―どうして私が、こんな辺鄙な土地に住むの...?―

幸せな家庭を築くことを夢見て、コツコツと女としての人生の駒を進めてきた大手航空会社CAの美波(ミナミ)、27歳。

ルックス・収入・性格とともに完璧な港区男子・孝太郎と出会い、順調に婚約まで済ませた、まさに幸せの絶頂期。

のほほんとしたお嬢様気質の彼女を待ち受けていたのは、「浅草に住もう」という彼の突拍子もない提案だった。




「あ...浅草...?」

孝太郎のあまりに予想外な発言に、美波は思わず思考が停止した。

―なんで“浅草”……??

あの街には浅草寺のイメージしかなく、小学校の遠足で訪れたり、高校生の頃に隅田川の花火大会を観に行った以来、久しく足が遠のいている。大人になってから、浅草にわざわざ足を運ぶ理由はない。

いや、きっと美波の聞き間違いだろう。孝太郎は“あさくさ”でなく“あざぶ”と言ったのかもしれない。

「そう、“浅草”。美波にはあんまり馴染みないかもしれないけど、意外といい街だから、きっと気に入るよ」

孝太郎は美波の心を見透かすように、ハッキリと“浅草”と強調した。

その表情は相変わらず紳士で穏やかで、声も柔らかい。

にも関わらず、孝太郎がこちらに有無を言わせない強い威圧感を発しているように見えるのは、美波の気のせいだろうか。

「ど、どうして急に浅草なの...?孝太郎くん、社会人になってからは渋谷区か港区にずっと住んでるんじゃ...」

「俺、地元が浅草だろ。そうだ。新居の下見がてら、明日は1日浅草を案内するよ」

孝太郎はそう言いながら美波の髪を優しく撫で、ニッコリと爽やかに微笑んだ。

美波が“世界で一番素敵”と信じている、大好きな笑顔。だがやはり、その目の奥は笑っていないように感じる。

そんな孝太郎に気圧され、明日は婚約指輪の下見に行く約束をしていたはずであることを、美波は言い出せなくなってしまった。


彼の地元“浅草”で感じた違和感とは...?


地元“浅草”で垣間見える、婚約者の意外な一面


そもそも、美波は孝太郎が浅草出身であることを、ほとんど意識していなかった。

むしろ彼が自分と同じ東京出身であることには安心感を覚えており、台東区生まれとは聞いていたが、“ちょっと東の方”と思っていたくらいだ。具体的にどの辺りの駅名を指すかなど深く考えていなかった。

「浅草ってさ、隅田川沿いの景色は最高だし、美味しい店もたくさんある。一日中楽しめるから、俺は密かに“大人の遊園地”って呼んでるんだ」

そう言って連れて来られた浅草駅には、隅田川越しにスカイツリーが大きな存在感を放った広々とした景色が広がると同時に、街には老舗ぽいノスタルジックな雰囲気が漂う。

孝太郎は元々口がうまいが、たしかに“大人の遊園地”という言葉はピッタリな気がする。

そして最初に訪れた店は、『モンブラン 浅草店』だ。

孝太郎と港区近辺でいつも通うオシャレなレストランとは異なり、レトロでカジュアルな雰囲気の店内に美波は少々戸惑った。

だが、オーダー後に調理するという熱々の鉄板ハンバーグステーキが目の前に現れると、ハッと息を飲んだ。




「お、おいしい...!」

思わず、感嘆の声が漏れる。

それは久しぶりに口にする、“古き良き洋食屋”のハンバーグだった。お肉と濃いソースの相性が抜群で、普段は炭水化物を控えている美波も、パクパクとライスを口にしてしまう。

「だろー?!美波も絶対好きだと思ったんだよなぁぁー!!」

すると孝太郎は、少々大きすぎる声を上げ、両肘をついてテーブルに乗り出し、ニカっと大きく笑った。

―あれ...?

