体験ルポ漫画家の小沢カオルさん

これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむと古田雄介が神髄を紡ぐ連載の第25回。

小沢カオルさん(45歳)は、さまざまな体験をしてその様子をルポ漫画にするのがなりわいだ。

たとえば、

「孤独死の現場の特殊清掃を手伝う」

「樹海を歩いて白骨死体を見つける」

「多摩川の河川敷でホームレスのいなくなった空きテント小屋に泊まる」

などなどだ。女だてらに身体を張った取材をしていて人気がある。


この連載の一覧はこちら

昨年は本名の菊池真理子名義で『酔うと化け物になる父がつらい』(秋田書店)という単行本を出版した。アルコール依存症の父親との生活を描いたドキュメント漫画だ。

この漫画はウェブ上で連載のときから、大きな話題になった。

小沢さんはどのような経緯で体験ルポ漫画家になったのか。そして、なぜ自身の過去を題材にしたドキュメント漫画を描こうと思ったのか。お話を伺った。

母親の宗教問題

「父親はサラリーマン、母親は専業主婦の家庭でした。3歳のとき、私が喘息になり、空気の良い場所に引っ越そうということになって、埼玉県春日部市に引っ越してきました。その頃から物心がついて、記憶が始まります」

小沢さんの母親はある宗教の熱心な信者だった。父親は入信しておらず、母親が信者であることに反対していた。

「結婚前は、結婚したら父も入信すると言っていたらしいのですが、いざ結婚したら入信しませんでした。

父親は自分以外の家族が宗教信者だという家庭生活にストレスを感じていたのかもしれません。月曜日から金曜日までは一滴も飲まないのですが、土日は意識を失うまでお酒を飲んでいました。もともとアルコールに弱い人で無理して飲んでいるんですよね。2〜3杯でもう立てなくなるくらい酔っ払うんです」

前提から今ひとつうまくいっていない家庭だった、と小沢さんは語る。

母親の宗教問題が原因でいざこざが多い家庭だったが、小沢さんが初めて漫画を描いたキッカケもその宗教だった。

小学校2年のとき、母親にある施設に連れていかれた。

「その宗教の大きな集まりがあったみたいで、母がたの親戚(全員信者)も一同来ていました。そこでいとこが漫画を描いていたんですが、そこで私に『描いてごらん』って勧めてくれました。

私は漫画を読んだことがなくてさっぱりわからなかったんですけど。いとこはコマや吹き出しの描き方まで丁寧に教えてくれて漫画を描くのが好きになりました」

初めて描いた漫画は、この施設の名前をタイトルにしたホラー漫画だったという。

おカネをかけない遊び

しかし小学校2年生まで漫画を読んだことがないというのは少し珍しい。

「父が見栄っ張りなので家のローンを通常の半分の期間で返す設定にしていたんですね。それでも父親は飲んだりして散財してしまう。だから本当の貧乏ではないんだけど、いつも現金がない雰囲気でした」

その雰囲気を察して、小沢さんは健気にもおカネを極力使わないようにしていた。

「電気代を節約しようと思ってテレビをいっさい見ませんでした。小学生からの癖でいまだにテレビはいっさい見ない生活なんですよね。漫画は読まないですし、本が読みたいときは図書館に行って借りていました」

自室でおカネをかけない遊びをした。その一つが漫画を描くことだった。

父親は土日には酔っ払って、小沢さんの家で近所の人たちと麻雀をした。身勝手に家に上がり込んでいる人たちを小沢さんは強く憎んだ。

「酔っ払う父親もイヤでしたけど、近所の人のほうがもっとイヤでしたね。勝手に上がり込んでほんとうにひどい人たちだって思っていました。父親に『もう他人を家に上げないで』って頼んでも土日には近所の人たちが家に勝手に上がり込んでくる……。最悪でした。

ただ今考えると近所の人たちは、母に頼まれて宗教の機関紙を取っていたんですよね。それで『その代わりにあんたんちで麻雀くらいさせなさいよ!!』という暗黙の了解があったのかもしれません」

母親は家の収入を助けるために信仰する宗教の機関紙の配達をはじめた。その宗教には機関紙の販売に実質的なノルマがある。ノルマを果たせない知り合いの信者は、小沢さんの母親に泣きついた。

