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内閣府の世論調査では「選択的夫婦別姓」を肯定する声がすでに40%を超えている。しかし法的には今も夫婦は同姓を名乗らなければならない。国民意識と制度とのズレをどう変えていくべきか。橋下徹氏と足立康史衆議院議員(日本維新の会)が火花を散らす。プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(2月20日配信)より、抜粋記事をお届けします――。

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■僕の究極の持論は「戸籍廃止論」

▼選択的夫婦別姓に関するそれぞれの持論
〔足立案〕今の戸籍制度を維持しつつ、夫婦別姓にしたい配偶者は旧姓を戸籍に併記する。
〔橋下案〕戸籍制度の廃止。マイナンバー制度をフル活用した新たな管理制度の構築。それができなければ、まずは個人ごとの単独戸籍にする。

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【橋下徹】僕は戸籍廃止論が究極の持論です。しかしそれが政治的に直ちに無理な場合には、まずは個人ごとの戸籍にすることが持論です。夫婦同姓・別姓の議論は単なる戸籍表記論、すなわち夫婦に1つの戸籍というなら夫婦は同姓表記(1つのインデックス)にした方が便利でしょうし、個人ごとの戸籍にするなら別姓表記(2つのインデックス)でも全く問題はないという話に過ぎません。もちろん個人ごとの戸籍でも夫婦で同姓にしたいならそれも問題ありません。同姓のインデックスの戸籍が2つできるだけです。つまり、夫婦別姓・同姓の議論は、戸籍の形(1つか、2つか)に合わせて夫婦の姓をどのように表記したら「便利なのか」という程度のもので大した議論の意味はないと感じています。

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まず夫婦に戸籍1つの原則を採用する理由には

(1)姓(氏)が同一の家族は1つの戸籍にまとめる<形式論・事務手続き論>
(2)結婚した夫婦・その家族は仲良く1つの戸籍に入るべき。戸籍に一緒に入ることで家族の一体性が確保できる<実質論>

というものがありますが、この2つは同じように見えて、実は違います。

もし形式論・事務手続き論として(1)だけが要求されるなら、夫婦を別姓にしても、夫婦それぞれが個人戸籍を持てば何も問題はありません。(1)は姓(氏)が同一であれば1つの戸籍にしなければならないという要求までであり、姓(氏)が別である場合に、夫婦が個人戸籍として別々の戸籍を持つことまでを否定していません。すなわち姓(氏)を別にしても何の問題もないのです。同姓(氏)にしたときだけ夫婦の戸籍を1つにすればいいのです。僕は戸籍廃止論、ないしは完全個人戸籍論が持論ですが、次善策としては現戸籍制度を維持しつつ、夫婦別姓(氏)にしたときだけ個人単独戸籍にするというのもアリだと思っています。

■夫婦別姓を否定する合理的理由は何か

ところが夫婦別姓を否定し、必ず同姓にしなければならないという形式的・事務手続き的な理由には上記(1)に加え、

(3)結婚している夫婦は個別に戸籍を持つこと(2つの戸籍を持つこと)は許されない

という要求まで付加されてしまっているのです。

この要求のために、結婚した夫婦は戸籍を必ず1つにしなければならないことになり姓(氏)(インデックス)を同一にすることを強要されます。そして、外国人は戸籍を持てませんので、別姓にしても戸籍は1つしか存在せず、(3)に反することはないという理由で、外国人と結婚した場合には別姓が認められることになっています。

しかし、(3)の理由・要求は意味不明です。なぜ結婚している夫婦は個別に戸籍を持つことが許されないのか? なぜ戸籍を1つにしなければならないのか? この実質的な理由が本来は必要なはずで、それが(2)です。(2)は(1)や(3)の実質的な理由です。そして足立さんをはじめ、夫婦別姓否定論者=同姓を強く主張する人たちは、この(2)を最も重視しているはずです。

