都内でも住みたい街の上位に、常にランクインする恵比寿。

仲間と肩肘張らず楽しめるお店がたくさんあり、便利で、何より賑やかな街である。

ベンチャー系IT企業に勤めるサトシ(28)も、恵比寿に魅了された男の一人。

顔ヨシ・運動神経ヨシ・性格ヨシで、学生時代から人気者だったサトシは、その社交性から遊ぶ仲間には事欠かない。何かと便の良い恵比寿は、フットワーク軽いサトシにぴったりの場所である。

まさに典型的な恵比寿に生息する男・通称“エビダン”である、彼の生態を探っていこう。

食事会で杏奈と出会い、心揺さぶられるサトシ。しかし、杏奈は学生時代に冴えなかった同級生で、現在外銀勤めの龍太に心奪われていた。そんな中、龍太から、さりげなくマウンティングされて落ち込むサトシだったが・・。




「ふぅ〜〜〜」

会議室の目の前で、大きく深呼吸をした。胸の高鳴りは最高潮に達し、手には汗をかいている。

僕が働く会社では、半期ごとの目標達成度で給料が決まる制度がある。今日は、年に2回ある面談日なのだ。

普段は風通しが良く、上司とも距離が近いと有名な会社ではあるが、給料査定の面談となると話は別だ。

面談では、自己評価が高すぎても低すぎてもいけない。仕事と同じく客観的な分析が大切で、過大なアピールは逆効果。要は、バランス感が大切なのだ。

「よし、行こう」

そう言って気を引き締め、ドアを開けた。



後日分かった査定結果は、月換算で毎月6万円アップ、年収に換算すると約72万円アップ。

まずまず悪くはない結果ではあるが、複雑な気分になるのだった。


頑張っても年収は上がらない?静かに下降する男の人生





「で、給料は上がったのか?」

スッキリしない気持ちを抱えたまま一人で食事する気にはなれず、僕は学生時代からの友人・裕太を恵比寿の『ル・リオン』に呼び出した。

「上がったと言えば上がったけど……。月6万上がったところで、何ができる?」

熱々の「カレ」を食べながら、投げやりな口調で裕太に言う。今日は何だか言いたいことが多すぎて、話が止まらない。

裕太はそんなことを話す僕を「まぁまぁ」となだめながら、鴨のコンフィを慣れた様子で取り分けてくれた。




東京に住んでいれば、6万円なんて泡のように消えてしまう。

買いたい物や行きたいレストランはたくさんあるし、女性と二人でフレンチに行き、ワインなんて頼めば6万円じゃ足りないくらいだ。

「まぁ、それが俺ら日本のサラリーマンの現実だろ?とりあえず飲めよ、今夜は。一応給料は上がったってことで」

裕太はビールを飲みながら能天気に笑っているが、果たしてそれでいいのだろうか。

-これが、僕らの現実……。

どんなに頑張ったところで、年収は毎年微々たる額しか上がらない。このまま働き続けた先に待ち受ける未来は、明るいのだろうか?永遠にウダツの上がらないような自分に、嫌気がさす。

学生時代、僕はもっと輝いていた気がする。

いつも周りには友人がおり、毎日が楽しくて学内でもトップクラスの可愛い子と付き合っていた。

もっと、自分は突き抜けられる存在だと思っていた。

そう思っていたのは、僕だけではない。きっと周囲も同じように思っていたのだろう。

「裕太は、今の会社に一生いるつもりなの?」

「突然どうした?そうだなぁ、俺は親父との関係があるからそんな簡単には辞められないけど」

裕太の父親は大手メーカーの役員で、就職活動の時は父親の口利きで、早々に大手広告代理店の内定を貰っていた。

いまは営業をしている裕太だが、そのメーカーのCM契約は毎年ほぼ確定のため、大した苦労もなく毎日楽しそうに仕事しているように見える。

―裕太には、家柄っていう武器があるもんな……。

そんなことを考えていたら、携帯が鳴った。それはまさかの、杏奈からの連絡だった。


悩むサトシ。そんな時、マドンナ杏奈が放った一言とは・・?