母親は断りきれず機関紙を取ってあげた。その頃、小沢さんの家では同じ機関紙を6部取っていた。もちろん有料だ。パートで稼いだ収入は出ていった。

母親はよく1人で泣いていた。

「母はとにかく感情の波が激しい人でした。人前では優しいお母さんを演じているんですが、私や妹にはとても厳しかったです。姉妹ゲンカをすると家を追い出されたりしました。泣いているかヒステリックに怒っている、そのどちらかでした」

母親は小沢さんが小学校高学年のときにガンになり手術をした。内性器を取り除いたため、急に更年期障害のような状態になってしまった。そのため、ますます不安定になった。

そして小沢さんが中学2年生のとき、母親は自殺した。

「母が亡くなってその宗教とは縁が切れました。脱退届など出したわけではないので、名簿にはいまだに名前が残ってるかもしれませんが……。

そこからは片親の生活がはじまりました。母の死後は近所の人たちは家にはやってこなくなったものの、近場のスナックに集まって飲むようになりました。父は土日にはやっぱり意識を失うまでベロベロに酔いました」

トントン拍子でプロの漫画家になれたが…

小沢さんは、1人自室で誰に読ませるわけでもない漫画を描き続けていた。

「高校を卒業して、さてどうするかってなったんですけど……。特に学びたいこともないのに大学に行くのもばからしいなと思ってやめました。就職先も考えず、特に何も考えないで卒業しました」

卒業後はアルバイトをしながらフラフラとした生活を送っていた。

22歳のころ、友達の家に置いてあった『ヤングマガジン』(講談社)をパラパラと読んでみるとすごく面白かった。誌面では新人漫画賞の作品を募集していて、賞金の最高額は100万円だった。

「私、漫画描いてるから、この賞取れるじゃん!!」

と安直に思った。さっそく文房具屋に行き、ケント紙、Gペン、スクリーントーン……など、本格的に漫画を描く道具を買ってきた。

描き終えて応募してみると、一番下の賞に引っかかり5万円の賞金をもらった。

100万円取るつもりだったので少し残念だったがそれでも「いけるじゃん」という手応えがあった。もう一度出すと、佳作に入選し30万円をもらった。

そうして『ヤングマガジン』で初の担当編集者がついたのだが、男性向けのヤング漫画誌ではうまく企画がまとまらなかった。

そこで少女漫画雑誌『プリンセス』(秋田書店)の賞にも応募する。するとこちらでも賞が取れた。『プリンセス』でも担当編集者がつき、原稿を持っていったらデビューできた。

絵に描いたようなトントン拍子でプロの漫画家になれたが、ここからはなかなかうまくはいかなかった。

「私はほとんど漫画を読まずに漫画を描いてきたから、編集さんにとって新鮮な存在だったと思うんです。それで賞は取れたんだと思います。ただデビューしたら、珍しい漫画というだけでは通じないですよね」

初連載のアンケート結果は最悪ですぐに打ち切りになってしまった。それが響いてなかなか次の作品を掲載させてもらえなかった。その後、読み切りやショートの連載が掲載されることはあったがやはり結果は芳しくない。漫画家としてくすぶっているうちに27歳になってしまった。

そんな時分、小沢さんと仲が良かった編集担当者がヤング雑誌を作ることになった。

「『いろいろなところを取材するルポ漫画を描かない?』って誘われました。ルポ漫画は前からやってみたかったジャンルなので即オッケーしました」

最初の取材は、浅草にあるホストクラブの取材だった。

「土地柄なのかすごいヤクザっぽい雰囲気なホストでしたね。若い男の子が『まだ家を借りるほど稼げていないので車中泊してます』って言ってたのが印象的でした」

そのルポ漫画のアンケート結果は良くて連載は続行されることになった。


ルポ漫画

それからはゲテモノを食べる取材、ゴミ屋敷を清掃する取材、山の中でサバイバルをする取材……など身体を張った取材を繰り返した。

「1回やってしまうと何でもできるようになりましたね。普通に暮らしていたら、出会えないような人と会えますし、そういう人たちは本当に魅力的な人が多いんですよね。私の持っている先入観をぶち壊されました」

