2018年3月1日(木)から公開されるクリント・イーストウッド監督の最新作「15時17分、パリ行き」は、2015年に国際高速列車タリスで発生した銃乱射事件を題材としています。イーストウッド監督は「アメリカン・スナイパー」「ハドソン川の奇跡」と実際の出来事に基づいた映画を連続して撮っていますが、本作はさらに一歩踏み込み、事件の当事者本人たちが出演する作品となっています。

イーストウッド監督はなぜこの事件を映画化しようと考えたのか、そして実際の出来事をどのようにして映画に落とし込んでいくのか、雄弁に語ってくれました。なお、後半にはイーストウッド監督と映画に出演した事件の当事者たちが登壇した記者会見のやり取りも掲載しています。イーストウッド監督が作品の展開について触れているので、事件のあらましを知らないまま映画を見に行きたいという人は、鑑賞後に読んで下さい。

映画『15時17分、パリ行き』オフィシャルサイト

http://wwws.warnerbros.co.jp/1517toparis/

Q:

映画を作り始める前、イーストウッド監督のもとには多くの違う脚本やアイデアがあって、そこから最終的に1つの作品を選ぶことになると思いますが、作品選びのプロセスはどういったものですか?

クリント・イーストウッド監督(以下、イーストウッド):

特に決まったやり方はないよ。脚本やアイデアはいろんな所から集まってくる。ストーリーを読んだり、聞いたりしていると、時々「それは面白いストーリーだ」というものが出てきます。そこに映画としての可能性を見いだしたら、それを違う形で見始めます。「どうやって語るか、どういったスタイルが欲しいか」ということを見つけていくんです。でも、まずはただ読んで、何が起きているかを見たり、意識したりします。すると、時々これだというものが目の前に現れます。

たとえば「アメリカン・スナイパー」では、僕は本を事前に読んでいましたが、自分で楽しむためであって、自分が映画の企画を担当することになるとは知らなかったので、映画の原作としては読んでいませんでした。誰か他の人でやろうとしているということを知っていましたから。すると、最後の章を読んでいるときに、ワーナー・ブラザースの重役のグレッグ・シルバーマンが電話してきたんです。「『アメリカン・スナイパー』のことは知ってるか?」と聞いてきたから、僕は「知っているよ。ちょうど今、読んでる。読み物として面白い」と答えました。すると「あなたに監督してもらいたいんだが」と言うんです。自分がやるとは思っていなかったから「もう監督が他に決まっていたのでは?」と返したら「ブラッドリーやみんなは、あなたに監督をやって欲しがっている」と。それで「OK、僕がやるよ。その前に、この最後の章を読ませてくれ」と答えました。それから、僕は「アメリカン・スナイパー」をもう一度読み直し、スクリーン・マテリアル(脚本)を送るように頼みました。届いた脚本を読んで、少しそれに手を加えて……そうやって始まりました。

「ハドソン川の奇跡」はまた違いました。僕のデスクにアシスタントがたくさんの脚本を積み上げていて、その中の1つが「ハドソン川に飛行機を不時着させたサリー・サレンバーガーについてのタイトル未定の物語」というものでした。僕は「新聞でその出来事を読んだのをとてもよく覚えているよ」と言ったんです。特に、乗客たちが翼の上に立っていた写真がすごく記憶に残っていたから。それから脚本を読んでみたら、すごくいいストーリーで、これはビジュアルに富んだ映画になる、と同時に挑戦的なものにもなると思いました。ハドソン川に飛行機を置くか、別のところで似たことをしなければいけないと思いましたから。

だから、「決まったプロセス」というのは「ない」です。僕にとって、ルールは何もありません。すべては違う形でやってくるということなんです。何年も前のことですが、脚本家があるプロジェクトを僕に送ってきました。ブラジルの警察の一部隊についてのもので、政府が十分に機能していないと考えて、報復のために悪い連中を殺しているという話でした。これがのちに、「荒野のストレンジャー」になりました。

それから、ひどい表紙の本が送られてきたこともあります。誰かが僕のデスクに置いたのですが、数週間そのまま放置されていました。偶然、誰かがそれを持ちかえって読んで「これは自分が今までに読んだ中で、最高のウエスタンです!」と言ってきたので「本当に?こんなにひどい表紙の脚本が?」と思いました。それが「アウトロー」だったのです。

つまり、いろんなことが複合的に合わさって生まれるということです。何かについてフィーリングを感じたり、誰かが何かを持ってきたり。「グラン・トリノ」では、仕事を引き受ける前、脚本に関して電話がかかってきましたが、担当者は受け付けなかったんです。ところが、別の担当者が電話を受けたので、脚本が送られてくることになり、僕が読んだらすぐに気に入るものだったということもありました。

とにかく、目と耳をオープンにし続けることです。持ち込まれるものは、時によくないものもありますが、とてもいいものもあります。その中に、多くの面白いものがあるんです。何のルールも、これだという方程式もありません。もしあるんだったら、その答えに気付いた人は大金持ちになっています。僕だってその答えは知りませんが、ときどき、物事に対する勘が働くんです。僕と一緒に働いている人たちも、いい勘を持ってしています。みんなで、何をやるかを決めています。



Q:

本作では事件に遭遇した当事者たちがキャスティングされていますが、どのようにして出演を決めたのですか?彼らはノンユニオンなわけですが……。

イーストウッド:

当初、彼らにはテクニカル・アドバイザーとして参加してもらうことになっていて、サクラメントから何度も足を運んでもらいました。彼らと打ち合わせをして、隣の部屋では彼らの話の内容を受けて俳優に演技をしてもらって、とやっていました。いい役者もいましたが、あるとき、僕が「自分たち自身を演じる、ということをどう考える?」と聞いたんです。僕はその可能性を見逃していたんです。これまで、もっと脇の役でしたが、役者ではない人を使ったことはありましたから。彼らは好感が持てたし、もしやれたら、とても面白いことになると思いました。ただ、きっちりとできなかったらひどいものになるとも思いましたが(笑)。彼らは「やります」と言ってくれて挑戦して、そしてこうして映画ができた、ということです。

