日本が誇る新幹線は、本当に世界一なのか(写真:railstar/PIXTA)

鉄道は、人や物を運ぶ交通機関の一種にすぎない。ところが日本では、どうも交通機関の域を超えた特殊な存在であり、実際よりも過大に評価されたり、期待されているところがあるようだ。

筆者は職業柄、常々そう感じてきた。10年以上にわたり鉄道関連の現場やそこで働く当事者を取材した結果、一般の人々が鉄道に対して抱くイメージと、筆者が見てきた鉄道の現実との間に大きなギャップがあると感じたからだ。


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なぜこのようなギャップが生じたのだろうか。筆者はその理由を検証し、次のような仮説を立てた。

「日本人は、誰もが多かれ少なかれ鉄道が好き」

こう書くと、当然「私は鉄道ファンではない」という人がいるだろう。ただ、列車内で駅弁を食べるのが好きな人や、鉄道を通して修学旅行や出張、冠婚葬祭などの思い出を語れる人なら大勢いるはずだ。また、日本では、規模の大小問わずどこの書店でもたいてい鉄道関連の書籍や雑誌が売られている。今ご覧になっている東洋経済オンラインの6つのカテゴリーの1つに鉄道があるし、朝日新聞などの全国紙が鉄道に関する記事を連載している。このような状況を海外の人が見れば、日本人は鉄道が好きだと思うのではないだろうか。

日本人が鉄道を好きな理由とは

ではなぜ日本人は鉄道が好きになったのか。それは、次の2つの価値観が、日本人の気持ちを高め、人々に夢を与えるものとして長らく残ってきたからではないかと筆者は考えた。

Ⓐ日本の鉄道技術は世界一である

Ⓑ鉄道ができると暮らしが豊かになる

ⒶはⓍ「過去の成功体験」によるものだ。日本では、今から半世紀以上前に東海道新幹線が開業して、鉄道で世界初の時速200km超での営業運転が実現し、のちに高速鉄道が世界に広がるきっかけをつくった。それゆえ日本では、自国の鉄道が「世界一」であるという価値観が根付き、残ったと考えられる。それまで「世界一」と呼べるものが、日本にほとんどなかったからだ。

ⒷはⓎ「鉄道万能主義」が通用した時代の名残だ。2016年12月29日付拙稿「東京で道路よりも鉄道が発達した3つの理由」でも触れたように、日本では、馬車などの車両交通が発達しないまま、明治時代に入って急に鉄道の時代を迎えたので、鉄道こそが近代交通であると考えられ、鉄道偏重の交通政策がとられた。また、道路整備の重要性は1950年代まで十分に認識されず、自動車の発達が欧米よりも大幅に遅れた。それゆえ、1922年に鉄道敷設法が改正され、人口密度が低い地方にも鉄道網を広げることが決まると、鉄道が地方のあらゆる社会問題を解決してくれる救世主と考えられ、「鉄道万能主義」が長らく語られることになった。道路網が貧弱だった時代に鉄道が延びると、その沿線地域の交通事情が大きく改善され、暮らしが急に便利になったからだ。


日本人は鉄道に対して2つの幻想を抱いている(筆者作成)

ところが今は、ⒶⒷの価値観は通用しない。

まずⒶの「世界一」という価値観は、今となっては明確な根拠がない。たとえば「新幹線は世界一」という人がいるが、現在は新幹線よりも営業速度が速い鉄道が海外に存在する。安全性が高いと言われるが、多額の投資をして線路を立体交差化し、事故が発生しやすい踏切をなくし、外部から人などが入りにくい構造にすれば、それは当たり前のことだ。そもそも新幹線という輸送システムは、「ハイテク」のイメージがあるが、実際は海外で開発された「ローテク」を組み合わせて完成度を高めたものだ。在来線とは独立した鉄道のハイウェイを新設した点はユニークであるが、技術的な先進性はほとんどない。

