(左から)羽生結弦、田中刑事、宇野昌磨(写真/共同通信社)

写真拡大 (全4枚)

「やりきれたな、という演技でした。右脚に感謝しかないです」

メダルを持つ羽生と宇野はコチラ

 羽生結弦が66年ぶりに五輪連覇という快挙を成し遂げた。昨年11月の負傷で治療に専念し、ぶっつけ本番で迎えた平昌で大仕事をやってのけた。

3人はとても仲良し

「2月16日に行われたSPで、羽生選手は不安を完全に吹き払う演技を見せました。フリーでは着氷の乱れはあったものの、本当にケガをしていたのかと疑いたくなる仕上がりでしたね。場内では誰よりも歓声があがり、注目が集まる中での圧巻の演技。“絶対王者”の貫禄を見せつけました」(スポーツ紙記者)

 好敵手として名が挙がっていたネイサン・チェンらが五輪の魔物に牙をむかれる中、日本のもうひとりのエース宇野昌磨は緊張に打ち勝った。

「SPは完璧な演技。フリーでは、緊張感が最大限になる最終滑走ながら、得点源となる3連続ジャンプを決めて観客を魅了しました」(同・スポーツ紙記者)

 SPで3位だった宇野は、2位のハビエル・フェルナンデスを逆転し、銀メダルを手中に。世間はワンツーフィニッシュの快挙に沸いた。

 田中刑事はSPの失敗をフリーで挽回し、順位をアップ。

「今大会では4回転がなかなか決まりませんでしたが、フリーでは冒頭の4回転サルコウを決め、意地を見せつけました。現地入りしてから4回転の調子がよかったので、本番でのミスは悔やまれます。しかし、ほかの要素は加点がつくような素晴らしい演技でした」(同・スポーツ紙記者)

 羽生と宇野という2大スターの前では田中の印象が弱いが、実は2人の好調を支えていたのが彼なのだという。

「競技ではライバルですが、3人はとても仲よし。お互いに影響を与え合っています。氷を離れると、いちばん常識人の田中さんが2人を気遣ってサポート役になっているんです」(スケート連盟関係者)

 田中は現在、兵庫県を拠点にして練習しており、後輩たちのいい兄貴分となっている。

刑事の膝に座る昌磨

「休みの日など、後輩を2〜3人連れて銭湯に出かけていくんです。面倒見がよくて、昨年の年末に地元・倉敷のリンクに帰って五輪出場の報告がてら滑り納めをしたときは、小さい子たちに囲まれて大人気だったそうです」(同・スケート連盟関係者)

 田中は子どもたちだけではなく、3歳年下の宇野に対しても、兄のように接しているという。

「ジュニア時代の宇野くんは田中くんのあとをくっついて歩いていました。宿泊先で同じ部屋になると、彼が遠征に慣れない宇野くんに洗濯を教えている姿を見たことも。宇野くんのコーチが“いつもごめんね”と恐縮していました。田中くんは“僕がやるんで、大丈夫です”と胸を張り、兄というより頼れるお父さんのような感じでした(笑)」(スポーツライター)

 家に帰れない試合の夜は、カードゲームの『遊戯王』で対戦。会場はもっぱら、ホテルの田中の部屋だそう。

「田中選手はきれい好きで、部屋がすごく居心地がいいんだそうです(笑)。'16年に行われた四大陸選手権では、フリーを終えてウェイティングルームに残ったときに田中選手のひざに宇野選手がちょこんと座ってたところがテレビに映っていました。本当にお父さんと子どもみたいでしたよ」(前出・スポーツ紙記者)

 田中が宇野を放っておけない理由のひとつが、彼が“不思議ちゃん”だということ。

「スケートが好きすぎてほかのことに興味がないのかも(笑)。食事は大好きな肉ばかりで、野菜は年に数回しか食べないという子どもみたいなところがあるんです」(前出・スケート連盟関係者)

 幼いころから天才少年ともてはやされた宇野は、常人とはかけ離れた感性を持っているのかもしれない。初めて彼がリンクにやってきたときのことを、名古屋スポーツセンター営業部の堤孝弘さんは今も覚えている。

「昌磨が3歳のときですね。普通はその年だと父母の手を借りないと滑れません。だけど、彼はすぐに氷の上をトントントントンと、歩いていましたね。思わず“えっ!”と声をあげてしまいましたよ。まったく氷を怖がっていませんでしたから」

