(写真:アフロ)
 
「“がんばれ”という言葉がかけられないほど、この4年間を悲痛なまでにジャンプに注ぎ込んでいました。そんな張り詰めた生活のなかで、お化粧は唯一の気分転換。10代のころは、化粧が嫌いでしたから……。お化粧で運を引き寄せたのかもしれませんね」
 
と語るのはジャンプ女子で銅メダルをとった高梨沙羅(21)の祖母で、北海道上川町に住む豊子さん(74)だ。
 
“天才少女”として挑んだ14年のソチ五輪ではまさかの失速──。あれから4年、高梨は“プレッシャーに弱い”という汚名を返上し、平昌の表彰台で輝く笑顔を見せた。
 
体ももちろん成長したが、いちばん変わったのは顔に施されたメークの美しさだ。20歳になる少し前から本格的にメークをするようになった高梨。“顔と心はつながっている”をモットーに、「開運メーク」を提唱するメークアップアーティストの大野裕美子さんはこう評する。
 
「高梨さんは、メークアップで、理想の自分を表現することで、自信と勇気を手に入れ、平常心で競技に打ち込められているようでした。眉毛の毛流を一定方向に整えて目尻を美しく仕上げ、目標を成し遂げる強い意志を表現。アイラインを上手に入れて大きくした目は、ビジョンに迷いなく向かうメッセージが込められています」
 
テレビのインタビューで、「化粧をすることで、スイッチが入る」と語っていた高梨。見事、“開運メーク”でメダルを引き寄せた。
 
前出の豊子さんは応援で行った平昌からの帰国便がたまたま一緒になり、空港で高梨と会うことができた。
 
「06年9月に夫(沙羅の祖父)が亡くなったんですが、その直前に、10歳だった沙羅が“オリンピックでメダルをとるからね”と話していました。空港で会ったときに、沙羅を思わず抱きしめて“おじいちゃんとの約束を守ったね”と話したら、うれしそうに笑っていました」
 
開運メークに、亡き祖父……。さまざまなものに愛されて、高梨のジャンプはメダルまで届いた。