輸送力維持の陰に労働者の負担

また、日本の鉄道には、世界共通の物差しで「世界一」だと定量的に評価できるものが、年間利用者数が極端に多いことを除けばほとんどない。もちろん、時間の正確さが際立っていることはたしかであるが、鉄道業界では「定時運行」の定義が統一されていないため、航空業界の定時運行率のような世界共通の物差しで評価できない。また、時間の正確さの背景には、線路などの施設が貧弱で、列車を高密度、かつできるだけ時間通りに走らせないと十分かつ安定した輸送力が得られないという現実があるし、そのために鉄道で働く労働者の負担が大きくなっているというネガティブな面があるので、世界に誇れるとは言いがたい。そもそも日本は鉄道技術をイギリスなどから学んだ国なので、先駆者を差し置いて自ら「世界一」と主張するのは違和感がある。

Ⓑの「暮らしが豊かになる」は、今となっては実感しにくくなった。近年は鉄道の延伸や新規開業がほとんどなく、鉄道が地域を変える機会も減ったからだ。そのいっぽうで、自動車や航空という他交通の発達や、人口減少によって需要が低下した鉄道をいかに維持するかが、さまざまな地域で課題になっている。

いっぽう、先述した「鉄道万能主義」は半世紀前から批判されている。かつて政府に対して影響力を持つ私設シンクタンクだった産業計画会議は、1968年に「国鉄は日本輸送公社に脱皮せよ」という勧告をしており、そのなかで「鉄道万能」という考え方を繰り返し批判し、国民の的外れな期待が国鉄を苦しめていると述べている。

このようにⒶⒷは、鉄道の現状に合致しない価値観になっているのに、今なお根強く残り、多くの人が信じている。先述した鉄道のイメージと現実のギャップがあるのは、このためであろう。また「日本人は、誰もが多かれ少なかれ鉄道が好き」という仮説が正しいとするならば、その「好き」という感情ゆえに、鉄道の現実を客観的かつ冷静に把握することが難しくなっていると考えられる。

こうした状況は、人々が鉄道に過剰な期待をする要因になり、鉄道そのものを苦しめる要因にもなり得る。鉄道の維持や海外展開の妨げになり得るし、日本の鉄道が今後も発展し続ける上でも障壁となるだろう。

鉄道の維持は、近年難しくなっている。日本では1990年代から生産年齢人口(15〜64歳)が減少し続けており、鉄道を利用する人だけでなく、それを支える労働者も減っているからだ。

鉄道の海外展開、つまり日本の鉄道システムを海外に売り込むことは、アベノミクスの成長戦略の1つにもなっているが、実際は海外で苦戦している。それは、日本の鉄道がきわめて特殊であり、そこで磨き上げられた技術やノウハウを求める国が多いとは言えないからだ。

日本の鉄道はすでに苦境に陥っている


こうしたことが正しく理解されていないと、日本の鉄道はいずれ苦境に陥る。いや、もう陥っている。ダイヤ改正のたびに列車の減車・減便の話題を聞く機会が増え、北海道・四国・九州などで鉄道の維持が難しくなった現状を見れば、日本の鉄道はすでに「冬」の時代に入っていると言える。海外に活路を見いだすにしても、そこには規格のちがいという壁が立ちはだかっている。

筆者は、以上のことを拙著『日本の鉄道は世界で戦えるか-国際比較で見えてくる理想と現実』にまとめた。本書では、先述した認識のギャップの要因を検証するだけでなく、主要5カ国(日英仏独米)の都市鉄道や高速鉄道などをくらべることで、日本の鉄道の特殊性や立ち位置を明らかにした。その上で日本の鉄道ならではの「強み」を分析し、それが海外の鉄道の発展に貢献できるのではないかと記した。

ここまで述べたことは、日本における一般論とは異なる部分があるので、多くの人に受け入れていただくのは難しいかもしれない。ただ、先述した認識のギャップが鉄道を苦しめている現実を知っていただくことが、今後の鉄道のあり方について冷静に議論するきっかけになればと願う。