2月9日の平昌五輪開会式にて。マイク・ペンス米副大統領(手前)と金正恩氏の実妹である金与正氏(右)(写真:Yonhap via REUTERS)

平昌五輪では、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の妹、金与正氏と韓国の文在寅大統領との会談が大きく報じられた。南北首脳会談の可能性も報じられ、特使としての与正氏訪韓に対して、文氏も特使派遣を検討するとも伝えられている。


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こうした南北融和ムードに対してドナルド・トランプ米大統領はどのように対応するのだろうか。

五輪開会式レセプションに出席したマイク・ペンス米副大統領は、米ワシントンポスト紙とのインタビューで北朝鮮に対し「最大限の圧力と関与を同時に進める」と基本姿勢を示したうえで、北朝鮮が望めば「話をする用意がある」と米朝対話の可能性を示唆した。

北朝鮮に対する姿勢は一貫している

米朝対話の可能性については、すでに本連載「トランプは『北朝鮮への特使』に誰を選ぶのか」で詳述したように、トランプ大統領自身、北朝鮮への特使の派遣をネゴシエーション戦略の選択肢の一つとして考えている可能性は十分ある。


公演を終えた三池淵管弦楽団に拍手を送る(前列左から)玄松月団長、金与正氏、文在寅大統領(写真:February 11, 2018. Yonhap via REUTERS)

ただし、韓国の文大統領が北朝鮮に振りまいている「底の浅い広報」のような融和ムードは、トランプ大統領にはまったくない。「生き馬の目を抜く」競争主義のウォール街からさえも、長年、評価されている「ディール(取引交渉)の天才芸術家」としてのトランプ大統領だからこそ、必要であれば、その独特のネゴシエーション戦略を駆使する用意があるということだ。

トランプ大統領の北朝鮮に対する姿勢は一貫している。それは、1月30日の一般教書演説でも明らかだ。この演説でトランプ大統領は、北朝鮮を「残虐な独裁体制」「邪悪な政権」と非難し、その政権の「不気味な性質を目撃した証人」として、脱北者のチ・ソンホ氏を議場に招待した。


一般教書演説が行われたワシントンの議会で、松葉づえを掲げ聴衆に応える脱北者のチ・ソンホ氏(写真:January 30, 2018. REUTERS/Jonathan Ernst/File photo)

トランプ演説によると、チ・ソンホ氏は北朝鮮に住んでいた少年時代、飢餓に苦しみ、食料と交換する石炭を盗もうとしたが、空腹のため線路上で気を失い、列車にひかれて左足を失った。その後、自由を求めて脱北を決意し、松葉づえをついて中国、東南アジアを歩き回った。現在、韓国のソウルに住み、脱北者の支援にあたる一方、北朝鮮政権が最も恐れている「真実」を北朝鮮向けに放送しているという。

そのようにソンホ氏を紹介したトランプ大統領は、「ソンホさん、あなたがたどってきた長い道のりを忘れないように、いまでもその古い松葉づえを持っていますね。その大きな犠牲は私たちすべてに感銘を与えるものです。その体験は、すべての人の魂が自由の中で暮らしたいと願っていることの証しです」とたたえた。

すると、議場は総立ちとなり、拍手が湧き起こった。トランプ大統領に促されて立ち上がったソンホ氏は、その古い松葉づえを高々と掲げて、満場の拍手に応えた。その様子はテレビにも大きく映し出された。

日系人に対する人種差別的偏見がない

その場面を見ながら、筆者は同じアジア系の人間としての感慨を抱かずにはいられなかった。それは、アジア系の人々に対する人種差別的偏見が、トランプ大統領にはないのだな、という感慨だ。

筆者自身、これまでにさまざまな人種差別的偏見に遭遇してきた。その屈辱を自らの努力もさることながら、エリオット・リチャードソン氏(保健教育福祉長官、国防長官、司法長官、商務長官と米国史上初めて4つの閣僚ポストを歴任)のような、高潔にして見識の高い人たちの知遇・支持を得ることで克服することができた。

そうした体験から、今回のソンホ氏に対するトランプ大統領の厚遇ぶりを目の当たりにすると、まさに人種差別的偏見がみじんもないと受け止めることができる。

実は、そのことを米メディアのほとんどが気づいていない。

特に「反トランプ」メディアは、西海岸のハリウッド勢力に支配され、そのハリウッドは白人至上主義の聖地として、アジア系の人々に対する人種差別的偏見が強いことで、長年、知られる。

その傾向は、「黄禍論」に代表されるように、19世紀の昔から欧米社会のコンセプトとして存在し、第2次世界大戦中には、日系人から財産を奪い、強制収容所に隔離するに至った。

