「Thinkstock」より

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 今、東京都心を歩くと、数多くの工事現場にクレーンが林立し、建設の槌音がこだまする光景を随所で目にすることができる。東京都内は2020年にオリンピック・パラリンピックが開催されるのだから、関連する工事が多いのだろう、多くの人はそう感じるかもしれないが、実は五輪施設関連の工事は、国立競技場の新設などの大型工事はいくつかあるものの、都心部にそれほど競技施設が新たに立ち並ぶわけではない。
 
 建設されている多くは巨大なオフィスビルだ。森ビルの調査によれば、2016年から五輪が開催される2020年までの5年間に都内では88棟、面積にして約473万平方メートルの大規模ビルの供給が予定されている。大規模ビルとは森ビルの定義によれば1棟の床面積が1万平方メートル(約3000坪)以上のビルを指す。これから東京五輪開催までに年平均で118万平方メートルのオフィスが都内で新たに誕生することになる。

 この年間118万平方メートルという供給量は、平成バブル期といわれた平成初期の頃の供給量にほぼ匹敵する大量供給だ。平成バブル期と異なるのは供給棟数である。

 1989年から92年までの4年間のオフィス供給量は426万平方メートルで、2016年からの4年間の供給予定面積とほぼ一緒だ。ところがこれを棟数で比較すると1989年から92年までの棟数は161棟にも及ぶ。つまり、平成バブル期は1棟平均2万6,460平方メートル(約8,000坪)だったビルの規模が、今後4年間で建設されるビルは平均で5万3,750平方メートル(約1万6,260坪)と約2倍の規模に膨らむことになるのだ。
 
 さらに特徴的なのは、今後供給が予定されているビルの約70%が都心3区(千代田、中央、港)で建設が予定されていることだ。現在、東京都心のオフィス市場は活況を呈していて空きがほとんどないともいわれる。実際に三鬼商事の調べでは都心5区のオフィスビルの空室率は2017年末段階で3.0%程度、業界では空室率が4%台になると「完全な売り手市場」といわれるなか、3%かつかつという数値はやや異常な状態とも受け取れる。
 
 また同じく森ビルの発表によれば、都心3区で新たに供給される予定のオフィスビルのうち約70%相当が、既存ビルの建替えによるものだという。

 つまり今後、大量供給は予定されているものの、その中身は老朽化した既存ビルの建替えが中心であるから、オフィス床が大量に余ることはなく、市場では十分に吸収できるというのが業界関係者の見方だ。

●既存ビルの建替え

 さらに国や東京都では、今後東京をアジアの国際金融センターにする構想も喧伝されている。東京に多くの外資系金融機関を呼び込むために、国家戦略特区を設定し、法人税の減免や会社設立手続きの簡素化、外国人メイドなどの受け入れなどを認めるといった趣旨で制度整備を行うというものだ。

 たしかにこれまで日本ではグローバルマーケットでSクラスと呼ばれる大規模で設備機能が充実したオフィスビルが不足してきた。私がREITの運用会社の社長をしていた2000年代後半当時、IR(Investor Relation)という投資家向けに自らのREITの状況を説明するために、ニューヨークやボストンにある投資家のオフィスを訪ねると、彼らが入居しているオフィスの規模の大きさや絢爛豪華といってよいその内外装に圧倒されたものだ。これから都心で立ち上がるオフィスビルの多くが、Sクラスと呼ばれる航空母艦のような威容を誇る巨大ビルたちなのだ。

 三幸エステートの定義によれば、日本のオフィス市場では、ワンフロアの貸付面積で20坪以上50坪未満を小型ビル、50坪以上100坪未満を中型ビル、100坪以上200坪未満を大型ビル、そして200坪以上を大規模ビルとしている。200坪以上は全部「大規模ビル」という定義だ。

 ところがこれから東京都心で供給を予定しているオフィスビルの多くがワンフロア当たりの貸付面積が数百坪から1000坪を超えるような物件ばかりというのが実態である。さらにこれらのビルにはオフィスのみならず住宅やホテル、商業施設や美術館、ホールなどが併設され、建物だけで一つの街を形成するようなビルが続々と誕生を予定している。