-もしもし、サトシさん?今恵比寿で一人で飲んでいるんですが、来れませんか?

そのLINEを見て、僕は裕太に「次回絶対埋め合わせをするから!」と言い残し、慌てて店を飛び出した。裕太は何かを察したのか、快く送り出してくれた。

まさかの、杏奈からの呼び出し。彼女を1秒でも待たせるわけには、いかない。恵比寿西の交差点を目指し、息を切らしながら全速力で駆け抜ける。

ようやく『ピットフォール』へ到着すると、杏奈は既にカウンター席でワインを飲んでいた。




「もしかして、走ってきました……?そんなに急がなくても良かったのに」

息が上がっている僕を見て、杏奈は可笑しそうに笑っていた。天使のような笑顔は、全速力で駆けつけた僕へのご褒美のように思えた。

「杏奈ちゃんからの呼び出しが嬉しくてさ。突然、どうしたの?」

呼吸が整わぬまま杏奈の隣に座ると、ふわりと良い香りに包まれた。

「何だか、急にサトシさんに会いたくなって……」

杏奈の言葉が、頭の中でやまびこのように鳴り響く。

-今、何て言った……?会いたくなって…!?

しかし杏奈は手元のワイングラスに視線を落とした瞬間、ふっと寂しげな表情になった。

その表情を見れば、杏奈が何も言わなくても僕を呼び出した理由は分かる。この笑顔を曇らす原因は一つ…。あの男しか、いないのだ。

「何か、あった……?」

龍太の顔がくっきりと頭に浮かび、僕の胸はキツく締め付けられる。すると杏奈はその質問には答えず、こう言った。

「サトシさんは、寂しいとか、悔しいとか感じることありますか?……いつも楽しそうにしているから、想像ができなくて」

唐突すぎるその問いに、咄嗟に言葉が出てこない。

「大きなコンプレックスを抱えている人って、すごく強いなぁと思うんです。“絶対負けない!”みたいなパワーを感じませんか?」

杏奈の言葉に、僕は、はっと気づかされた。

僕には圧倒的に、何かが欠けている。胸を焦がすような焦燥感や、劣等感。そしてハングリー精神。

男の欲望を突き動かすような起爆剤が、何もないのだ。

大学もストレートで合格し、名の知れた有名企業に就職できた。そこそこモテてきた自負もある。

しかしずば抜けた頭脳がある訳でもなく、家柄は至っては普通のサラリーマン家庭。龍太が学生時代に抱えていたようなコンプレックスもない。

何事も要領よくやってきた僕には、心が砕け散るような大きな挫折を経験したことがないのだ。

「俺には、何かが欠けてるんだろうなぁ……」

「どうかされました?」

ふふっと静かに笑う杏奈を、ただ見つめる。

裕太には、家柄というアドバンテージがある。そして龍太には、コンプレックスを跳ね返そうという強さがある。

社会人3年目、25歳を過ぎたあたりから、僕は薄々気づき始めた。劣等感というモノは、決して男の弱さなんかじゃない。成功したいと強く願うとき、がむしゃらに頑張らねばいけないときにこそ、必要なものだ。

「杏奈ちゃんはさ……。そんなに冷たくされているのに、どうして龍太がいいの?」

二人の間に、静かな沈黙が流れる。僕はそれに耐えられず、グラスの中に入っている氷を回す。

「どうしてだろう…?いつも自分を限界まで追い込んでいる感じに、危うさを感じるんです。私が守ってあげないと!って思うんですよね。不器用な男性の方が、気になってしまうというか……」

「ふぅん……。それってさ、他は0点でも何かで100点を取れる男の方がいいってこと?」

「そう聞かれると難しいですが……。何かが欠けていたとしても、その分どこか秀でているアンバランスな人は魅力的に見えるかなぁ」

ワイングラスを回しながら、杏奈は僕ではなくどこか遠くを見つめていた。

-頭脳、家柄、コンプレックス……

総合点“80点”くらいであろう僕の行く末を、ぼんやりと考えていた。

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この後、サトシの逆襲が始まる!?