Q:

役者のユニオン、SAG(全米俳優組合)には、どのように対処されたのですか?彼らはユニオンに入っていませんよね。

イーストウッド:

ノンユニオンの俳優を使うときにはユニオンに報告するという規則を定めたタフト・ハートレイ法があるから、ユニオンに入る必要はないんです。今回もユニオンに入る必要はなかったのですが、彼らの方から入りたいという希望があったので、撮影前に入ってもらいました。だから、いろいろ考える必要はありませんでした。前にも同じようなことをやって、経験済みでしたから。

Q:

撮影中、事件を実際に経験した3人からどんなことを発見しましたか?何か予想しなかったことはありましたか?アマチュアである彼らからイーストウッド監督が何を学んだのか、興味があります。

イーストウッド:

演技は、多くの人たちが違うアプローチをします。僕が駆け出しの若い役者だったころは、いろいろな違うテクニックの分析をして、いろんな演技の本を読みました。ほとんどの本は自分自身に教えるためのものなので、数学のように正確にやることはできません。演技とは、知的なアートフォーム(芸術形式)ではなく感情的なもの、どちらかといえば内面に向いたものだからです。「自分自身を持ち出すこと」を、試行錯誤して、教わりながら、みんなが自分自身の心を通して、違う方法で見つけていくんです。考えすぎてしまうとダメになることもあり得ます。だから、その微妙なところで、十分に考えながら、分析しすぎないこと、なんだ。



この作品を制作するにあたって、僕らはイタリアでいろんなロケーションのセッティングをして撮影を始め、助監督やプロデューサーたちが事件に立ち会った人たちに連絡を取りました。僕が「作品に出たいかどうかを聞いてくれ」と言うと、連絡を受けた人たちはみんな衝撃を受けたようですが、女性看護士も、あのとき列車に乗り込んだ刑事たちも、作品に引っぱられるように参加することになって、本人役を引き受けてくれました。みんな、あの場所に「戻りたがった」のです。僕らも現場に行きましたが、僕以外はみんな当時現場にいた人たちだったぐらいです。

(一同笑)

イーストウッド:

僕とクルー以外です。だから、熱意が素晴らしかった。みんながやったのは、基本的にはタリス銃乱射事件の「再現」です。いったい何が起きたのか、僕らが理解できる範囲においてやってくれました。僕はその場にはいなかったにも関わらず、その状態に最も近づくことができました。僕は「あなたがあの時にしたことをやってください。あなたは何をしたの?」と声をかけ、彼らがあの時にやったように撮影をしました。それは、自分の隣に秘書がいて助言を与えてくれるようなものです。そして、撮影中にはそれぞれのペースでやってもらいました。中の1人が横になって何か他のことをしたとしても、僕はそのまま続けました(笑)。でも、多くのエキストラも含めて、それを楽しんでいました。犯人はしっかりと武装していて、とても多くの弾薬を持っていました。銃2丁、ナイフ1本、カッターナイフ1本も持っていて、もし、あの時に事件が止められなかったら、史上最悪の出来事にもなりえました。

Q:

監督は先ほど、演技は知的な芸術形式ではなく感情的なものと表現されました。それについて、もう少し説明していただけますか?

イーストウッド:

たとえば、あなたがクッキーか何かを作っているときのように分析することはできないんです。自分の想像力を使って、その「もと」にたどり着かなければいけません。理詰めだと、想像力は妨げられてしまいます。物事に対してあなたは何を感じるのかというのが、キャラクターが物事について感じることなのです。あなたはキャラクターが感じることを正確に再現しなければいけません。今回の場合は、彼ら(当事者たち)こそがキャラクターそのものだったので、その問題は起きませんでした。だから、その「真ん中にいる人を飛び越える」んです。正確な「形式」があるわけではないから、これを説明するのは難しいですね。数学は公式があるから説明するのは簡単ですが……。

Q:

基本的な質問に戻りますが、「アメリカン・スナイパー」や「ハドソン川の奇跡」、そして「15時17分、パリ行き」は実際の出来事を基にしています。何が、あなたをフィクションから現実の話に移行させたのですか?なぜ、フィクションからリアルなストーリーにフォーカスしたのですか?

イーストウッド:

「なぜか」はわからないです。「あなたはなぜ何かをするの?なぜこれを今持ち上げるの?」と言われても、そうしたいから、としか言いようがないですよね。でも、ほとんどのことは、ある考えによって動かされています。本作の3人の場合、僕はある程度、彼らに頼っていました。彼らは映画のテクニカル・スーパーバイザーになる代わりに、再び「彼ら自身」になったんだ。少なくとも、挑戦するのは理にかなったことのように思えました。彼らが大変なことになった場合のために、常に備えはしていましたよ。彼らがどうなるか、何をするかまったくわからなかったから……もしダメなら、僕はプロの役者を使ってもう一度撮り直さなければいけないし、その可能性はありえた。でも、僕にとって、彼ら3人に自分自身を演じてもらうという挑戦をしないという選択肢はありえなかったんです。

Q:

テロ事件のバックグラウンドについてお聞きしたいです。ごく普通の人々がテロ攻撃を受けたりします。とくに、アメリカはもっと極化していて、お互いを憎み合い、もっとヘイトクライムが起きています。こういう状況は、もっとテロ攻撃を生み出すことになると思いますか?