 すでに都内では六本木にある六本木ヒルズ森タワーや東京ミッドタウン、虎ノ門にある虎ノ門ヒルズなどが複合ビルとして話題をさらってきたが、同様のビルが林立して迎えるのが2020年東京五輪開催なのだ。

 しかし、今の市場の状況を注意深く見ると、どうもあまり楽観はできない。ポイントは「今後供給される予定のビルの多くが既存ビルの建替え」であるという、まさにその部分だ。都内のビルの多くが現在、建物の老朽化問題を抱えている。耐震性の確保はもとより、企業のBCPの確保や最新鋭設備の装備などビル業界もさまざまな課題を抱えている。そこで大規模修繕を行うより、都心部の容積率(土地面積に対して建設できる建物床面積の割合)アップを利用して建替えようというのが業界の流れとなっている。

 より最新鋭の巨大ビルにすることで、競合に勝ち、生き残っていこうというのが多くのビル会社の戦略だ。建替えるにあたっては当然、今入居しているテナントに対して立退料等を支払って退去してもらうことになる。

●「テナント・ドミノ倒し」

 さて退去を余儀なくされたテナントはどこに行くのだろうか。当然、仕方がないので、別のビルの空室を探し出してそこに引っ越すことになる。するとそれまで空室を抱えていたビルの稼働率は改善することになる。

 ここ数年、都内の既存オフィスビルの建替えに伴って、大量の「テナント難民」を生じさせている。難民の多くが既存ビルの空室に収まったために、既存ビルの空室率が大幅に改善する。このシナリオで今の市場の空室率を計算すると、実は、ここ数年における空室率の改善については、ほぼ説明ができてしまうのだ。

 こうした「押すと餡出る」効果が、実は都心部のオフィスビルの空室率の改善の「本当の理由」であることは、あまり知られていない。壊されたビルの多くは、都心部の容積率割り増しの恩恵を受けて巨大なオフィスビルに生まれ変わることになる。

 さて、これらのビルのほとんどすべてが竣工を迎える2020年以降も、オフィスビル市場は本当に安泰でいられるのだろうか。さらに問題はややこしくなる。多くのビルは都心3区に建設されるので、賃料はおおむね月額坪当たり4万円を超える条件となってくるはずだ。これらのビルのすべてが顔を揃えた時に、そうした条件で入居するテナントがいったいどのくらいいるのだろうか。

 月坪4万円以上の賃料を負担できるテナントは、景気が回復した今でも外資系金融機関、国際法律事務所、一部の新興企業や上場グローバル企業などほんの一握りにすぎない。市場にどんなに超高級物件を並べても、提示された条件を負担できるテナントはごく少数なのだ。

 国内の有力デベロッパーは、相も変わらず、丸の内は三菱、日本橋は三井、六本木は森、新宿は住友といった国盗り物語に余念がないが、みな自社の開発した巨大ビルには必ず坪4万円以上の賃料を負担してくれるテナントが入居してくれると考えているようにしかみえない。国や都が構想として掲げる、国際金融センターは実際には機能するのだろうか。私の知る限りにおいてはアジアの国際金融センターはシンガポールであり香港であり、その地位が揺らぐ気配はない。

 英語も通じず、アジアの諸都市に出かけるにも遠いアジアのファーイースト日本のさらに東端の東京では、いかに得意の国家戦略特区を駆使しても、合理性の塊である金融資本主義者たちが集まるようには到底思えない。

 2020年、巨大航空母艦ビルは、テナントを求めて既存の大型ビルのテナントを引っこ抜く。引っこ抜かれた大型ビルは中型ビルのテナントに手を付ける。中型ビルは小型ビルのテナントへ襲い掛かる。壮絶な「テナント・ドミノ倒し」が始まるのはこれからなのである。

 嵐の前の静けさが続くオフィスビル市場も、そろそろ黒い雲が空を覆い始めている。
(文=牧野知弘/オラガ総研代表取締役)