短距離走で速く走るための意外すぎる方法
■身体の限界よりも、脳の限界のほうが先にくる
男子の陸上競技、短距離走では、近頃、大変な快挙があった。2017年9月、桐生祥秀選手が、100メートル走で、日本人として史上初めて10秒を切ったのである。
桐生選手の9秒98の日本記録は、20年の東京オリンピックに向けて、日本の短距離走がさらに飛躍するきっかけになるだろう。
アスリートの方に話を伺うと、身体の限界よりも、脳の限界のほうが先にくることが多いという。目いっぱいに手足の筋肉を動かすその前に、脳がブレーキをかけてしまう。
だから、記録を破るためには、脳の「リミッター」を外してやらなければならない。そのときに邪魔になるのが「固定観念」である。
「日本人には短距離走は向いていない」とか、「10秒を切るのは無理だ」というのが固定観念である。そのようなイメージを打ち破らなければ、記録を出すことはできない。
前進を邪魔する先入観は、アスリートの世界だけでなく、ビジネスにおいても大いにある。だからこそ、私たちは、桐生選手をはじめとする最近の日本のアスリートたちの活躍にインスパイアされ、自分たちもまた、固定観念という壁を破ってみたいと思うようになるのだろう。
■日本記録を3回更新した朝原宣治さんの発想法
ところで、短距離走の選手として大活躍された朝原宣治さんに、最近お会いする機会があった。
08年の北京オリンピックの陸上男子400メートルリレーで、朝原さんを含む日本チームは、トラック種目で日本男子としては初めてのメダルを獲得した。
ずっと日本の短距離走のエースとして活躍されてきた朝原さんにとっては、まさに有終の美を飾るうれしい出来事。朝原さんたちの活躍があってこそ、固定観念が破られ、桐生選手が100メートル走で10秒を切るなどの結果につながっていったのだろう。
100メートル走の選手としては、朝原さんは日本人として初めて10秒1台、10秒0台を記録し、日本記録も3回更新している。まさに、エース中のエースだった。
その朝原さんから、とても興味深いお話を伺った。100メートル走は、「よーいドン」で走るシンプルな競技だが、強くなるためには、最初はいろいろな競技を経験するのがよいのだという。
■100メートル走はよくわかっていなかった
朝原さんの場合は、中学校のときにハンドボールで活躍し、レギュラーとして全国大会にも出場した。その後に陸上へ転じたが、最初は走り幅跳びの選手だった。
朝原さんのお話は、固定観念を破るための方法論について、貴重な示唆を与えてくれる。直接の目標だけでなく、関係するさまざまなことを経験して、感覚を研ぎ澄まし、身体能力を高めることが大切なのだ。
朝原さんが短距離走の選手として注目されたのは、大学在学中の国体で、当時の日本記録を出して優勝してからのことである。
1996年のアトランタ・オリンピックでは、ご本人曰く、日本陸連からもあまり期待されないうちに、準決勝まで残ってしまった。100メートル走はよくわかっていなかったので、周囲に凄い選手がいることも知らなかったという。「和製カール・ルイス」と呼ばれた朝原さんらしい、豪快なエピソードだ。
人生、どんなことも回り道ではない。無駄と思えることもやってこそ、「裾野」を広げ、「ピーク」を高めることができる。100メートル走も、ビジネスも同じである。
(脳科学者 茂木 健一郎 写真=AFLO)