イーストウッド:

それはみんなが心配していることだと思います。だからこそ、このストーリーを語る価値があるんです。なぜなら、悪い状況についての映画ではありますが、よいエンディングがあるストーリーだったからです。この数年、僕たちが見てきた多くのことには、良いエンディングがありませんでした。「道を歩いていたら、誰かに突然トラックでひかれた」なんて、一体どうしますか?ただ、そのタイミングで、その場所にいてしまっただけです。タリス銃乱射事件の場合、彼らは正しいときに、正しい子をしました。彼らは、自分たちがなぜそうしたのかはわかっていませんでした。「ただ、やっただけ」なんです。それが興味深いところです。何かの後ろに隠れているか、飛び出して何かをするか、どちらかも危険な選択肢でした。でも、その1つは、少なくとも挑戦する選択肢でした。誰もがそういう力を持っていればいいのにと思います。でも、実際そういう状況になるまで、そうするかは決してわかりません。300発もの銃弾と軍隊が使うような武器を持った相手にまっすぐ走って向かっていく……なんて書くこともできないような話ですが、実際に「できた」んです。そのことが、このストーリーを興味深いものにしているんです。とてもひどいことが起きる寸前で、犯人にとってはうまくいかないことがあった。それが、ストーリーの興味深い側面です。

もし他の誰かが立ち会っていたとして、事件を阻止できたかどうかはわかりません。僕たちの誰も、どういうことができるかわかりません。多分、ほとんどの人はテーブルの下やイスの後ろに隠れるでしょうし、それはとても賢明なことです。でも、彼は立ち上がり、まっすぐ走って行った。僕は彼に「あなたなあの時、何を考えていたの?」と聞きました。すると「なにも」という答えでした。彼は、考えていなかったんです。引き金を引かれたときには「死んだ」と思ったそうです。でも、不発だったことに気付いたので走り続けた。もしあの時不発じゃなかったら、彼は生きていなかったでしょう。

Q:

不発になったことをどう思いますか?それは奇跡ですか?

イーストウッド:

それは誰にもわかりませんが、違う角度から考えることはできます。つまり「彼の運命だった」、あるいは崇高な力か何かが「死ぬのは今ではない」と考えたのかもしれない。たぶん、みんなが違う解釈をするでしょう。僕は「ただ、不発だった」と解釈しました。でも、運命が人生をある方向に導くのかもしれないとは思います。振り返ると、僕の人生でも、助けられたのかもしれないと思える出来事が何度かありました。子どものころにも、ひどいことになり得た色んなことがありました。そういうものなのだと思います。



Q:

子どものころは北カリフォルニアにいて学校で何かトラブルがあったと聞いたことがあります。彼らの子ども時代に共感を覚えたりしましたか?

イーストウッド:

僕は経済状態があまりよくない時代に育ちました。特に、子どものころの経済状況はひどいものだったので、両親はよく引越をして、僕はすぐ転校していました。30代、40代ぐらいまで、ずっとどこか決まったところに居着くということがありませんでした。当時は誰とでも一緒にいるのが2〜3か月、長くても6か月ぐらいだったので、物事に違うアプローチをすることを学びました。周りの子たちはみんな近所に住んでいて、家庭崩壊の状況にあったり、いろいろな困難なことにみまわれていても、お互いサポートしあっていました。グループの中でみんなが違うという、そういう時代でしたが、それでも運命だとそういう風に取り組んでいました。

僕はロサンゼルス・シティ・カレッジへ通い、1単位15ドルで経営管理学を勉強していましたが、その前に軍隊にいたことがあるので、復員兵援護法のおかげで月115ドルの支援を受けていました。ところが、僕は自分がどこへ向かっているのかわからなくなってしまったのです。そのころ、誰かに「一緒に演技の授業に行かないか?」と声をかけられました。最初は「いやだ。演技の授業なんて行きたくないよ、一体それはなんんだんだ」と言っていましたが、ついに授業に行ってみたら「おお、これは面白そうだな」。だから、どこへ行き着くことになるのかなんて決して分からないものなんです。もしその夜、休みを取って「疲れたから行きたくない」って言っていたら、人生すべてが変わっていたでしょうね。誰もが、これと同じような経験をしていると思います。「なぜ、あの時赤信号で止まったのに、あそこでは止まらなかったのだろうか」とか。それは、誰もが感情移入できることだと思います。でも、乱射事件で、銃を持った犯人に向かっていった誰かに感情移入するというのは、とても大変でしょうね。

Q:

あなたも同じことをできただろうと思いますか?

イーストウッド:

わからない(笑)。試してみたくはないね。

(一同笑)

イーストウッド:

僕は、銃の安全性の強力な提唱者なんです。例えば、銃を安全な方に向けることとかね(笑)

(一同笑)

Q:

本作では、3人がナイトクラブで踊ったり、セルフィーを撮ったりと、ヨーロッパ旅行を楽しんでいるところが長く描かれています。それ自体はストーリーそのものとは関係がありませんが、なぜ1時間近くもその描写に使ったのですか?

イーストウッド:

重要な意味があるかどうかはわかりませんが、彼らのうち1人はドイツ国籍があるから、何かを再体験しようとしていたんです。他の2人は「ヨーロッパには1度も行ったことがないから、行こう!」という感じでした。多くのアメリカ人は、ヒッチハイクをしてヨーロッパ中を回り、いろんな人々や社会を見たいと旅します。その過程では、ひどい時間を過ごすことになるとは考えないし、もちろん、行かないという選択肢は出てきません。平和な国々だから、ただ「行く」です。お酒を飲んで人々と出会う、時には魅力的な女性に。彼らは、ただの少年だったということです。もし銃撃戦があることを事前に計画に入れていたら、彼らだって「家にいよう」と言っていたでしょうね。

Q:

これから先、どれぐらいの作品を監督をしようと思っていらっしゃるんですか?

イーストウッド:

まったくわかりません。

Q:

あなたが今興味を持っていらっしゃるトピックやテーマはありますか?

イーストウッド:

「他の人々を分析すること」、それが僕の仕事です。僕はただ、それについて考えるだけです。この映画でいうと、スペンサーのキャラクターみたいかな。スペンサーは若いときに宗教的なトレーニングを受けて、祈りの言葉を考えました。だから、最後に聖フランシスによって書かれた祈りの言葉を話します。僕がそうだと思っているだけですが、スペンサーは多分、僕みたいに誰か崇高な人がいたと思っていたんじゃないかな(笑) そういう人は、いたかもしれないし、いなかったかもしれない。

Q:

監督は実話に基づいたストーリーにもっと興味がある?