日系人に対する人種差別的偏見が少なくなった一つのきっかけは、エズラ・ボーゲル著『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が発売されたことだろう。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が世に出たのは1979年だったが、それはトランプ氏が不動産ビジネスの世界で実力を発揮し始めた時期と重なる。

「ディールの天才」と言われるようになるトランプ氏が、ジャパンマネーと競い合った時期である。不動産王として、厳しい競争に勝ち抜いたトランプ氏は、当時、日本のビジネスをライバルとして認め、ビジネスに携わる日本人を高く評価していた。

その当時から、トランプ氏には人種差別的偏見はまったくと言っていいほどなかったのだ。そのトランプ氏の偏見のなさと、いまだにその偏見を引きずっている一部の米メディアとは決定的に違っている。

アジア歴訪で見せた「トランプ流」の配慮

北朝鮮からの脱北者ソンホ氏を讃(たた)えた一般教書演説は、まさにアジア系に対する人種差別的偏見のないトランプ大統領の真骨頂を見せつけた。

繰り返し強調するが、そのことに米メディアはまったく気づいていない。トランプ大統領は、いまだに人種差別的偏見を引きずる一部の米メディアに対して、そのアンチテーゼとして北朝鮮からの脱北者を登場させ、警鐘を鳴らしたのではないか、と筆者は分析している。

アジア系の人たちに対する人種差別的偏見がないトランプ大統領の真骨頂は、昨年11月のアジア歴訪でも発揮された。日本、韓国、中国の順に訪問したが、それぞれ国柄に合わせたスピーチが、いわば「トランプ流」だった。それぞれ相手の立場を重んじた内容だったからだ。

特に印象に残ったのは、トランプ大統領が韓国を訪問したときの文在寅大統領との共同記者会見だった。韓国の記者の一人が、日本での滞在日数と比べて韓国での滞在日数が短い状況を説明してから、韓国の滞在日数が短いのは、いわば「コリア・パッシング」(韓国外し)ではないか、と質問した。

その共同記者会見の放映をリアルタイムで見ていたが、韓国の文大統領に対しては、記者団から厳しい質問はまったくなかった。儀礼的に不公平な感じは否めなかった。そんな失礼とも思える質問を横目に、韓国の文大統領はただ静かに笑っているだけで、その答えをトランプ大統領に政治的に押し付けた格好になっていた。

ところが、トランプ大統領は慌てず騒がず、その質問に対して、丁寧に答えていた。その記者に対する接し方や間の取り方は、ごく自然であり、そこにはアジア系人種差別はまったくなかった。

ウォール街は、昔も今も「メディア嫌い」

将来、アジア系の人物が米国大統領になる時代がくるかもしれない。ひょっとすると、その道筋をつけた大統領として、トランプ氏の名前が歴史的な存在として語り継がれることもあり得よう。

アジア系の米大統領が出現するという話は、まだ先のことだが、今回、トランプ大統領が北朝鮮からの脱北者を讃えたことで、米メディアが忘れているアジア系の人たちの存在を際立たせつつある。アジア人の存在を見直すような論争が、米国でも現実に巻き起こりつつある。論争を巻き起こすのは、「ディールの天才」であるトランプ大統領の傑出した才能の一つでもある。

「論争こそが、米国パワーの源泉だ」という米国の伝統を、米メディアはすっかり忘れてしまっている。ハリウッド支配の米メディアの一部は、アジア人への差別意識に安住し、白人至上主義という「米メディア内の既得権益」を守ろうとしている。その点において、論争の仲介役としての適格性を失ってきている。にもかかわらず、自省が欠如している。

この21世紀、「アジアの時代」は確実にきている。それなのに「時代錯誤な旧習とバイアス」を業界内にもつ米メディアは、自己改革のエネルギーをほとんど失っているのではないか。

凋落するハリウッド支配型メディアを批判する声は、トランプ大統領に限らない。全米で広く強くなってきている。一般論として米メディアは「国際的な説得力の失速」傾向を全体的に帯びてきている。残念ながら、構造不況産業への道を着実にたどりつつあると分析することができる。

長年、筆者が働いてきたウォール街は、米国の「パワーとマネーの中心」であり、その威力はいまも変わらない。そのウォール街は、昔も今も「メディア嫌い」で通っている。ウォール街とメディアとは、いわば「水と油」の関係であり、お互いに相いれない。そういう関係があるににしても、米メディアのパワー減少傾向に歯止めがかからないというのは由々しき問題のように感じられる。