湯浅醤油の「生一本黒豆」


 近年、ベルギーを中心に欧州のミシュラン星付きレストランのシェフたちに愛用されている日本の醤油がある。と言っても、彼らは「和食」を作るわけではない。フランス料理の“隠し味”として、その醤油を使うのである。たとえば、マカロンの外側に、それとわからないように塗ったりするのだという。

 その醤油とは「生一本黒豆醤油」。作り手は、紀伊半島の南端近くの過疎の町・和歌山県有田郡湯浅町(人口約1万1700人)にいる醤油職人・新古敏朗(しんこ・としお)氏(48)である。彼は、1881年に創業した調味料製造会社「丸新本家」の5代目当主で、彼の作った醤油製造の戦略子会社「湯浅醤油」の代表取締役だ。彼のもとには、はるばる欧州各国からシェフたちが買い付けにやってくる。

(前編)「欧州のミシュランシェフが大量買いする醤油」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/52233

 湯浅町と言えば、日本における醤油発祥の地である。しかし、新古氏が大阪の専門学校を卒業して、故郷に戻り家業に従事するようになった頃、かつて92軒あった醤油屋は5軒にも満たないほど衰退していたという。親会社の丸新本家も、金山寺味噌製造の名門ながら、醤油製造に関しては、四半世紀も前に不採算を理由に製造をやめていた。

 ところが、バブル経済の崩壊と、それに続く平成大不況が、暗澹たる状況を一変させたという。いったいどういうことなのか?

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“本物志向”の時代だからこそ挑戦

 新古氏はこう語る。「バブル経済が崩壊し、日本が長期不況に沈む中で、日本人の間には“本物志向”が生まれ、徐々に伝統的なものを見直す機運が出てきたのです」

 大阪の人たちが遠路、湯浅まで醤油を買いにくるという現実に触れ、新古氏はやり方次第で湯浅の醤油も復権できるとの思いを強め、醤油製造への参入を検討し始める。

 もちろん、周囲は猛反対した。「失敗するに決まっている」「今から醤油屋なんて絶対無理だ」と。状況を考えれば、当然の反対であった。

 しかし、彼には確信めいたものがあった。2002年、湯浅醤油有限会社を創業する。

「“本物志向”の時代にあっては、醤油発祥の地・湯浅で、どのようにして醤油が作られるのか、そのプロセスを誰もが間近で見たいと思うのではないか。だったら湯浅まで来て見ていただく仕組みを作ろうと思いました」

 ただそうは言っても、湯浅町の衰退した現状を眺めても明らかなように、昔ながらの製法や商売をただ伝承しているだけでは市場は創造できない。やはり、現代の価値観の中で、日本一、いや世界一の評価が得られる醤油を作るにはイノベーションが必要だった。

すべて国産の原材料で作り上げた

 新古氏はまず、6世紀に編纂され世界最古の料理書と言われる中国の「斉民要術(せいみんようじゅつ)」に立ち返る。歴史を遡れるだけ遡って、先人たちの思いに触れ、現代人が見失っているものはないか読み解くためだ。

「そこに黒豆で作る醤(ひしお)の製法が書かれていました。もちろん、それをレシピ通りに作っても現代人の味覚には合いません。そこで、この斉民要術の製法に、湯浅伝統の醤油の製法(=古式製法)を合わせ、まったく新しい醤油を作り出そうと考えたのです。それが“生一本黒豆”です」

 果たせるかな、この「生一本黒豆」は、新古氏自身、かつて経験したことのない美味しい醤油となった。2003年のことだ。

「日本中の醤油を集めて試飲したのですが、比較になりませんでした。窒素含有量(旨味成分としてのアミノ酸含有量)で見ると、日本の一般の醤油だと1.6、湯浅町の他店の醤油で1.7なのに対して、生一本黒豆は2.4もあったのです」