イーストウッド:

その通り。

Q:

今後もそうですか?

イーストウッド:

……(無言)

Q:

演技はどうですか?将来、それをやることは?

イーストウッド:

いい役がもし巡ってきたら、可能性はあります。でも、いい役は、あまり沢山はないんじゃないかな。たまに何かが巡ってくることがあるので、僕はいつも作品を探しています。でも、僕はゆっくりとやっています。走って行く必要はなくて、歩いていって決断を下します。

◆記者会見

以下はクリント・イーストウッド監督のほか、映画の出演者であり実際に事件の現場にいたアンソニー・サドラー氏、スペンサー・ストーン氏、アレク・スカラトス氏、ジェナ・フィッシャー氏をまじえての記者会見の様子です。

司会者:

イーストウッド監督、これは間違いなく本当に素晴らしいストーリーです。この映画を作ろうと思うところまであなたにとって魅力的だったのは、どういうところですか?

イーストウッド:

それについてはインタビューでたくさん話したので、もう疲れたよ(笑) 初めて新聞で読んだ時、素晴らしいストーリーだと思ったんだ。それから、数年前、カルバーシティで主役の3人に会ったとき、素晴らしかった。誰かが僕に、そこで彼らを観客に紹介するようにと頼んだんだ。とても大きな観客だった。だから僕はそうした。それから、スペンサーが、彼の本を見ることを提案した。いや、僕が彼らの本を読みたいと頼んだんだ。

(一同笑)

イーストウッド:

とにかく、彼らは(本の草稿)を送って来ると言った。彼らは書いている途中だった。そして、すべてが僕にとってとても興味深く思えた。僕はいつも、人生において、何が人々にあることをさせるのかということに興味を持っている。勇敢なことであろうと、バカなことであろうと、そうでないことであろうとね。でも時々、それらは両方であったりする。

(一同笑)

イーストウッド:

これについてはそう言えるだろうね。でもとにかく、それについてそんなに考えすぎたりしない。それは、よく考えないといけないことじゃ全くない。本を読んだ時、(そのストーリーを)語るのは興味深いだろうと思ったんだ。それから、みんながそれを解釈して、実際に作り、映画という形にすることに取りかかった。それは、僕がかなり前からやっていることで、それは興味深く思えたんだ。特に、少し遅れてやって来た人々を使っている時はね(?)。本物の3人を使うというアイディアは、、、そして、一番重要なのは、(ジェナ・フィッシャーを見ながら)僕たちのヤングレディーだよ。(彼女に)ここで代表されているプロの役者たちは、大きな役割を果たした。なぜなら、良いアクティングの癖を持っている良い人々と仕事をすると、彼らは何をするべきかについてアイディアを持っている。重要なのは、彼ら(3人)に持ち込むことが出来て、プロの役者が持ち込むことが出来ない彼らのリアリティを失わないようにすることだった。なぜなら、プロの役者は、彼ら自身を演じないといけないという考えは大嫌いだ。それをやるのは最も難しいことだ。彼らは、そういう視点から見た自分自身のことを知らない。それについて、僕は自由に話すことができる。でも、重要なのは、彼ら3人に出てもらい、彼ららしくいてもらうことだった。ジェナやみんな(プロの役者)の場合は、このことや役を、必要に応じて解釈していくんだ。

Q:

3人の皆さんは、映画ができるということになり、それもなんとクリント・イーストウッドが監督すると聞いて、どう思いましたか?アンソニーから始めましょう。

アンソニー・サドラー(以下、サドラー):

スペンサーが電話をして来て教えてくれたんだ。彼は「一体誰が電話をして来たと思う?」って感じだった。僕は、「そんなの決してわからない。誰なんだい?」と言った。そしたら彼は「クリント・イーストウッドだよ」と言ったんだ。僕は「何だって。一体彼は何が欲しいんだい?」と言った。そしたら彼は、「本を読んで、映画を作ることに興味を持っているんだ」と言うんだ。それ以上最高のことはないって感じだった。それから、彼が僕たちに、自分たち自身を演じて欲しいと言った時、それよりもほんの少しさらに良くなったんだ。



Q:

スペンサー、その電話はどうでしたか?

スペンサー・ストーン(以下、ストーン):

それは驚きだったよ。間違いなくね(笑)。正直に言って、ものすごくホッとした。彼が、僕たちのストーリーの良さをちゃんと表現してくれて、正しくやってくれることがわかっていたからだ。あまりにドラマ化しすぎることなくね。僕たちは、始めるに当たって彼にすごい信頼を持っていたし、それが最もエキサイティングなことだったよ。

Q:

アレク、あなたの心にはどういう思いがよぎりましたか?

アレク・スカラトス(以下、スカトラス):

ほとんど彼らが今言ったことだよ。ホッとしたんだ。クリントが僕たちの映画をやることについて話しをして、それに同意した時のことを覚えている。僕はちょうど「ハドソン川の奇跡」を見たところだったんだ。だから、彼がそれをできることがわかっていた。それが最近の彼の得意分野だということを知っていた。それががっかりするものには絶対ならないことがわかっていた。僕たちは、本当に正直に、彼が監督することになったことに、すごく興奮したし、ホッとしたんだ。

Q:

そして、もちろん他のプロの役者さんと話しても、ミスター・イーストウッドの作品にまず出たいと言いますが、、、ジェナ。あなたもそういう電話をもらいたいですよね?

ジェナ・フィッシャー:

そうね。映画業界では、誰もが、クリント・イーストウッドが自分たちが一番に仕事をしたい人であることを知っているわ。(クリントに向かって)あなたの映画を私がやって以来、私の役者友だち全員が言うの。「それは本当なの?全て本当なの?よく言われている、クリント・イーストウッドの映画で仕事をするのは今までで最も素晴らしいというのは本当なの?」とね。そして、それは100%本当なの。

イーストウッド:

あなたは、今後 本の(僕の)映画に出ることになるよ。

Q:

(一同笑)

フィッシャー:

私はなんでもやるわ。あなたたち全員が聞いたでしょ。あなたたちは、私のことを次の4つのジャンケットで見ることになるわ。オッケーよ。いいわ。

Q:

(一同笑)

Q:

3人のヒーローへの質問です。クリント・イーストウッドの映画で役者になることについて教えてください。この職業は、あなたたちが今後希望するものでしょうか?

