今や社会人の2人に1人が転職している時代。総務省の労働力調査でも2016年の転職者数は306万人。7年ぶりに300万人台の大台に上がったとニュースになり、これからも転職人口は増加予測。

そこで、本連載では、いい転職をした女性と、悪い転職をした女性にお話を伺い、その差は何かを語っていただきました。

芳村千奈さん(仮名・33歳・神奈川県出身)

転職回数……2回
転職した年齢……24歳、29歳
年収の変化……280万円→500万円→480万円
学歴……中堅公立大学経済学部卒業

母はシングルマザー、英語スキルがあったから仕事ができた

キャリアのスタートはSEでした。もともとIT業界を希望していたのは、「これから生き残るには英語とITスキル、金融知識がないとダメだ」と思ったから。というのも私の母はシングルマザーなのですが、英語とフランス語が堪能だったので外資系のエネルギー関連会社で正社員として勤務できたから。そのおかげで、私も大学まで出してもらえるどころかカナダ留学などができ、これはキャリアの上でもプラスになっていると思います。

ちなみに、父親という人とは私が3歳の時以来会っていません。当時は大手の商社に勤務していたらしいのですが、キャバクラとパチンコで借金まみれになっていたのを母が気付き、速攻で離婚。当時、母は30歳の専業主婦だったのですが、英語ができたのでキャリアの道が開けたと言っていました。しかも、ステキな英国紳士と20年以上にわたり恋愛をしていて、本当にステキだなと憧れます。

新卒で勤務した会社は、ブラック企業だった

母の時代は英語がスキルになった時代ですが、私の世代では英語は「できて当たり前」のもの。キャリアとして成立させるには、ネイティブ並みの英語力が必要だと感じます。でも、そこまでの語学力は2年間の「なんちゃって留学」では身に付かず、その後の勉強をサボっていたので錆びつく一方。でもITはこれからの時代に必須スキルだと思い、SEに絞って就職活動をしました。お金をもらいながら勉強をしたい、という下心もありました。

「若いうちはなるべく厳しい環境に身を置いた方がいい」という当時付き合っていた20歳年上の彼のアドバイスもあり、急成長している人気IT企業に入りましたが、ここは超ブラック。朝7時に出社し、24時15分まで仕事をしても終わらないのです。何年も前の終業時間をなぜ覚えているかというと、エレベーターを乗る時間も含めて、駅まで5分の距離の会社で、24時20分の終電に乗るまで仕事を続けていたからなんです。

衝動的に電車に飛び込もうとした朝、転職を決意

「給料泥棒」とののしられ、自死未遂

最初の会社は成長過程だったため、本当にブラックでした。仕事において、右も左もわからないのに「何回教えればわかるんだ、バカ」とか「新人はおとなしく言うことを聞いてろ」、「まだできないのか、給料泥棒」など1年間言われ続けました。最初は運用部門に配属されるも、性格が暗いという理由で入社8か月で保守部門に回され、上司からのつるし上げなどパワハラが加速。背中に「私はバカです」と書かれた紙を貼られたこともありました。それはたぶん、私が美しくないからなんですよね。両親ともに美男美女で顔立ちはそこそこ整っているとは思うのですが、太目の体型と暗い性格だから標的になりやすいのだと思います。

追い詰められた結果、2年目の暑い夏に出勤しようとしたとき、電車に飛びこもうとしてしまったんですよ。あのとき誰かが「わあああ!!!」と腕をつかんでくれて助かりました。男性か女性かわからないのですが、あのとき助けてくれた人の発した声は忘れられません。

そのときに、会社に連絡して体調不良を理由に休職し、その間に転職活動をしました。それは、どれだけ痛めつけられても、この時に休んでしまったら一生自分は働かないと思ったからです。

あと母の励ましもありました。「人は裏切るけれど、自分は裏切らない。私は自分の身ひとつでどこまでできるかを挑戦し続ける人生を送って来たのよ」という母の言葉に鼓舞された部分もあります。

転職サイトに登録し、大手のシステム会社を受け4社の内定をもらいましたが、ピンときませんでした。転職活動を続け、さまざまな会社で面接を受けていると「ここはブラック」「うわべだけの美辞麗句」など瞬時に判断できるほど目が肥えてくるんですよね。

靴を脱がなくてはいけない会社は、業績悪化する!?

第二新卒の面接時に忘れられないのは、社員200人規模でオフィスビルのワンフロアを貸し切り、社員のおしゃれミーティングスペースもある当時伸び盛りのIT関連会社に会社に面接に行った時、靴を脱がされ、スリッパに履き替えさせられたんですよ。この会社は社内美化のためか、全セクションが外靴を脱いで上履きにはきかえるという学校みたいな慣習で、「これはないな〜」と思いました。社員の自由を奪っているようにも感じましたし、お客さんに靴を脱がせる手間をかけてもなんとも思わないところに疑問を覚えたからです。

結局、その会社は業績が悪化し、今はもうありませんので、あの会社に行かなくてよかったと思っています。

最初の会社では、過労と目の酷使で視力も低下。たった2年で1.0程度から、0.1を切るまでになってしまったという。

転職活動が実ったのは、「自分に対する自信」。大手シンクタンクに採用されるも男尊女卑上司にブチ切れて……〜その2〜に続きます。