ヨーロッパ人とインド人のルーツは?(写真: IBudgetPhoto.com / PIXTA)

ここ数年、コンビニなど日本で働く外国人を見かける機会が増えています。言葉や肌の色はもちろん、行動のパターンなど、日本人と違うところがいろいろあると感じる人も多いでしょう。

彼らはいったいどういう人なのか。それには、○○人という民族がどのように生まれたかを知ること、それが彼らを理解するうえで欠かせません。

しかし、民族のルーツというのはミステリアスなことだらけです。「われわれ日本人はどこからやってきたのか?」という問いに関し、朝鮮半島や中国大陸からやってきたとする説がありますが、その実態は詳しくわかっていません。

では、ヨーロッパ人はどうでしょうか。ヨーロッパ人のルーツについては、定説とされるものがあります。しかし、それが形成された経緯をたどれば、疑わしい点が多く、やはり、ミステリアスです。今回の記事では、それについて少し詳しく取り上げてみたいと思います。

「インド・ヨーロッパ語族」とは?

高校の歴史の授業で、「インド・ヨーロッパ語族」について習ったのを覚えていますか。インド人とヨーロッパ人は元々、中央アジアにいた同源の民族であり、共通の祖先を持つ。このように習います。

多くの人は「どうして、インド人とヨーロッパ人が同じなのか?」「言葉も違う、肌の色や顔付き、文化や習慣も違うじゃないか?」と疑問を持ちます。しかし、教科書にはその説明がほとんどなされておらず、疑問をあいまいなまま放っておいたという人が多いと思います。

・2つの方面に分かれる

では、何を根拠に彼らが「同じであった」というのでしょうか。それを読み解くためにも、「インド・ヨーロッパ語族」の復習を少しだけしましょう。

インド・ヨーロッパ語族はアーリア人(アーリアは“高貴”という意味)とも呼ばれ、中央アジアを原住地としていましたが、紀元前2000年ごろから寒冷化を避け、大移動します。西を目指した多数派は中東からヨーロッパへ、南を目指した少数派はインドへ移動します。

ヨーロッパ方面に入ったインド・ヨーロッパ語族はギリシャ・イタリアなど地中海沿岸を中心に定住し、ヨーロッパ世界を形成します。インド地域に入ったインド・ヨーロッパ語族は現地のアジア系統の民族と混血し、暑い気候によって、肌の色が黒くなり、長い歴史の中で、われわれがイメージするようなインド人となります。

・サンスクリット語との類似

このように、ヨーロッパ人とインド人が元々、同族であるとする考え方を最初に主張したのはイギリスの言語学者ウィリアム・ジョーンズ(1746〜1794年)でした。

ジョーンズが1780年代、インドへ調査に赴いたとき、古代インドのサンスクリット語を研究します。ジョーンズは、サンスクリット語がヨーロッパの諸言語と類似していることを発見します。

たとえば、英語のmotherはラテン語・ギリシャ語でmater、サンスクリット語でmatarです。英語のnewはラテン語でnovus、ギリシャ語でneos、サンスクリット語でnavaです。

ジョーンズは両者の語彙や文法の類似点を発見し、それらは単なる偶然ではなく、古代インド人とヨーロッパ人が同体系の母語を有していた証拠であると主張しました。

しかし、この程度の類似性があるからと言って、「同体系の母語を有していた」とまで言い切れるかは大いに疑問です。言語は語彙や文法において、何百万・何千万という形やパターンがあるもので、その膨大な情報量のなかで、100や200、あるいは1000や2000程度の共通点があったとしても、不思議なことではありません。

古代より、世界はわれわれが想像する以上に、交易によってつながっており、相互に言葉が輸入借用された可能性も大いにあります。

ノアの方舟伝説

・人類の始祖

それにもかかわらず、ジョーンズの説は当時の18世紀ヨーロッパにおいて、広く浸透し、人類学の定説となり、「インド・ヨーロッパ語族」という分類が定着していきます。

「インド・ヨーロッパ語族」はコーカソイドという人類学上の分類区分で呼ばれることもあります。この呼び名はカスピ海と黒海に挟まれた地域コーカサス地方(カフカース地方)に由来します。なぜ、1つの地域名が人種区分の名になったのでしょうか。これにはキリスト教の世界観が関係しています。

『旧約聖書』の創世記に、ノアの方舟についての有名な記述があります。大洪水に際し、神の指示を受けたノアは舟をつくり、家族と動物の雌雄を連れて乗り込んだため、人類や動物は生き延びたとされます。このとき、ノアは方舟でコーカサス地方のアララト山にたどり着き、ノアの家族たちが現在の人類の始祖となったというのです。

・白人の解釈

このノアの方舟伝説からコーカソイドの名を生み出した人物がドイツのヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハ(1752〜1840年)です。彼は「人類学の父」と呼ばれます。ブルーメンバッハをはじめとするヨーロッパの人類学者たちは19世紀まで、コーカサス地方出身の白人こそが人類の原形であり、その他の人種は退化した劣等種であると考えていました。「白人は神に選ばれた人種であり、その証拠として、他のどの人種よりも美しく、知性的である」という類いの論評が頻繁に書かれていました。

最近では、コーカソイドという呼称が歴史的に多くの偏見を含んでいるとして、これを忌避するため、「西ユーラシア人」と呼ぶこともあります。

・疑わしい学説

コーカサス地方は南ロシアに位置し、ヨーロッパへのルートとインドへのルートのまん中にあります。コーカサス地方にいた人々がこの2つの方面へ移動して分かれたという、上記のジョーンズの説が地理的にも聖書の記述と合致します。

そのため、「インド・ヨーロッパ語族」というジョーンズが提起した分類が当時のヨーロッパ人の間で、何の抵抗もなく、受け入れられました。

そして、今日のわれわれはこうした経緯をもとに、「インド・ヨーロッパ語族は南ロシアを原住地として、そこからイランやヨーロッパ、インドへ拡散した」と学校で教わります。教科書にも、そのように書いてあります。

こうした説明は当時の18〜19世紀の学術上の受容経緯からして、疑わしいと言わざるをえません。決定的な証拠はどこにもなく、すべて、仮説の領域の話です。

ただ、一方で、インド人とヨーロッパ人が同源という学説を否定する根拠もありません。否定することはできないとしても、疑うことはできます。

常識的な感覚によって、非常識である学説を疑う

・われわれのルーツを問うために

DNA解析の結果、西北インドの人々やアフガニスタン人の一部がヨーロッパ白人に近いとするデータもあります。その後の有史2000年の間に、ヨーロッパ人の一団が移住してきたということもあるでしょうから(イギリス植民地時代など)、今日のDNA解析によって、紀元前の太古の民族分布を掴むことなど到底できません。


インド人とヨーロッパ人が同系の民族だったという説明に対し、「そんなバカな」と思うのが、われわれの常識的な感覚でしょう。その常識的感覚が歴史を見ていくうえで、欠かせないように思います。

「日本人はどこからやってきたのか?」というわれわれのルーツを問うような問題に対しても、同じです。さまざまな学説がありますが、すべての学説に明確な根拠・証拠があるのかと言えば、そうではありません。証拠がないかぎり、その空白を補うため、推論や仮説が展開されます。そして、そのときに問われるのが、われわれの常識的な感覚によって、しばしば非常識である学説を疑うことではないでしょうか。