スカトラス:

僕らは少なくとも、それを是非やってみたいと思っている。それは僕らにとって、とても新しい経験だった。僕らはそのことにとても関心を持つようになった。それはとても楽しかった。少なくともそれをトライし、それがどこに僕らを導くかを見てみることは避けられないね。

ストーン:

そうだね。間違いなく、それは、僕の人生で最高に楽しい二ヶ月だった。だから、もし自分がそこからキャリアを築くことができたら、僕は間違いなくそれを気にいるよ。それとそのプロセスは面白かった。なぜなら、自分自身についてもっと多くのことを知ったように感じた。そして、(自分の中の)ある不安と向き合うことができた。なぜなら、僕はそういったことの初めにいて、自分自身を演じていた。(そして)多くの人たちに永遠に見せるものを(役者として)拾い上げたり、選ぶんだ。そして、そういったことを忘れて、それについて心配しないようにすることを自分自身に教えることができた。そういったことは、長い目で、人として、僕にとって良いことだったね。

サドラー:ミスター・イーストウッドが、僕らにそれを試みる上で自信を与えてくれた。僕らにとって、それが可能性の範囲でもなかったときにね。そして、そのプロセス全体を通して、彼を僕らの先生として持ったことは、僕らにそれを進める勇気を与えてくれた。そのことが、(この映画の)後も、それを追いかけていく自信を僕らに与えてくれたんだ。だから、それはちょっと二つのことだ。それをトライする自信と、またそれをさらに追いかけていくことだね。

Q:

3人への質問です。原作と最終的な脚本の間に、何か大きな違いはありますか?観客には、この映画を見てどんなことを持ち帰ってもらいたいですか?

サドラー:本と脚本はとても近いと思う。なぜなら、それは本を基に書かれていたのと、僕らはまた、脚本にも自分たちの意見を入れさせてもらった。だからそれはとても近くて正確だよ。二つめの質問はなんだったかな?

Q:

観客に、映画を見てどんなことを感じてもらいたいですか?

サドラー:観客には、それが3人の普通の男たちであることを伝えているのを期待している。自分たちの中に何か特別なものを持っているのは僕らだけじゃないんだ。人々が、僕ら全員かその中の一人に自分を重ねて、僕らの中に彼ら自身を見つけてもらえるといいね。それとまた、僕らがしたことからインスピレーションを得て、自分たちの人生の障害を乗り越えたり、自分たちにも特別なことがやれると知ってもらえるのを期待している。

ストーン:

彼は、それについて全ての答えを独り占めにしたね。

(一同笑)

ストーン:

その通りだね。

スカトラス:

でも、僕は、「本はちょっと面白い」と言うよ。なぜなら、それは、その日何が起きたかと、人生全体についての僕らの視点なんだ。それに対して、映画はもう少し、僕らみんなで共同で作り上げた感じだ。最終的なストーリーを作るのにね。そして実際、僕らは、映画作りのプロセスを通して、その日何が起きたかについて多くことを学んだ。マルパソのプロデューサーたちがやったリサーチを通してね。だから映画は、最後にできるだけ正確にストーリーを語る上で良い仕事をしていると思う。そして、それが僕らが望むものだ。何よりもそれが正確であることはね。

Q:

ミスター・イーストウッド、私たちは今、ヒーローという言葉をよく聞きます。あなたにとってのヒーローは誰ですか?この映画で、ヒーローのコンセプトを分析しようとしましたか?普通の人々の、なにがヒーローとなるのでしょう?

イーストウッド:

何がヒーローを作るかはわからない。それはまさにこの映画についてだ。それかこの本や、この連中についてだ。サクラメントは、普通の都市だ。それは大きな都市だ。僕は若いときにそこに住んでいたことがある。実際、そこには2度住んだ。僕は、そこに慣れるとことは出来なかった。

Q:

(一同笑)

イーストウッド:

そうなんだよ。

ストーン:

あなたは今そこには住んでいません。

イーストウッド:

でも、事実は、自分たちに何が起きるか知っていて(どこかに)向かう人はいない。何が起こるかわからずにその場所に行くんだ。私たちは今、車を運転していて、、または、誰かがあなたを見て、歩道に(車で)乗り上げてきて、あなたを殺そうとするような世界に住んでいる。この世代では、私たちはあらゆる奇妙なことと向き合っている、そして、時々、それについて考えることを止めて、「もしそこに自分がいたらどうするだろう?もし僕がバルセロナの道を歩いていて、突然車がやってきたらどうするだろう?」となる。そして、自分に何も出来ないことに気づくんだ。なぜなら、運命がその一部を担っている。そういったことがこのボーイズたちに起きたんだ。彼らが違う環境だったら、、彼らは大人になった時、軍の一つの支部に出かけて行って、(軍に)加わる。彼は軍に入るけど、自分が入りたかったところに入ることは出来なかった。そこで起きたいくつかの状況が、彼を応急処置に配属する。そして、そのことが、彼をその状況に置き、その最終的なこと(応急処置を本当に施すこと)が人生のこの出来事で起きるんだ。自分たちに銃を向けた人に向かって行くというクレージーなことをするだけでなく、列車の上で実際に撃たれた一人の人の命を救うんだよ。だから、多くのことが、とても短い時間に起きる。そして、彼らは振り返ってそれを見て、飛び込んで、みんながそこに入っていって、一緒に倒れる。ある時点で、他の乗客たちも、小さい方法で手助けする。人々には途方もないことがやれる。でも時々、何か他のことが加わる。もし宗教心が強ければ、あなたは、「私には神がついていたのか?」とか、「守ってくれる天使がいるの?」とか、「そこには何かがいるのだろうか?」となる。気まぐれな運命があって、あなたたちがここにいるんだ。それと共に生きるんだ。僕らはみんな、この世界の出来事や、自分たちの運命と共に生きないといけない。でも、何かこういった出来事と同じぐらいトラウマとなる何かが起きる時は興味深いものがある。その列車に、300人から400人の間の人たちが乗っていた。そして、三つの武器を持った人がやってきたんだ。少なくとも数百人を相手にした弾薬を持ってね。それはひどいことになりえた。この出来事は歴史において最悪の日になりえた。でも、誰も死ななかった。そのことは自分の人生について考えさせることになる。「その立場に自分がいたらどう反応するだろう?」とね。(それは)誰にもわからない。そこには答えはない。実際に自分でそれをやるまでね。そして、彼らはそれを実際にやったんだ。だから、彼らは多分、物事に対して、僕らよりも少し違う見方をするだろうね。

