*写真はイメージです(写真=iStock.com/Masafumi_Nakanishi)

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自分にも少なからず非はある。なのに、それを棚上げし、相手の“過失”を執拗に責める人がいる。「自分は被害者」「自分を怒らせた相手が悪い」などと責任転嫁の理屈をこねて10年前のことさえ平気で蒸し返し、“利得”を得る。そんな問題人間の精神構造とは――。

■自分の落ち度は棚上げし「自分は被害者」を貫く人々

金融機関に勤務する40代の女性は、契約書類に不備が見つかった客に電話して、書類の書き直しを依頼する業務に従事しているのだが、怒りだす客が少なくなく、電話をかけるのがいやになるという。

怒りだす理由は、だいたい「おたくの担当者が説明不足だったせいで、こっちは書き直さなければならなくなった。こんな電話をかけられ、おまけに手間も時間もかかって不愉快だ」「書き直していたら、契約が遅れて、こっちが不利益をこうむるじゃないか。おたくの担当者がもっと丁寧に説明してくれたら、こんなことにはならなかったんだから、こっちは被害者だ。面倒くさいから、おたくのほうで書き直して進めてくれ」といった類のことである。

突然、電話がかかってきて、書類の不備を指摘され、書き直すように言われた客の気持ちもわからないではない。だが、もとはといえば、客自身の記入ミス、書き忘れ、印鑑の押し忘れなどであり、担当者の説明不足が原因と考えられる不備はほとんどないそうだ。

このように自分の落ち度は棚に上げて、相手の非をあげつらい、あくまでも自分は被害者だと主張する人が増えている。こういう人は、「自分を怒らせ、不愉快な思いをさせた相手が悪い」という理屈で相手を責めて怒りだすので、実に厄介だ。

▼「落とし前をつけろ」怖いお兄さんのような市井の人

しかも、ときには謝罪や損害賠償を求めることさえある。たとえば、2014年9月、大阪府茨木市のコンビニで発生した土下座強要事件。コンビニに立ち寄ったグループ客が、店員の対応に因縁をつけて怒りだし、謝罪と土下座を求めた事件である。おまけに、「謝りに行くとき手ぶらで行かへんで」などと脅し、タバコ6カートンを巻き上げた。ほかにも類似の事件が報じられている。

これは古典的な手法である。「こんなに被害を受けた」と主張し、「どうしてくれるんだ。落とし前をつけろ」と脅して金品を要求するのは、昔から怖いお兄さんの常套手段だった。

だから、そういうお兄さんが私の勤務する病院にやって来ると、普段よりも緊張した。注射や点滴の際に、手が震える看護師もいたものだ。2012年の暴力団対策法(暴対法)改正後は、以前ほど怖がらずにすむようになったものの、因縁をつけられたらどうしようという恐怖を払拭するのは難しい。

われわれ医療関係者が感じる恐怖こそ、被害者面をして謝罪や損害賠償を求める手法がいかに有効かを物語っているのではないだろうか。

■被害者としてふるまい夫から利得を得ようとする妻

家庭で被害者としてふるまうことによって何らかの利得を得ようとする人もいる。しかし、そういう手法を用いていることに当の本人は気づいておらず、自分こそ被害者だと思い込んでいる場合が多い。

たとえば、30代の男性は、息子が入っている少年野球チームのコーチの手伝いをしており、毎週土曜日、朝8時から17時までグラウンドに行っている。本当はやりたくなかったのだが、他に引き受ける人がいなかったので、どうしてもと頼まれて渋々手伝うことになったのだ。

もっとも、妻は野球に対してあまり理解がない。そもそも息子が野球チームに入ること自体、あまり快く思っていなかったようだ。

ある土曜日、夫がコーチの手伝いを終えて、夕方帰宅したところ、妻が明らかに不機嫌な様子で、一向に食事を作る気配がなかった。直接声をかけるのがためらわれる雰囲気だったので、息子に夕食の準備はどうなっているのか尋ねさせると、「作りたくない」という一言が返ってきた。

▼夫から謝罪を引き出すことに成功した妻は内心「してやったり」

仕方なく、夫が直接「何を怒っているのか」と聞いたところ、妻は突如激高して、「毎週、野球なんて自己満足なことばかりして、お風呂掃除もトイレ掃除もしてくれない!」と怒鳴りだした。夫は、「風呂掃除もトイレ掃除もしていないのはたしかだけど、普通に言ってくれれば素直に従うのに、そんな言い方はないだろう」という思いにとらわれ、憮然とした。

