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近現代史で「最も偉大なリーダー」と呼ばれるウィンストン・チャーチル。その理由は彼だけがナチスドイツの脅威を見抜いていたからだ。チャーチルの驚異的な記憶力、超人的な仕事ぶりは『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)で丹念に描かれている。映画『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』の公開(3月30日より)にあわせて、本書の一部を特別公開しよう――。

※本稿は、ボリス・ジョンソン(著)、石塚雅彦+小林恭子(訳)『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)の第12章の一部を再編集したものです。

■アイデアだけの「興行主」ではない

おそらく、チャーチルを評価するに当たって最大の間違いは、彼を声量豊かな、表看板だけの名士、(葉巻をくわえたロナルド・レーガンのような)アイデアだけのたんなる興行主と見なすことだろう。レーガンはあるとき、自分の生き方について次のように言って有名になった。「大仕事をしても死ぬことはないと人々は言う。しかし私が思うに、なぜその危険をおかすのか?」

これはチャーチルの教訓とはまったく違った。本を書くという仕事にしても、彼は全部で31冊も書いた。その14冊は書き下ろしであって、どこかに発表したものの寄せ集めではない。英国議会討議録に収録されている彼の無数の登録事項を数えてみるとよい。64年間にわたり、ほぼ切れ目なく議員として毎月何十もの演説、発言、質問をしているのである。公表された演説だけでも18巻、8700ページにのぼる。記録や書簡は100万点の文書として2500箱になる。

財務大臣としては5回予算案を提出した。そして3時間も4時間も演説した(近年の財務大臣は1時間も演説しない)。そして彼にはスピーチライターというものがいなかった。

すべてが自分の言葉だったのである。そして口述をしたり、物を書いたり、人と話したり、絵を描いたり、レンガ積みをしたりする以外の時間、彼は読書によってさらなる知を吸収していた。

■ジュークボックスのように詩歌を暗記していた

彼は少なくとも5000冊の本を読んだ。とりわけ彼は詩歌を大量に暗記しており、人々はまるでジュークボックスのようだと言った。ボタンを押すと詩がとうとうと流れ出てきた。シャングリラ・ホテルにフランクリン・ルーズベルト夫妻とともに滞在していたとき、彼がエドワード・リアの滑稽詩を口にして、アメリカ大統領を感嘆させた。

そこでルーズベルトはジョン・グリーンリーフ・ホイッティアーによるアメリカの愛国詩「バーバラ・フリッチー」の有名な一節を引用した。「この白髪頭を撃たなければならないのなら撃ちなさい/でもあなたの国の旗は撃たないでと彼女は言った」。

ルーズベルト夫妻をさらに驚かせたのは、チャーチルがこの詩を初めから終わりまで朗誦したことである。これは南北戦争を題材にした特別にアメリカ的な詩で、チャーチルがハーロー校で習ったとはとても思えないからだ。彼がやすやすとそれをそらんじてみせたのは外交的に見事なことだった。「私と夫は困惑して顔を見合わせました」とエレノア・ルーズベルトは言った。「2人とも、多少はこの詩を思い出せましたが、全部はとても無理だったのです」。

英領インドの政治家で実業家のアーガー・ハーンも、チャーチルが11世紀のペルシャ詩人、オマル・ハイヤームから長い引用を始めたとき、同じような高揚する気分を味わった。この人物は私を感心させるためにこれを勉強したのだろうか? いやそうではない。たまたま頭に入っていたのだ。彼はこうした文学的な“珍味”を長年にわたり蓄積し、ため込んでいたのである。大量の詩篇がアルコールで洗われた脳の小川の中でそれらは完全に熟成した漬け物のようになっていて、チャーチルはどんなときにもそれを取りだして見せることができた。閣議ではマコーリーの『古代ローマ詞藻集』を、子供たちの前ではシェークスピアを暗誦した。齢80歳を超えても記録魔の官僚として知られるジョック・コルビルに向かって古代ギリシャの喜劇詩人アリストパネスの、誰も知らないような詩の一行をさらりと口にしたりした。

15分でも時間があったら、ユーチューブで1951年のチャーチルの党内政治演説の放送本番前の彼の姿を見てみるといい。本番前のカットされたテレビ映像で唯一残っている。スタッフが彼にセリフを繰り返させようと懸命になるなか、これでもかというほどの獰猛な表情でテレビカメラを睨みつけて座っている。そして苦痛を強いるプロデューサーたちについにしびれを切らせ、キリスト教の普及に関するギボンの長い一節を暗唱して仕返しをしたのである。

この天賦の記憶力はリーダーにとって重要である。チャーチルは頭脳に蓄積したこのデータのおかげで議論に勝ち、同僚たちを圧倒することができた。1913年、アスキス首相は恋愛の相手だったヴェネシアにこぼしている。3時間の閣議のうち2時間15分はチャーチルが話していると。チャーチルは難しい交渉に直面したとき、誰もが自然と頼りにする人物となった。人間的な魅力があって親しみやすかったことにもよるが、問題を深く把握していたので、策略と妥協にもたけていたのが主な理由である。彼はアイルランド分離、イスラエルの創立から1926年のゼネストにいたるまで、あらゆる交渉を処理した。チャーチルがこれら20世紀を形づくった出来事において中心的存在だった理由は、彼が舞台の中央に腕力でのし上がったからというよりも、周囲が彼にはそうするだけの力がある人間だと認めたからである。