Q:

あなたのストーリーは、この3人の友人たちの小さなストーリーに戻って、いかに彼らが経験してきた小さなことが、その後何年もして、彼らがあの日を救うことに結びついたかを描いています。

イーストウッド:そうだね。

Q:

多分、あなたのキャストがそれについて話せると思います。彼らが学校にいたときの小さな出来事や、彼らが軍隊で学んだことが、あの日を救う手助けになったんですよね?

スペンサー:

そうだね。間違いなくね。僕とアンソニー、アレクの人生、子どもの時を通して、僕らは常に、何か満たされたない気持ちを持っていた。僕らの人生がいかに、この方向に自分たちを導いたかというのはちょっと奇妙だ。きっと、人々はそこから得ることができる。もし彼らが、自分たちが今いる場所にあまりハッピーに感じていなかくても、少なくともそれを(そこでやっていることを)ものにすることができる。「なんでも自分が今やっていること、それが小さくても大きくても、それは僕にとって後でとても役立つかもしれない」と感じることでね。何が起きるか、あるスキルや経験がいつ必要になるかは決してわからないんだ。

サドラー:その過程で成功と失敗を見せるのは重要だと思う。なぜなら、それはこのジャーニーをとてもリアルにしている。映画の中ではしばしば、全ての道は成功に繋がっているといった感じだけど、僕らのストーリーでは、成功や失敗のとてもリアルな要素に自分を重ねることができる思う。そして、時々、そういった成功と共に失敗もまた、自分が気づかない道に導くんだ。それは、人生のジャーニーのもっと大きな絵の一部なんだ。本当にね。

Q:

ミスター・イーストウッドへの質問です。彼らが演技するのは初めてです。そう行ったことを踏まえて(演出に関して)違うアプローチをされましたか?それから、3人への質問です。あなたたちが自分で自分の役を演じると知る前、誰に自分自身を演じてもらうことを夢見ていましたか?

イーストウッド:多分、彼らが先に答えるべきだね。

Q:

(一同笑)

スカトラス:

僕はザック・エフロンに自分を演じてもらいたかった。

ストーン:

クリス・ヘムズワースだね。

サドラー:

マイケル・B・ジョーダンだね。

イーストウッド:

クラーク・ゲーブル、ケリー・グラントもありだね。

Q:

あなたのアプローチについて聞かせてください。

イーストウッド:

僕がどうアプローチしたか?

Q:

(今までと)どう違いましたか?

イーストウッド:

僕はちょっとゲリラ・スタイルで撮影した。彼らのことを知って、撮影することになるアドベンチャーのテクニカルな面について彼らと話した後、、ある日、「彼らにやれるかも」と思ったんだ。「それは面白いかもしれない。彼らは、プロの役者にとってやるのが難しいリアリティを持ち込めるかもしれない。素晴らしい演技を見れるかもしれない」とね。「もし彼らがそれをやることができたら、その真実が出てくるだろう」とね。もし彼らがリラックスし、そのままその出来事を追体験することができたらね。僕は彼らなら良い仕事がやれると思ったし、(実際)そうだったんだ。

Q:

これはジェナへの質問です。先ほど、あなたは、「彼との仕事では、それは本当ですか?」といったことについて触れていました。そして、今それを経験されたわけですが、彼はどのように撮影するのですか?

フィッシャー:

彼がそれをどうやるかわからない。彼は、他の人が読むための本を書かないといけないわ。ハンドブック(入門書)のようなものをね。それは配られないといけない。あなたのチーフ助監督は、全ての他のチーフ助監督たちのために本を書く必要があるわ。でも、まず第一に、映画にキャストされたら、ある感覚があるの。なぜなら、自分のことを彼がとても信頼していて、彼がしないといけないことはあまりないの。それは役者にとって、現場にやってくる上で、素晴らしいフィーリングよ。そういった自分たちの監督の信頼が、役者としての自分自身の自信に繋がるの。でも、それから、ジュディ・グリアとのシーンをやっていたときのことを覚えている。私たちは(そこで)コーヒーを飲んでいて、(クリントに向かって)あなたは、「ねえ君たち、少しお互いに話をしてから、シーンを始めて」と言ったわ。それはとても素晴らしかった。なぜなら、そうすれば、そのシーンは、そういったとても重要なセリフで始まらない。それはちょっと流す感じで、あなたは私たちがそこにたどり着くまでのそういった部分は使わなかった。でも、それが私たちをそこに導いたの。それは、他のすべてがもっと自然に感じられるようにする素晴らしい(一息の)間になったわ。

Q:

もっとオーガニックになったわけですね。

フィッシャー:

オーガニックね。そうね。

イーストウッド:

僕にもわからない。

(一同笑)

イーストウッド:

