ジャパンゴルフツアー選手会の最年少選手会長に就任した石川遼。就任後、初めてとなる公式での活動は、小中高生を前にしての講演だった。
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テーマは、「夢を持とう」。その講演を聴いていた生徒の中にいたのが、奈良育英高校3年、金原梨里加さんだ。2016年の日本ジュニアゴルフ選手権で4位タイ、17年の全米女子オープンの最終予選会を24位タイで終えた金原さんは高校卒業後、4月にプロテストを控えている。
ゴルフをやっていた父と祖母の影響で、幼いころからゴルフは身近な存在。本格的に始めたのは小学校4年。09年、プロ2年目の石川がシーズン4勝を挙げて賞金王に輝いた年だ。金原さんは同年、「アジアパシフィック パナソニックオープン」で初めて石川のプレーを生で見た。
「石川プロのことは、もちろん知っていました。ものすごく有名な選手なので」。まだ幼かった金原さんにも、15歳でアマチュアにして07年の「マンシングウェアオープンKBSカップ」を制し、18歳には史上最年少賞金王となった石川の姿は、強烈な印象を残した。
金原さんが中学校に上がり、本格的にプロを目指そうと決意したころには、石川は米国ツアーに参戦。国内ツアーでの鮮烈な活躍から一転、日本での石川の話題は徐々に少なくなっていく。苦戦を強いられた17年は、生き残りをかけた米国下部ツアーとの入れ替え戦も失敗。米国でのツアーカードを喪失し、昨年10月から国内ツアーに戻ってきた。
まさに今、自身が夢に向かって一進一退を繰り返している石川に対して、金原さんが投げかけたのは、「プロテストには、どういう気持ちで挑んだらいいですか?」。一呼吸おいて石川が返したのは、「何が起きても、自分の実力だと思える覚悟を持つこと」だった。
「覚悟」。その二文字には、これまでの葛藤がこめられているのかもしれない。13年から米国を主戦場としてきたが、昨年10月には「この4年間は苦しかった」とこぼした。レギュラーツアーの出場資格を失った18年、石川に残されたのは米国下部ツアーか、日本ツアーでの戦いか。かねてより「マスターズ優勝」を目標に掲げてきた石川が選んだのは、国内に戻る道。
13年シーズンも米国ツアーのシード権を獲得することができず、下部ツアーとの入れ替え戦を戦い抜いた。その後の4年間もがむしゃらに戦ってきたが、結果が出せずにマスターズ出場がかかる世界ランクを上げることができず、優勝はおろか出場も遠のく一方だ。
苦悩、葛藤と戦ってきた石川が、学生へのプレーのアドバイスとして買った言葉が印象的だった。「迷って出した選択に対して自分を否定しないで肯定してあげること」。これは石川自身が下した決断に対しての言葉だったのかもしれない。
「練習するのも、準備が何か一つでも欠けると、不安を抱えながら試合に臨まなきゃいけない。修正が間に合わないで試合を迎えることもあります。でも、ティグラウンドに立ったら、ここから先、空振りをしようが、それは今の自分の最高の力だからしょうがないと思うこと」。
会場に集まった学生たちに向けて答える姿は、まるで自分自信の姿を重ねているようだった。
石川の言葉を受け、「ずっと続けていくと、やっぱり精神的にモチベーションを保つのが難しかったり、気持ちでショットも左右されるので、自分のコントロールが難しいなと思っています。それでも勝つためには全力で、人よりも頑張らないといけないと、それしかないなと思いました」と噛み締めるように語った金原さん。
さらに続けて、「プロになってもトップで活躍していける、すごいなと思われる選手になりたいです」と夢を語ったが、夢を追い始めたジュニアと向き合ったことで、背中を押されたのはむしろ、石川だったのではないだろうか。
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