 原材料という点でも明らかに違っていた。従来、醤油業界では、コスト面から、原材料の国産化は不可能とされてきたが、新古氏はすべて国産で作り上げた。最高級品「丹波の黒豆」、国産小麦、国産麹菌、そして塩は日本中を駆けずり回って探し当てた長崎県五島灘の海水塩だ。

 製造法に関しても、現代日本のほとんどの飲食店や家庭で使われている“工業製品としての醤油”とは全く異質な作り方となっている。豆は通常、蒸すのだが、新古氏は古式製法に則って茹で、旨味たっぷりの茹で汁に塩を混ぜて仕込み水に使用する。仕込みに使う樽は、一般的なステンレス樽ではなく、今や日本に数名しか残っていない樽職人が作った杉樽だ。

今や日本でも稀有な杉樽で仕込んでいる


 もろみの櫂入れ(天地返し)も、機械生産と異なり、新古氏が状況に応じ、経験と勘でタイミングを計り塩梅を見る。熟成期間は、(他企業では数カ月だが)実に1年半に及ぶ。

 熟成したもろみは、布で搾るが、その際、エグミを出さないために「搾り切る」ことをしない。栄養満点の残ったもろみは近隣の養鶏農家などで飼料として使い切ってもらっている。

もろみの櫂入れをする新古氏


醤油の革新が世界の食を変革する

 こだわりにこだわり抜いた渾身の作である“生一本黒豆”。しかし、当初は売れなかったという。

「初年度は年商400万円ほどでしたね」

 “本物志向”になりつつあるとはいえ、長期不況に沈む日本では「安ければ安い方が良い」という価値観の方が大勢を占めていたからだ。

 ところが、そんな状況を変えてくれる出来事が起きる。2005年、日本テレビ系列の人気番組「どっちの料理ショー」で特選素材として紹介された他、“生一本黒豆”が同社の金山寺たまり醤油“九曜むらさき”共々、国際的な食品認証制度「モンドセレクション」で「金賞」を受賞したのだ(翌年以降、2014年まで「最高金賞」継続)。

 これらの出来事によって、世間の見る目はがらりと変わった。売上は急増。以降、商品ラインナップを拡充しつつ、年率200%に達する成長を続け、現在に至っている。

 新古氏の狙い通り、湯浅町の同社には、国内外からの見学客が途絶えることはない。五感すべてに訴えかける、古式ゆかしい醤油作りの“臨場感”に誰もが圧倒されている。

 彼はまた、湯浅の醤油作りの伝統を次世代へと継承すると共に、“食育”の一環として、町内の全小学校で、土地を耕し、種を撒くことから始める「マイ醤油作り」の指導を続けている。

湯浅町の全小学校で新古氏が実施している「食育」としての「マイ醤油つくり」風景


 湯浅町の子どもたちが、醤油を身近に感じ、あるいは故郷に“誇り”を持って人生を送り、さらには“第2、第3の新古敏朗”が出現するなら新古氏として本望であろう。

 今や、醤油発祥の地・湯浅の伝統は、新古氏の革新によって少しずつ息を吹き返しつつある。湯浅町への関心が徐々に高まり、同町の他の醤油製造業者の商品にも光が当たるようになってきた。

 そして、それにも増して嬉しいこと。それは、前編で紹介したように、彼の醤油が、世界のグルメ最先端として、欧州の食をも変革しつつあることだ。

「欧州には、ワイン作りの長い伝統があります。木樽で長期熟成した醤油に対し、ミシュラン星付きレストランのシェフたちは、年代物のワインと相通じるものを感じるようです。多くの日本人にとって醤油は味覚で感じるものですが、彼らは、目で見、香りを楽しみ、そして味わいます。彼らには、伝統に立脚した“本物”に対する共感や尊敬の念があり、そういう思いがフランス料理に醤油を用いるという“食の変革”をもたらしているのだと思います」

 生一本黒豆醤油を隠し味に使った絶品フランス料理が日本に“逆輸入”される日もそう遠くないのかもしれない。

筆者:嶋田 淑之