僕には自分が使うちょっとしたトリックがある。シーンの終わりで、もし僕が「ストップ」と言えば、それで終わりなんだ。そして、それをもう一度やるか、違うショットをやるか、となるでも僕が「カット」と言えば、それは「ストップ」と同じ意味だけど、カメラ・オペレーターは回し続けるんだ。つまり僕は(カメラを)回し続ける。そして、人々がその後何をするか見るんだ。僕はいつも魅了される。映画をやっているときにね。時々、「ストップ」とか、「アクション」とか、「カット」と言った後、「カット」と言うと、みんなはちょっと一息つく感じだ。そして、彼らは違うことをし始める。それは僕が欲しい違うものなんだ。だから時々、僕はそれをする。彼女が述べていたような(会話の)きっかけをしたりする。あなたたち自身で話して、調子が出てきたら、「さあやろう」となるんだ。余計なことはせずにね。僕が最初に演技を始めたとき、スタジオに行くと、ベルを鳴らすんだけど、そのベルが耳を完全に聞こえなくする。そして、人々は立ち上がって叫ぶんだ。助監督は、思いっきり声を出して、「静かに!静かに!」と叫ぶんだけど、周りを見回すと、誰も音を出したりしていない。でも、彼らは「静かに!」と叫んでいる。映画業界では、そういったクレージーなことが習慣になっていた。特に昔は、みんながお洒落をしたがった。でも、映画作りの映画でそういったことが表れているのを見れる。「サンセット大通り」とかでね。(セシル・B・)デミルやみんなが叫んでいるのをね。そして、そういうふうに叫ぶことは助けにならない。全ては、ある静けさがあって、突然シーンになるんだ。もしそのシーンが、悪い奴らが丘を越えてやってくるものだったら、多分、あなたは叫び始める。でも、全てのシーンがそうじゃない。でも、(昔は)全てのシーンがそうだった。そして、歳を重ねながら、習慣を学ぶんだ。僕はそれをとてもうまくやってきた。いくつかアイディアを思いついたら、それらを続けていく。なぜなら、うまくいくことを続けるんだ。そこで経験が役立つんだよ。僕らの連中(この3人)の場合、僕らは、彼らにそういった知識を持って欲しくなかった。僕らは彼らにそのままでいて欲しかった。先ほど言ったように、それはとてもタフだ。プロの役者、とても良い役者に向かって、「あなた自身でいてくれ」と言うと、彼らは、「僕は誰だ?わからない」となる。彼らは、自分が誰か分からない。だから僕は役者なんだ。僕は他の誰かのふりをしているんだよ。そして、心理学のレッスンに入っていかないで、うまくいくちょっとしたギミックを見つけるんだ。子どもと仕事をするのは特に面白い。なぜなら、子ども達は、世界で最も素晴らしい役者たちだ。(でも)「アクション」と叫ぶと、彼らはひどいことになる。

(一同笑)

イーストウッド:

もし彼らがこういったことを克服していなければね。でも、彼らは素晴らしい役者たちだ。そして大人になると、「なぜ、何人かとても素晴らしい子役たちが、大人の役者になった時にとても下手になるのだろう?何があったのだろう?あれだけの経験があるのに、」と思ったりする。彼らは今大人の役者になって、考え過ぎているんだ。

Q:

3人のヒーローへの質問です。この事件の後、本を出版し、この映画の主役を演じました。あなたたちは、想像もしなかった人生を生きていると感じていると思いますが、演技以外で、今後どんなことをしたいと思っていますか?何か予定はあるのでしょうか?

スカトラス:

正直言って、僕らはただその日その日をこなしている感じだと思う。特にこの2年間の人生はローラーコースターのようだった。次に自分たちが何をするかは分からないし、自分たちがやるだろうと思うことを想像することも出来なかった。もしこの2年間を見たらね。だから、僕らは一度に一日ずつこなそうとしている。そして、それがどこに向かうかを見てみるんだ。でも、あなたが言ったように、僕らは間違いなく演技をすることをトライするよ。それとまた、少しスピーチをやったりする。基本的に、その日起きことについてのメッセージを伝えるんだ。

ストーン:

そうだね。人生で僕がやることがなんでも、ポジティブなものであるのを期待している。でも、アレクが言ったように、僕らは一日一日を生きている。もし僕が、クリント・イーストウッドから何かを学んだとしたら、その瞬間をただ生きるんだ。あまり先のことを考えずにね。なぜなら、僕はただ時間を浪費しているんだよ。明日何が起きるか分からないし、僕が何をするか分からない。だから、僕はただ自分の目の前にあることに全力で集中するんだ。

サドラー:

彼らが言ったことは基本的に、ミスター・イーストウッドは、僕らに新しいプラットフォームを与えてくれた。明らかに、自分たち自身を演じて、自分たちのストーリーを語るためにね。だから、僕らは基本的に今そのスペースにいる。演技をやることを追いかけようとする以外にね。そこでは、僕らは、どうやってそのプラットフォームを前向きなやり方で利用し、ポジティブなメッセージを奨励し続けられるかを見つけようとしている。これについてだけでなく、自分たち自身を例にね。

Q:

クリントはイタリアのことをよく知っていますが、役者の人たちにとって、多分初めての(ヨーロッパ)旅行だったのではないかと思いますが、ローマでの撮影はいかがでしたか?コロシアムやフランスはいかがでしたか?

サドラー:

素晴らしかった。僕は、バーバンクで映画を撮影すると思っていたんだ(笑)。僕は、ミスター・イーストウッドに聞いた。僕らが関わることになった後、「ボス、僕らは映画をどこで撮影するの?」とね。そしたら彼は、「僕らはその旅行をも一度やるんだ」となった。僕は、「ヤッタ!」となったよ。

ストーン:

そうだね。僕はアンソニーの後ろにいて、でも、ローマは僕にとってとてもクールだった。なぜなら、初めてそこに行ったとき、僕はほとんど足首を折りそうになった。だから、何も見なかった。そして、(また)戻って、ローマを駆け足でツアーしたよ。だから、それはその旅行で何かとてもクールなことだった。

スカトラス:

そうだね。僕らが撮影しているとき、実際には、僕がリアとドイツにいたとき、彼らはベニスにいたんだ。だから、それは僕にとって初めてのベニスだった。それは実際とてもクールな経験だった。とてもナイスなホテルに滞在して、クリント・イーストウッドとクルーと、ベニスで映画を撮影しながら走り回っていた。ものすごく楽しかったよ。

フィッシャー:

質問があるわ。列車での瞬間を再現するのは、あなたたちにとって、感情的にどうだったの?それを経験するのはとても大変なことだったと思うけど、それをまた経験するのはどうだったの?誰かそのことについて聞いたりした?

