北統一旗の使用も超法規的に認めることとなった(IOCは各NOCが届け出た旗以外の使用を禁止。NOCの存在しない組織の「南北統一旗」は超法規的承認で、過去の例としては東西分裂時代のドイツの統一旗やオーストラリア原住民のアボリジニの国旗がある)。

 そのようなIOCの平和推進志向から生まれた東西ドイツ統一チーム(56年メルボルンから64年東京大会まで夏冬6大会)は、やがて本当の東西ドイツの統一につながった。またパレスチナ国は、アメリカ、日本、西欧諸国など、国連加盟193カ国のうち57カ国が国家として未承認だが、96年のアトランタ五輪以来、各夏季大会にパレスチナ旗で参加。世界中の人がパレスチナ国の存在を認識するようになった。

 南北朝鮮の真の統一となると相当にハードルは高そうだ。が、64年の東京五輪が幕を閉じた翌年、監督として最高のスポーツ映画とも言える映画「東京オリンピック」を完成させた市川崑氏は、その作品の最後を次のような言葉で締めた。

《人類は4年ごとに夢を見る。この創られた平和を夢で終わらせていいのであろうか》

 かつての東西ドイツ合同チームも「絵空事」と言われていた。平昌大会が閉幕したあと、南北の朝鮮半島情勢と米朝関係は、何事もなかったように「敵対関係」に戻るだけなのだろうか?

玉木正之