福島第一原発事故から来月で7年になるが、国連科学委員会を初め多くの調査で、原発事故による放射線障害は出ないという結論が出た。これで事故の被害について科学的には決着がついたが、いまだに根強く残っているのが「風評被害」である。

 これは心理的な被害だから、科学的な方法でなくすことはできない。その代表が「トリチウム水」である。福島第一の貯水タンクは1000基、貯水量は100万トンに達するが、海洋放出ができない。そこに残るトリチウム(三重水素)の風評被害を人々が恐れているからだ。

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原発に貯まる膨大な「トリチウム水」

 福島第一では毎日5000人の作業員が廃炉の作業をしているが、ほとんどが敷地内の水をくみ上げて貯水タンクに入れる作業だ。そこには微量の放射性物質が含まれているが、大部分は濾過装置で除去でき、残るのがトリチウムである。

 トリチウムは水素の放射性同位体で微量の放射線を出すが、すぐ減衰するので人体に影響はない。世界では海に流すのが普通で、日本でも他の原発では基準値以下に薄めて流している。福島第一でもそうすればいいのだが、地元の漁協が反対している。それは魚が汚染されるからではなく、「福島の魚は汚染されているという風評被害」が理由である。

 原子力規制委員会の更田豊志委員長は、1月に地元の市町村長と会談して「意思決定をしなければならない時期に来ている」と述べたが、福島県の内堀雅雄知事が「福島は依然として風評問題に直面している」と反発した。

 福島事故の放射線による科学的な被害はなかったので、事故の被害はほとんど風評被害であり、それを生み出したのはマスコミである。最近は彼らも「汚染水」といわないで「トリチウム水」というようになったが、「海に流すべきだ」とはいわない。

 奇妙なのは「福島の魚は危険だ」という人も「海洋放出は違法だ」という人もいないことだ。「トリチウムの海洋放出が危険ではない」ということには関係者の合意があるのに、誰もが風評被害という言葉で責任を逃れているのだ。

どこにも当事者のいない風評被害

 福島第一の貯水タンクに、膨大な水をこれ以上貯めるのは危険である。2015年には作業員がタンクから転落して死亡した。このとき原子力規制委員会の田中俊一前委員長は「世論に迎合して人の命をなくしては元も子もない」と批判し、トリチウムの海洋放出には技術的に問題がないと述べた。

 昨年7月には東京電力の川村隆会長も「田中委員長と意見は同じだ」と述べて、海洋放出の意向を示唆したが、全国漁業協同組合連合会が抗議し、東電は撤回した。田中氏は「私を口実にするのは、事故の当事者として私が求めていた(地元と)向き合う姿勢とは違う」と東電を批判した。

 確かに原発事故の責任は東電にあるが、彼らには当事者能力がない。東電の経営は破綻し、原子力損害賠償・廃炉等支援機構という形で実質的に国有化されているからだ。彼らが政府の意思決定なしで、トリチウムの放出を決めることは不可能だ。

 ところが政府も決めない。経産省の「トリチウム水タスクフォース」は2016年に「希釈して海洋放出することがベストだ」という報告書を出したが、経産省は「残る問題は風評被害だ」として問題を先送りした。内閣でも、吉野正芳復興相が放出に反対した。彼も「風評被害で漁業者をこれ以上追い詰めないでほしい」という。

 トリチウム水は、原子力をめぐる無責任体制の象徴である。こんな状態では21.5兆円という予定の福島第一の事故処理コストはさらにふくらみ、電力利用者や納税者の負担が増えるおそれが強い。

 更田氏は「原発内に貯水できるのはあと2、3年程度で、タンクの手当には2年以上かかる」という。したがって今年中に結論を出さないと貯水タンクが足りなくなり、廃炉作業は行き詰まってしまう。残された時間は少ない。

「原子力公社」も選択肢だ

 もともと日本の原子力開発は「国策民営」と呼ばれ、国が方針を示して電力会社がコストを負担する方式でやってきた。これは技術開発に巨額の投資が必要で、立地にも国の協力が必要な原子力産業にとってはやむをえない選択だった。

 だが原子力をめぐる環境は、3・11で大きく変わった。原発の再稼動も予定より大幅に遅れ、規制基準の強化でコストも上がった。運転開始から40年で廃炉にする「40年ルール」の適用で、廃炉が決まった原発も6基ある。経産省は原発の新増設を考えているが、今の状況で原発新設という「悪役」を買って出る電力会社はない。

 そんな中で、関係者から出ているのが「原子力公社」構想である。これは日本原子力発電を受け皿会社にして、BWR(沸騰水型原子炉)の東電・中部電力・東北電力・北陸電力・北海道電力の原子力部門を国営化しようというものだ。

 東電と中部電力はすでにJERAという形で火力発電事業を統合しており、原子力事業を統合することに強い抵抗はないというが、国営化には巨額の国費が必要になるので、今のところ現実性はない。

 しかし支援機構にはすでに国が出資し、交付国債という形で東電に約8兆円の融資が行われている。廃炉・賠償・除染にかかる21.5兆円を東電が今後40年かけてすべて負担する、という政府の計画を信じる人は少ない。最終的には、数兆円規模の国費投入が行われるだろう。

 つまりこれは国の支援を間接的にやるか直接的にやるかだけの違いである。その最初のステップとして、東電を破綻処理して存続会社と清算会社に分離し、後者に原子力部門を含める経営再編も専門家が提案している。無責任体制を改め、東電を電力事業に集中させる点では、原子力公社も選択肢に入る。資金は建設国債で調達することもできよう。

 もちろん電力会社に国費を投入することは電力自由化にも逆行して望ましくないが、今のように不透明な形で国費を投入するのと、どっちがましかという相対評価である。トリチウム水も処理できない政治には何もできない。安倍政権の指導力が求められている。

筆者:池田 信夫