(一同笑)

スカトラス:

僕らは実際、それについてたくさん聞かれたよ(笑)。

サドラー:

ほとんど全てのインタビューでね。

フィッシャー:

わかったわ。グーグルするわ。先に進んで。なぜなら、私は、あなたたちがそれをする前に、あなたたちに聞いたわ。「ナーバスになっている?それについてどう感じているの?」とね。そしたら、あなたたちは、なぜなら、私たちがフランスにいたとき、私たちは大統領府(官邸)で撮影して、それはとても素晴らしかった。

ストーン:

僕らはなんと言ったの?

フィッシャー:

あなたは、ちょっと躊躇している感じで、「分からないけど、僕は大丈夫だと思う」と言ったわ。あなたたちは男の子っぽく振る舞っていたわ。

スカトラス:

正直に言って、とても楽しかった。

イーストウッド:

それはまさに、。

フィッシャー:

それは私の母親としての質問ね。私はあなたたちの母親だったの。

イーストウッド:

僕は同じ質問を何度も何度も彼らにしたよ。なぜなら、あなたの答えは、「アアア〜」で、。

Q:

(一同笑)

イーストウッド:

僕はスペンサーに言った。「あなたが立ち上がったとき、それはどんな感じだった?何があなたを、今ある最も恐ろしいライフルの一つAK-47を持ったこの男に真っ直ぐ走らせたの?」とね。そしたら彼は、「何もないよ」と言った。彼は何かについて考えたりしていなかった。そして、やっと彼から、彼が不発の音を聞いたとき、彼自身がもう一度生きていて、自分が殺されないことに気づいたということを聞き出した。そこで少し彼に変化があったんだ。でも、僕ら普通の人たちは、それらの質問が知りたいんだよ。

ストーン:

まともな人たちはね。

イーストウッド:

そして、列車でのマークとイザベルへの僕の最初の質問は、「こういった演技をすることは、あなたたちにとってカタルシスのような感じかい?これに戻って、それをもう一度経験するのは?」というものだった。なぜなら、ボーイズたちにとっては全てオッケーだった。彼らは、「それは自分たちを助けることになる」と言った。(でも)マークは、本当に撃たれて死にかけた。それ(弾丸)は彼の背中を突き抜け首の方に行って、頸動脈を破った。もちろん、頸動脈は、ふるいにかけたみたいに出血する。

もしみんなが適切に処置しなかったら、彼は死んでいたし、彼もそのことは知っていた。そして、それを振り返ることに関して、彼は「もちろんだ」と言った。彼らがそのことを依頼され、彼らがそこに戻ってそれを再体験する機会に飛びついたのは、とてもありがたいことだったよ。

Q:

ミスター・イーストウッドへの質問です。最初の方のシーンで、彼らの部屋の一つで二つの映画のポスターが貼ってました。一つは、「フルメタル・ジャケット」で、もう一つはあなたが監督した「硫黄島からの手紙」でした。それは事実に基づいているのですか?それとも……

イーストウッド:

彼らがそれを壁に貼っていたかどうかは……僕は彼らがこの旅行をしていた時の写真を見ていた。アレクは、クリント・イーストウッドのスウェットシャツを着ていたと思う。そして、(プロダクション・デザイナーの)ケヴィン(・イシオカ)に言った。「なぜクリント・イーストウッドのスウェットシャツなんだ。それは僕のヒッチコック・モーメント(ヒッチコックが自分の映画に一瞬登場するのと重ねて)だ」とね。それで、彼は、一つのシーンでそれをやったんだ。それは(事実と)全く同じではなかったけど、、。

サドラー:

僕らは彼に出ることをお願いしたんだ。それについて彼の意見を変えることは出来なかったけど……

(一同笑)

イーストウッド:

男は、いつその外側にいるべきかを知らないとね。

(一同笑)

Q:

ミスター・イーストウッドへの質問です。あなたはアメリカの新しい世代や未来の子ども達について楽観的に見ていますか?

イーストウッド:

それはタフだ。今はタフだね。アメリカだけじゃなく世界中においてね。その状況はね。こういった状況は起こりえるし、僕らがパリで撮影しているとき、似ている状況があった。スペインでひどいことが起きていた。それとカンヌやいろんな場所でね。僕らは異常な時代にいるように感じる。それを考え過ぎたら、落ち込むことになる。でも前に進まないといけない。この出来事は、そういったことにとても素晴らしい結末をもたらしたし、それは語る上で価値のあるものに思えるよ。

イーストウッド監督がテロの「真実」に迫る映画「15時17分、パリ行き」は2018年3月1日公開です。

映画『15時17分、パリ行き』日本版予告【HD】2018年3月1日(木)公開 - YouTube

◆「15時17分、パリ行き」(THE 15:17 TO PARIS)情報

3月1日(木) 丸の内ピカデリー、新宿ピカデリー他 全国ロードショー

配給:ワーナー・ブラザース映画

上映時間:1時間34分

指定:G

キャスト:アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーン、ほか

監督:クリント・イーストウッド(『アメリカン・スナイパー』『硫黄島からの手紙』『ハドソン川の奇跡』)

脚本:ドロシー・ブリスカル

撮影:トム・スターン

衣装:デボラ・ホッパー

編集:ブルー・マーレイ

美術:ケビン・イシオカ

原作:アンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーン、ジェフリー・E・スターン「The 15:17 to Paris: The True Story of a Terrorist, a Train, and Three American Heroes」に基づく

©2018 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC., VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT INC.