シークヮーサー。産地の沖縄県大宜味村で、この柑橘類との新たな関係が始まろうとしている。


 沖縄に自生する柑橘類「シークヮーサー」を題材に、人々と柑橘類の“共生”のありかたを追っている。前篇では、長らくほぼ個人利用にとどまっていたシークヮーサーが、20世紀後半より産業用にも利用されだしたという変遷をたどった。

 後篇では、人々とこの柑橘類の今後の関係を見ていきたい。沖縄県大宜味村(おおぎみそん)で採取されるシークヮーサーの果汁粉末を利用した食品が誕生した。科学研究の視点が加わり、人々はシークヮーサーが人にもたらす恩恵をさらに生かそうとしているのだ。

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長寿の村「元気なのはシークヮーサーを食べてきたから」

宮城功光(みやぎ・のりみつ)氏。大宜味村村長。1972年より建設・工事業「宮太組」で勤務。1982年から大宜味村議会議員に7選。総務常任委員長なども務める。2014年10月から現職。村では、村内の小学校跡地を活用したシークヮーサー果汁を原料とする「ワイン」の製造や、餌にシークヮーサーを配合した養殖魚の育成などの計画もある。


 大宜味村は、沖縄本島の北部「山原(やんばる)」地域の一部をなす村だ。沖縄県内のシークヮーサー収穫量の半分以上を同村で占めている。

 1993(平成5)年には「長寿日本一宣言」をした。3000人強の人口のうち、90歳以上が約150人、さらに100歳以上も10人いる。最高齢108歳の女性は今も自炊や散歩を楽しみ、男性の最高齢102歳の村民はバイクやカーゴを運転してシークヮーサー畑で農作業にいそしんでいるという。

 村のシークヮーサーを全国でトップセールスしてまわるのが村長の宮城功光氏だ。「村のおじいさん、おばあさんが元気なのは、シークヮーサーを食べてきたおかげです。肌の艶がよい理由を尋ねると『小さいときからシークヮーサーを食べていたからだよ』とおっしゃいます」と話す。

豊富な成分「ノビレチン」を生かすための研究と成果

 大宜味村のシークヮーサーに、新たな活用法が登場する。食や健康に関する事業に力を入れているロート製薬により、シークヮーサーの果汁粉末を配合した食品が3月に発売されるのだ。

 同社はここ数年、沖縄の食や農業に関心をもち、各種事業を展開してきた。2014年には有機加工食品工場を営む「ケレス沖縄」を小会社化し、沖縄を拠点とする事業をさらに模索していた。

ジュネジャ・レカ・ラジュ氏。ロート製薬取締役副社長(海外事業・技術担当)、最高健康責任者。インド出身。1989年より日本、インド、米国の各企業で取締役を務め、2014年にロート製薬入社、現職。


 大宜味村のシークヮーサーとの「出合い」を、同社副社長のジュネジャ・レカ・ラジュ氏がこう説明する。

「ロート製薬だからこそできることを考えました。それは、シークヮーサーの構造機能や働きを解明するといった、サイエンスの視点からのアプローチでした」

 ラジュ氏も目を見張るシークヮーサーの成分に「ノビレチン」がある。フラボノイドの一種で、柑橘の中でも特にシークヮーサーの果皮に多く含まれている。1990年代後半から研究機関や大学研究室などに注目され、血糖値の上昇抑制、発がん抑制、慢性リウマチ抑制、さらに抗認知症の効果などが研究されてきた。

 同社もノビレチンの研究を進めてきた。そして2017年、ノビレチンと魚に多く含まれるドコサヘキサエン酸(DHA)の組み合わせが、神経細胞の突起伸長活性を相乗的に高めることを発見し、発表した。PC12細胞というモデル細胞を対象に実験したところ、それぞれを単独で与えるより、2つを合わせて与えるほうが神経突起の伸長が相対的に高まったという。このような成分の掛け合わせが、さらに食のポテンシャルを上げることもあるようだ。

 こうした研究成果を引き提げて、同社はノビレチンとDHAを主成分とする食品「ノビリンクEX」を発表するに至った。

 同社はケレス沖縄とともに、シークヮーサーの搾りかすを利用するための研究開発も進めてきた。普段は捨てられる搾りかすに、ノビレチンが多く含まれる。これを商品に利用したという点での価値も高い。

 だがそれよりも、科学研究の成果をもとに、シークヮーサーの利用方法を広げようとしている点に、人々とこの柑橘類との新たな関係を見いだせるのではないか。ラジュ氏は「今回がスタートです。もっと深くシークヮーサーの機能性を調べていきたい。そして沖縄発の商品を世界に広めたい」と意気込む。

“共生”関係の根幹を保つ“地消地産”

大宜味産のシークヮーサー果汁を配合した、ロート製薬の「ノビリンクEX」。ノビレチンやDHAのほか、ウコン抽出物やγアミノ酪酸(GABA)なども配合されている。発売は3月22日の予定。


 20世紀半ばまでは、シークヮーサーは野山に自生したり、庭に1〜2本植えられたりしたものを、個人の範囲で利用する柑橘類だった。その後、産業利用が展開され、人々とシークヮーサーの共生関係は大きく変化した。

 さらに、今後は、科学研究の成果がシークヮーサー関連商品の開発に注がれるという、新たな時代を迎えそうだ。

 ただし、いくばくかの懸念も頭をよぎる。シークヮーサーの産業利用が進み、新形態の商品化が次々進んでいくと、大宜味村をはじめとする沖縄の人々の「シークヮーサーは自分たちの食べもの」という感覚を薄めやしないだろうか。

 これに対するヒントが、村長の宮城氏の話の中にあった。宮城氏は「村ではできるだけ“地消地産”をしていきたい」と話す。

「地産地消でなく、地。自分たちがシークヮーサーを食べて使って、そしてどんどん作っていこうということです。自分たちが食べずに、いいですよと薦めてもインパクトはありません。自分たちが食べることを保ちつづけていきたい」

 シークヮーサーの利用の仕方は今後も発展し、さまざまな形態の食品がより広い地域で出回るだろう。そうした中で、長くシークヮーサーと付き合ってきた沖縄の人たちが食べることでの利用を続けていけば、人とシークヮーサーの“共生”関係の根幹は保たれる。

 地元での伝統的な食と、広い地域での発展型の食が両立することで、その関係は発展していくのだろう。

筆者:漆原 次郎