おまけに、「自己満足」という表現に引っかかった夫が「うるさいことを言うなあ」と言い返したことが、さらに火に油を注ぐ結果になった。妻は「自己満足は自己満足よ。あなたは自己満足の塊よ。その最大の被害者が私よ。私のことなんか全然考えてくれてない」と怒りだし、その日は結局仲たがいしたまま双方寝てしまった。

翌日、夫が外出先からメールで妻に謝り、週に一度は風呂掃除とトイレ掃除をすると告げ、一応収束したようだ。しかし、夫としては、罵声の迫力に負けた気がして、何となく釈然としなかったという。

この妻は、自分が夕食の準備をしていなかったことは棚に上げて、「野球なんて自己満足なことばかり」していると夫を責めている。夫は、少年野球チームのコーチの手伝いを好きでやっているわけではないのだが、妻は「自己満足」だと夫を責め、その「最大の被害者」が自分だと強調したわけである。

それが功を奏し、妻は夫から謝罪を引き出すことに成功した。そのうえ、週に一度の風呂掃除とトイレ掃除も夫は引き受けてくれたのだから、内心は「してやったり」というところではないか。

■10年前の出来事を蒸し返す妻のすごい「言い分」

このように自分は被害者だと強調して、相手の謝罪やプレゼント、あるいは義務の免除を引き出すことは、家庭内では少なくないようだ。

たとえば、別の30代の男性は、妻が盆にも正月にも夫の実家に顔を出そうとしないので、困っているのだが、妻には強く言えない。

というのも、妻は、結婚後はじめて迎えた正月に夫の実家に泊まりがけで行ったときの出来事をいまだに蒸し返すからだ。「私がせっかく作って持って行ったおせち料理を、お義母さんは『悪いけど、口に合わないから』と煮直したのよ。あんなことをされて、私はものすごく傷ついた。私は被害者よ。だから、あなたの実家には行かない」と、結婚後10年以上たっても言うので、夫は困り果てている。

その背景には、夫の実家が辛党なのに対して、妻の実家は甘党という事情があるらしく、夫自身が妻の料理を甘すぎると感じることもあるようだ。だから、妻の作ったおせち料理を夫の母親が煮直した気持ちも、夫としてはわからないでもないという。

だが、そんなことを言うと、「あなたはお義母さんの肩ばかり持つ。マザコンよ!」と怒鳴られそうなので、夫は何も言わない。いや、正確には何も言えないでいるそうだ。

▼「私は被害者」と思い続ける人をフロイトは「例外者」と呼ぶ

この妻の気持ちは、同じ女性としてよくわかる。自分の作った料理を「まずい」とけなされたようなものだから、姑に拒絶反応を示すのは当然だとも思う。もっとも、だからといって10年以上も夫の実家に行かないのは、どうなのだろう。

自分は被害者だと強調することによって、夫の実家に行く義務を免除してもらおうとしているように見えなくもない。夫の実家に行くことが妻の義務か否かについては、議論が分かれるだろうが、少なくとも私の知る限り、夫の実家にはできるだけ足を向けたくないと思っている妻がほとんどだ。したがって、気の進まないことを免除してもらうための免罪符として、おせち料理にまつわるエピソードをいまだに蒸し返すのではないかと疑わざるを得ない。

もちろん、こうした利得目当てで自分が受けた被害を強調しているとは、当の本人は思っていない場合がほとんどだ。本人は、「自分はもう十分に苦しんできたし、不自由な思いをしてきたのだ、これ以上の要求は免除される権利があるはずだ」と思い込んでいる可能性が高い。

こういう人を、フロイトは「精神分析の作業で確認された二、三の性格類型」(※)の中で<例外者>と名づけている。<例外者>とは、自分には「例外」を要求する権利があるという思いが確信にまで強まっているタイプである。

もちろん、フロイトが見抜いているように、「人間が誰でも、自分はそのような『例外』だと思い込みたがること、そして他人と違う特権を認められたがるものであることには疑問の余地がない」。だから、<例外者>は、こういう思い込みが人一倍強いにすぎない。

この<例外者>が最近やたらと目につく。しかも、自分がこうむった被害や不利益を強調し、特権や義務の免除を要求するので、私は違和感を覚えずにはいられない。

※「精神分析の作業で確認された二、三の性格類型」は、ジークムント・フロイト著、中山元訳『ドストエフスキーと父親殺し/不気味なもの』(光文社古典新訳文庫)より

(精神科医 片田 珠美 写真=iStock.com)