東洋紡 社長 楢原誠慈

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■社内の「志」を、1つにまとめる

経営者だったら、工場や店を閉め、ともに戦ってきた社員を解雇するのは、嫌で当然だ。それが、リーダーだ。ところが、新興国の追い上げや技術革新の遅れで逆風が強まると「会社の存亡がかかっている」とリストラを重ね、「歯を食いしばって苦境を乗り切る」などと宣言はするが、そんな状況になった経営責任はとらない例が目につく。時代の変化に手をこまぬいていた非力さを認め、自ら決めて退くことも、少ない。

もっと悪い例は、何かの拍子に風向きが変わり、ちょっと経営が楽になると改革の手を緩め、現状に安住して将来への布石を打たなくなることだ。それでは、社員たちは「明日への希望」を持てず、暗くなりがちとなる。「繊維業界の名門」とされた東洋紡績(現・東洋紡)も、20世紀が終わるまでは、そんな1社に挙げられた。

だが、楢原流は違った。21世紀の初め、管理部で決算グループと計画・管理グループのマネジャーを兼ね、各事業部門や生産現場との協議でリストラにめどをつけながら、「将来への投資」も考え抜く。何代かの経営者が先送りしてきた構造改善との二正面作戦を、軌道に乗せるため、部下たちを各部門へ走らせて構想づくりに参加させた。社長との対話も、緊密に重ねる。2002年5月には経営企画室のマネジャーも兼務し、動きに拍車をかける。四十代の後半だ。

2013年10月、福井県敦賀市の工場で、ポリエステルフィルムの新たな生産ラインが稼働した。ペットボトルのラベルやレトルト食品の袋などに使う包装用フィルムと、タッチパネルなどに使う電子部品向けの工業用フィルムを並行してつくるハイブリッド型で、約100億円の大型投資。40代後半に描いた構想の1つだ。

フィルム事業は、いまや食品などの包装用も、「薄くて軽い」が主流の電子機器に欠かせない部品向けの工業用も活況だが、当時の事業部門は「先行きがみえない」と拡大に慎重だった。だが、「将来のフィルム事業には、いままでの延長上ではなく、東洋紡の新たな核とする大型投資が必要だ」と説き続ける。当時は、照準を太陽電池向けなどに当てていた。

各事業部門と接する部下たちには「われわれ本社スタッフは、事業部というラインが稼いでくれるから頑張れるので、ラインのおかげだぞ」と繰り返す。「本社が机上で考えた案」というのを、現場が最も嫌うことは、度重なるリストラ協議で痛感していたからだ。上司に「そんなに卑下することはない」と叱られたが、それが、自分の基本姿勢だった。

どんなことも、仮に利害が衝突するようなことでも、誰もが1つになって戦えば、強い。志を1つにすることを最重視するのも、楢原流だ。部下たちは、何度も事業部へ足を運び、一緒に考えた。他部門の説得が必要なら、自分たちが汗をかく。06年暮れに財務経理部長に就き、翌年には必要な増資を決めた。ところが、08年秋、リーマンショックが勃発する。フィルム事業への投資は、延期した。だが、「明日への希望」は、捨てない。リーダーには果断さが必要だが、粘り強さも欠かせない。

世界的に景気が上向き始めた2010年4月に経営企画室長となり、投資計画を復元する。2011年3月の増資で得た168億円のうち、100億円余りをフィルム生産の新設備に充てた。

ハイブリッド型は珍しい仕組みで、業界には「非効率だ」と冷ややかな声も出た。だが、工業用は好況期にはぐんと伸びるが、ひとたび不況色が出るとストンと落ちる。一方の包装用は、急増はなくても安定的だ。景気動向に応じて両者の生産量を調節することで、逆風への抵抗力を高める狙い。いま、両者の量は、ほぼ半々だ。

工業用フィルムでは、それまでは競争相手を追いかける立場だった。それが、この投資で、特定の分野でなら先頭を走れるまでになる。ただ、技術革新は速い。止まっていればすぐに追いつかれるから、どんどん、前へ走り続けなければならない。その道が、敦賀への投資で開けた。振り返れば、社内のベクトルが1つになった成果だと、つくづく思う。

■「それなり」に、満足してはダメ

「戰在於治氣」(戰いは治氣に在り)――戦いを始めるには、まず士気を1つにまとめることが肝要だとの意味で、中国・戦国時代の兵法書『尉繚子(うつりょうし)』にある言葉だ。政治が正しく行われ、民生が安定していなければ、人々を戦さには動員できない、と説く。国を構成する兵士や市民の心を合わせる大切さを説き、社内の志を1つにした楢原流は、この教えに通じる。

2010年4月に執行役員・経営企画室長となり、グローバル推進本部を立ち上げた。海水の淡水化用に開発した逆浸透膜エレメントで、サウジアラビアで初の生産・販売会社を伊藤忠商事と現地企業の3社で設立した直後だ。グローバル化の推進は、前々から社長と一緒に考えてきた。フィルムなどへの成長分野への投資と並ぶ、明日への布石だ。

2000年ごろの売上高に占める海外比率は1割程度と、日本の化学素材は輸出に強いのに、大きく出遅れていた。本部を設置し、東南アジアや中国、米国などで拠点づくりに拍車をかけた。いま、海外比率は3割になっている。

2014年1月末、社長就任の内定会見で「海外担当を4年間やらせてもらったが、これからも続けられることがわくわくする」と言った。いまでも、わくわく感は十分にある。もしなくなったら、辞めたほうがいい。責任感と熱い思いがなかったら、リーダー役をやってはいけない、と確信する。

だから、就任して翌年の年頭挨拶で、こう言い切った。

「二正面作戦の時代と比べて『それなり』に改善したので、『現状でも十分ではないか』との甘い誘惑が生まれかねない。だが、事業とはいかにより多くのお客さまの役に立てるかの競争で、『それなり』に満足すると、たちまち明日のお客さまの役には立てなくなって、次代を担う後輩たちや株主の期待に応えられない」

フィルム事業は、ニーズの多様化に即し、成長を続けている。膜の事業では、淡水化用に加え、人工透析機に使う医療用で世界シェアを上げている。20世紀末までは繊維が3分の2、非繊維が3分の1だったが、いまや逆。もはや二正面作戦という言葉は、消えた。

2017年8月、インドネシアのトリアス社と、フィルム関連の合弁会社設立に調印した。トリアスは東南アジアの大手で、海外展開の重要な拠点となる。次には、自動車のエアバッグに使う丈夫な原糸や織物で、グローバルな拡販強化を始める。神経再生を誘導する微細なチューブ素材「ナーブリッジ」の海外展開も、来年には本格化させる。「戰在於治氣」は続く。

同じ8月、電子ペーパーなど超薄型ディスプレーに使う高耐熱性フィルムの工場を、敦賀に新設する、と発表した。来秋の稼働を目指す。500度の熱を加えても寸法が変わらず、従来はガラスしか使えずに「フィルムではダメ」と言われた分野にも使える。いまも滋賀で手がけているが、生産を本格化させる。「薄い、軽い、曲がる」の特性から、有機ELの基板材料にも期待される。自ら敦賀市を訪れ、これを発表した。敦賀で、再び夢を実現する決意だ。

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東洋紡 社長 楢原誠慈(ならはら・せいじ)
1956年、福岡県生まれ。80年東京大学法学部卒業後、九州電力入社。88年東洋紡績(現・東洋紡)入社。2006年財務経理部長、09年財務部長、10年経営企画室長、11年取締役。14年4月より現職。
 

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(東洋紡 社長 楢原 誠慈 書き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)