美波はそこで、違和感を覚える。

普段の彼は、口調も表情も少し大袈裟なくらいキザで(そんな彼を美波は素直にカッコいいと思っている)、身のこなしもとにかくスマートだ。

よって、こんな風に大声で語尾を伸ばして話したり、テーブルに肘をつくなんて仕草は見たことがない。

だがそれは一瞬のことで、彼はすぐに姿勢を正し、いつもの王子様風情に戻った。

―何だか孝太郎くん、いつもと感じが違う...?気のせいかな...。

「それにしても、美波の目って本当に綺麗だな。キラキラして星が浮いてるみたいだ。慣れないと、ちょっと直視できるもんじゃないよ」

「もう、孝太郎くんったら...」

美波の心にかすかに芽生えた違和感は、彼の照れ臭い褒め言葉により、すぐに掻き消されてしまった。


孝太郎の本性が、徐々に明らかになる...?!


私の知らない、彼の顔


結果的に、孝太郎との“浅草デート”はかなり楽しいものだった。

ランチの後は伝法院通りや仲見世を歩き、浅草寺へお参りもした。普段の都内デートとは違う非日常感は新鮮で、ちょっとした小旅行のような感覚すらある。

ヒールで長時間歩き回るのは少し辛かったが、風情ある古民家風の『今半別館』で豪華なすき焼きディナーを堪能した美波は上機嫌だ。

「孝太郎くん、今日はありがとう。浅草がこんなに楽しい街だなんて知らなかったわ」

「それは良かったよ。浅草って面白いし、立地的も意外にいいだろ。住めばもっと楽しいよ」

当然のように言い切る孝太郎を前に、美波はピクッと笑顔が引き攣る。

たしかに、浅草は楽しい街だった。しかし、かと言ってわざわざこの地に住む必要があるだろうか。

孝太郎が望むならば、毎月、いや毎週遊びに来たっていい。だが、デートと住むのは全く別次元の話である。

「で、でも......住むんだったら、都心の方がやっぱり何かと便利じゃない?浅草は、たまに遊びに来れば...」

「美波は、浅草が嫌なのか」

「い、嫌というか...私は下町にあまり馴染みもないし...それに、今の麻布十番のマンションも好きだわ。地元は安心感があるのかもしれないけど、孝太郎くんみたいな人が浅草に拘る理由が、分からないっていうか...」

「......美波は、何も分かってねぇな」

孝太郎の乱暴とも言える低い声に、美波は「えっ」と思わず驚く。

彼の顔からはいつもの紳士で穏やかな笑みは消えており、不貞腐れたように眉を寄せた表情は、やはり今まで見たことがない。

「ちょ、ちょっと孝太郎くん。じゃあ、新居についてはもう少し話し合ってから...」

美波はそんな孝太郎の態度に焦り必死に取り繕うとしたが、その後も彼は不機嫌さを隠そうともせず、デートは気まずいままお開きとなった。




「美波、婚約おめでとう〜♡」

「あ、ありがとう...!でも、指輪もまだだし、正式に婚約したって言えるか...」

六本木の『MERCER BRUNCH』にて、突然目の前に現れた“婚約おめでとう”のデザートプレートを目にした美波は困ってしまった。

今日はCAの同期である恵美とお茶をしていたが、彼女がサプライズでお祝いしてくれたのだ。

「指輪はこれから選ぶんでしょ?ならいいじゃない。孝太郎さんみたいな素敵な人とスピード婚約なんて、さすが同期一の美女・美波ね」

「そ、そんなことないよ...」

美波は笑顔を崩さずにいたが、内心は不安で一杯だった。あの浅草デート以来、孝太郎とは険悪なまま、連絡もとっていないのだ。

「あ、圭太くん、こっちこっち」

振り向くと、そこには美波も見覚えのある男の顔があった。

圭太は孝太郎と出会った食事会に参加していたメンバーの一人で、恵美の最近のデート相手でもある。二人はこの後食事に行くそうで、少しだけ合流したのだ。

「美波ちゃん、孝太郎と婚約したんだって?おめでとう」

圭太はソファにどさりと腰掛けると、薄い笑みを浮かべた。

「でも...君みたいな上品な子が孝太郎なんかと結婚するのは、正直意外だな。アイツって本当に要領がいいっていうか......ラッキーな男だよ」

「え...?」

「孝太郎ってやけにカッコつけてるけどさ、まぁ、何て言うか。所詮“下町の成り上がり”だからさ」

圭太は、明らかに嫌味を言っていた。

美波は不快感を覚えながらも、しかし、その言葉の先が気になって仕方がなかった。

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孝太郎を“成り上がり”と断言する男。その意味とは...?