 それを見た浅田真央も驚き、

「フィギュアやりなよ」

 と、声をかけて可愛がったというのは有名な話だ。

「子どもですから失敗すると泣くんですが、それでも食らいついていましたね。負けず嫌いでした。幼稚園、小学校が終わると毎日午後6時まで滑り、その後も自分のチームの練習をしていました。今でも黙々と練習している姿を見ると、あのころと変わっていないと思います」(堤さん)

 フィギュア漬けの生活だったせいで、演技のこと以外には無頓着になってしまったのだろう。'15年の四大陸選手権で五輪について聞かれたときは、“平昌って韓国なんですか?”と答えていた。

「本当に知らなかったようですね。短いスケジュールの中で連戦になるグランプリシリーズでは、“次ってどこに行くんでしたっけ?”と次の試合場所を聞いていたことも」(前出・スケート連盟関係者)

 そんな宇野をアニキ肌の田中は放っておけなかったのだ。

「女房みたいな存在」

 年下の宇野だけでなく、同期の羽生も田中には信頼を寄せている。田中は羽生と同い年。日野龍樹と同期3人で、切磋琢磨してきた。

「小さいころは大会によって表彰台に立つ位置が違っていましたね。かわるがわる順位が変動するので、三者三様に悔しかったんだと思いますよ。ジャンプの習得も競争状態。“あいつが跳べたなら、俺だって!”となっていたのだと思います。誰もが苦労するトリプルアクセルも、この3人は早く習得していました」(同・スケート連盟関係者)

 今も顔を合わせれば、

「お互いに大会で姿を見つけると、スーッと寄っていく感じがあります。高校生くらいまでは、自然に肩を組んでいましたね。少し背の高い田中さんの脇に羽生さんがおさまってる感じでした」(同・スケート連盟関係者)

 はたから見ると、まるでカップルのように見えるが、羽生は田中のことを、

「女房みたいな存在」

 と語っている。田中は気の休まる相手ということらしい。

羽生の隣にはいつも……

「“絶対王者”と呼ばれるように、羽生くんには近寄りがたい雰囲気があります。でも、ふだんは意外とおしゃべりするタイプ。逆に田中くんは寡黙で、だいたい羽生くんの話を聞いて“うんうん”“へー”などと、聞き役に徹していることが多いんです。

 羽生くんは頭の回転が速いからなのか、会話のテンポも速い。昔から付き合いがあって、自分のペースで矢継ぎ早に話してもビックリしない田中くんとのおしゃべりは、気が楽なのではないでしょうか」(前出・スポーツライター)

 タイプが違うからこそ、お互いに居心地がいいのだろう。

「羽生選手は団体戦に出ませんでしたから、現地入りはほかの選手よりも遅れました。公式練習がケガ明けの彼のスケーティングを確認する初の機会で、報道陣もライバル陣営も大注目。緊張感のなかで、羽生選手の隣にいつも陣取っていたのが、田中選手でした」(前出・スポーツ紙記者)

 平昌では必勝アイテムを持ち込めず、羽生は不安な思いだったかもしれない。

「いつも手にしていたプーさんのティッシュケースが商業目的のものとされて、NGだったんです。今回は泣く泣くショートケーキのケースにしていましたね。彼がプーさんのティッシュボックスを使っているのは、見ていると安心できるから。心細さを和らげてくれたのが、隣にいた田中さんの見慣れた顔だったんじゃないでしょうか」(前出・スケート連盟関係者)

 世話好きで面倒見のいい田中がいたからこそ、羽生も宇野も自分の力を最大限に発揮することができたのだ。

「羽生さんも宇野さんも、もちろん実力は十分にある選手。2人が特別バチバチ火花を散らすような間柄というわけではなく、どんな選手にでもあることですが、本番前はやはりピリピリした空気感になるんです。そんななかで田中さんがいるからこそ、お互いにリラックスできたこともあったと思います」(同・スケート連盟関係者)

 もちろん田中も、気心の知れた2人と一緒だからこそ、今できるベストを尽くせたはず。今回の彼らの大活躍で、次世代の男子選手も、希望を持ったに違いない。

「昔は10人に1人ぐらいの割合でしたが、今は5人に1人が男の子。少し前から高橋大輔さんや小塚崇彦さんの影響もあって徐々に増えていましたが、宇野くんの影響は大きいですね」(堤さん)

 田中に可愛がってもらったように、宇野も後輩を可愛がる日が来るかもしれない。

 今回の輝かしい成果を“弟分”たちはその背中から感じ取るのだろう─。