まさに(2)「結婚した夫婦・その家族は仲良く1つの戸籍に入るべき。戸籍に一緒に入ることで家族の一体性が確保できる」ということこそが、夫婦は1つの戸籍であるべきということの最も重要な理由です。しかし、もし(2)の要求・命題を大切にするとういうなら、外国人にも戸籍を認め、外国人と結婚した者も夫婦が1つの戸籍に入るようにした上で、同一姓(氏)を求めるべきです。「外国人だから戸籍は認めない、だから別姓でいい」というのは、戸籍に家族の一体性を確保する機能を強調する夫婦別姓否定論・夫婦同姓強制論者としては、実にいい加減な対応です。

今の戸籍制度は明治時代の壬申戸籍(1872年)からの系譜です。明治時代では国際結婚は少なかったのでしょう。ゆえに外国人と結婚した者の家族の一体性まで考える必要性は低かったのかもしれません。しかし現代は違います。国際結婚は非常に多くなった。もし戸籍に家族の一体性の機能までを強調するなら、外国人と結婚した夫婦にもそれを認めるべきで、そうであれば外国人にも戸籍を認め、姓(氏)の同一まで求めるべき、という話になります。外国人だから知らん、では無責任すぎます。「いや、外国人には戸籍を認める必要はない」というのであれば、もはや戸籍に家族の一体性確保の機能まで読み込むことは止めなければなりません。

選択的であっても夫婦別姓を認めず、頑なに夫婦は同姓でなければならないと主張する者は、(1)(2)(3)のいずれの理由からそのような頑固な主張になるのか。(1)だけであれば個人戸籍を認めれば別姓にできる。(2)であれば外国人にも戸籍を認め、同一姓を求めるべきとなります。

■なぜ日本人だけに戸籍を認め、外国人を無視するのか?

今の日本政府の対応のように、外国人には戸籍を認めずに、日本人夫婦のみに同姓を要求し、外国人と結婚した夫婦の一体性はどうでもいいというなら、上記(2)にあるような戸籍の家族の一体性確保の機能は強調せずに(3)の理由を掲げなければなりません。しかし(3)は無理やりの理由で、なぜ結婚した夫婦に個別の戸籍(2つの戸籍)を与えてはいけないのかについては何の説明にもなっていません。

繰り返しになりますが、戸籍に家族の一体性確保の機能を強調しながら、国際結婚が多くなってきた現代社会において外国人には戸籍を認めないというのは、僕の嫌いな(笑)自称保守インテリたちの論理破綻の主張です。

日本人だけに戸籍を認め、そして戸籍による家族の一体性を求める。結局日本人だけの家族の一体性が確保できればよくて、外国人のことは知らん顔。

戸籍による家族の一体性を強調するなら、外国人と結婚した夫婦の家族はどうするのか? そうであれば外国人にも戸籍を認めるのか?

僕はここに、今の日本の戸籍制度の時代終了性を感じており、戸籍廃止論、次善の策としての個人戸籍論を持論としています。戸籍を廃止してもマイナンバー制度で新たな管理制度をしっかりと作れますし、むしろそのような方向性を目指すべきです。

ここで誤解がないように念のために付言しますが、国籍と戸籍は本来全くの別物です。今は壬申戸籍以来、日本国籍と戸籍が一体化していますが、そこに必然性はありません。国籍は国籍、戸籍はあくまでも管理簿です。今は、住民基本台帳に外国人も記載されます。戸籍とはもともとそんな程度のものです。

これ、法理論的には最先端の議論です。

【足立康史】そもそも戸籍における姓=氏というのは、戸と呼ばれる家族単位のインデックスに過ぎません。

・家族単位のインデックスを維持しながら、別姓に法的効力を認める足立案

あるいは

・家族単位のインデックス=戸籍を廃止して、番号制度だけで個人を登録していくのか

改革は2つに1つのように、私には思われます。

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(皆さん、今回のメルマガで、脳みそにたっぷりと汗をかいて下さい! この議論、次号に続きます!)

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※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.92(2月20日配信)を一部抜粋し簡略にまとめ直したものです。もっと読みたい方は、メールマガジンで! 今号は《【シリーズ:激論】日本維新の会・足立康史議員も参戦! 夫婦別姓をどう考える?(その1)》特集です!!

(前大阪市長・元大阪府知事 橋下 徹 写真=iStock.com)