■稲妻のひらめきのような創造性

チャーチルは数学的、経済的な頭脳の持ち主ではなかった。金本位制に復帰すべきかどうかの論争のときには、「このような非常にテクニカルな問題についての私の理解は限られている」と認めた(やはり財務大臣だった彼の父親も、こんな「小数点のようなもの」についてこぼした)。大勢の銀行家を相手に話をしたときは、「やつらはみなペルシャ語でしゃべっている」と苦情を言った。ただ、チャーチルのこうした発言は全面的に許されてしかるべきだ。それまでの100年間、銀行家自身でさえ自分たちが言わんとしていることを少しも理解していなかったからだ。

彼が持っていたのはスタミナ、パワー、どんなにうんざりするようなことからも逃げない強靭な精神力だった。「100馬力の精神力をもったウィンストン・チャーチルが来るぞ」。第一次世界大戦前、誰かがそう言った。第一次世界大戦前には100馬力といえば相当な力だった。

頭の回転が速く、優れた分析力があっても、特段のエネルギーも仕事への意欲もない人がいる。行動力があっても才能が限られている人もいる。ほとんどの人間は両方をほどほどには持っているが、チャーチルはこれらを大量に持っていた。驚異的なエネルギー、天才的な記憶力、鋭い分析力に加え、一番大事なものを最初に持ってくるように材料を仕分ける容赦ないジャーナリスト的能力があった。さらに、創造性をもたらす稲妻のひらめきが脳内にあった。

■「抑鬱症状」までも味方につける

父親に認められたいという渇望やある種の誇大妄想にみられるチャーチルの精神構造は、「忙しく働いていること」を必要としていた。精神的に、彼は怠けることができなかったのである。チャーチルの抑鬱症状、あるいは彼が「黒い犬」と呼んだものについては多くのことが語られてきた。ちょっとそのことが過大視されているという向きもある。

とはいえ、1930年代、公務から外れていたチャーチルはたしかに多少抑鬱状態にあった。しかし彼は大体においていわゆる「創造的循環」にうまく適応していた。すなわち、抑鬱状態→精力的活動→創造的活動→アルコールの力による高揚→抑鬱状態のサイクルを、誰よりも速く回転させ、膨大なアウトプットを生んだ。その姿はある意味で18世紀におけるイギリス文壇の大御所、サミュエル・ジョンソンにそっくりだった。自らを鞭打って前進させながら、自身に巨大な要求を突きつけたという意味において。彼はその心境をこう語っている。「私は今日は何も有用なことをしなかったと思いながら床に就くことがいやなのだ。歯を磨かずにベッドに入ってしまったような感じがする」。

チャーチルの態度には古風なところがあった。栄光と称賛に対する欲望と不名誉に対する恐れに駆られていたのである。しかしこの二面的な感情のなかには、キリスト教的な罪の意識が多分にあった。彼を突き動かす燃料が何から構成されていたにせよ、チャーチルのエンジンは政府の複雑な任務を遂行するためには完璧だった。彼は官僚組織の戦士であり、時には異常なほど詳細にこだわる人間だった。

財務省に在籍していたときには外務省の電報のコストのような細かいことに熱心に取り組んだ。1939年、海軍省に戻ったときには、個々の戦艦に支給されたフード付き防寒コートの数を調べ上げた。海軍の戦艦ではトランプでなくバックギャモンで遊ぶようにと決まって命令した。

■強靭な「事実掌握力」が困難な決断を可能にした

こうした疲れを知らないチャーチルのエネルギーは、1940年以降、欠くことのできないものとなっていた。彼は国の運命を選択していたのだ。カリスマ性と人格だけを頼りに、彼はイギリスが戦い続けなければならないと決断していた。といっても国民がそれでついてくるわけではない。国全体を自分の望む方向に引っ張らなくてはならなかった。滑走路上のジャンボジェットを牽引する力持ち、超大型タンカーの向きを変えようとするタグボート、そんな存在だった。ある側近がこう語っている。「沸き立つアイデア、提案を押し通す執念深さ、司令官たちへの鼓舞激励――これらは彼の燃え上がる爆発的なエネルギーの現れだった。それがなければ、軍のみならず文民も含めた巨大な戦争遂行機構を着実に前進させることも、あるいは度重なる挫折や困難を避けて通ることもできなかっただろう」。

チャーチルは自分が吸収した大量のデータを処理し、詳細を把握するのを助ける工場を必要とした。言うまでもなくそれが彼をして大きな絵を描ける人物になることを可能にしたのである。長く、みじめな戦争に国が滑り落ちていったとき、彼があれほど強靭だったのは、この男が事実を掌握していたからだ。彼はドイツについての現実を知っていたのであり、ナチスが世界にもたらした脅威を直感的に理解していた。

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ボリス・ジョンソン
イギリス外務大臣、英連邦大臣
1964年生まれ。イートン校、オックスフォード大学ベリオール・カレッジを卒業。1987年よりデイリー・テレグラフ紙記者、1994年からスペクテイター誌の政治コラムニストとして執筆、1999年より同誌の編集に携わる。2001〜2008年、イギリス議会下院議員(保守党)。2005年、影の内閣の高等教育大臣に就任。2008年から2016年5月まで2期にわたってロンドン市長を務める。2015年、再び下院議員として選出される。2016年より現職。本書のほかに、The Spirit of London, Have I Got Views for You, The Dream of Romeなど著書多数。

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(イギリス外務大臣、英連邦大臣 Alexander Boris de Pfeffel Johnson 写真=iStock.com)