父親のことを嫌っているのに離れられない

それでも漫画で稼げるおカネは月8万円くらいだった。「8万円では自活できないな」という理由で父と実家に居続けた。

その後、仕事が増えて一人暮らしできる収入を得るようになったのに、小沢さんはなぜか家を出なかった。

それどころか、小沢さんは自分のおカネで家をリフォームした。

「今思えば完全に共依存ですよね。父親のことを嫌っているのに離れられない。アルコール依存症って本人だけではなく、家族も病気になってしまうんですよ。

ただ、そのときに自分はおろか、父親がアルコール依存症だともまったく思ってなかったんです」

父親は、春日部市に来て数年で独立して社長になっていた。会社員でないことが、酒癖が悪いことに拍車をかけた点もあるかもしれない。

相変わらず週末になると正体がなくなるまでベロベロになるまで酔っ払い、酒癖は加齢とともにひどくなっていった。ケガをしたり、糞尿をもらしたりすることもあった。

「冗談で『お父さんは本当にアル中だね』って言うことはあったんですよ。でも本気でアルコール依存症だとは思ってなかったし、言われてる父も自分がアルコール依存症だとは思っていなかったはずです」

小沢さんが40歳のころ、父親がガンになった。ガンの場所は肺と食道だった。

「ずっと『父親が病気になっても絶対に介護なんてしない!!』って思っていたんですけどね。実際目の前で弱っている人がいるのをほっとけないじゃないですか。結局、介護したんですが、それは私にとってすごく良い体験でした」

ガンが進行していくと、だんだん漢字が書けなくなっていった。最終的には自分の名前も書けなくなった。

徐々に筋肉が衰えていくから寝返りもうてなくなる。そろそろ完全にボケてしまったほうが、自分の現状がわからなくなって幸せなのに……というところで本当にだんだん思考力がなくなっていった。

そして父親は72歳で亡くなった。

「自分がどうやって死ぬのかを先行体験させてもらえたのは本当に良かったと思います。死に方を見せてくれたのは、父が私にしてくれた数少ない善行でした。死に対して覚悟ができましたね」

父親ははるか昔からアルコール依存症だった

父親はそうして亡くなったが、この段階ですらまだ、小沢さんは父親がアルコール依存症とは思っていなかったのだ。


アルコール依存症の父親との生活を描いたドキュメント漫画

どうして父親がアルコール依存症だと自覚したのだろうか? そしてなぜその経験を、漫画化しようとしたのだろうか?

「遠い知り合いが、お酒を飲むたびひどく荒れて、奥さんから離婚を切り出されたんです。それでアルコール依存症のセミナーに行くことになりました。そこに私も漫画の取材でついていくことになったんです」

小沢さんはそれまで、四六時中飲んだり、手の震えが止まらなかったりするのがアルコール依存症だと思っていた。父親は土日しか飲まないし、手も震えていなかった。

しかしセミナーで言われたのは、

「アルコールのせいで人間関係が壊れたら、アルコール依存症です。治療の対象です」

と言われた。

「え、それならうちの父親ははるか昔からアルコール依存症だったんですけど? って思いました。母が自殺をしたのも、私や妹が結婚や出産に強い嫌悪感を覚えるのも、父親の酒癖の悪さが少なからず関係しています。昔から父の酒癖のせいで、人間関係が壊れまくってます。

父親がアルコール依存症だと気づいて、病院に連れていって治療すべきだったんだって思いました。同じ苦労をしている人もいるかもしれないと思い、漫画にすることにしました」

『酔うと化け物になる父がつらい』はウェブで連載され大きな話題になった。

「いろいろな感想をもらいました。『こんな家あるわけないじゃん、ウソだよ』という意見と、『この程度でひどい家なんて言わないでほしい。うちはもっともっとひどい』という両極端の意見をいただきましたね。家って外からはまったく見えないブラックボックスなんだな、みんな自分の家を当たり前だって思ってるんだなと改めて感じました」

小沢さんは連載を終えずいぶんスッキリしたという。

気づきや学びの部分も作品に反映させたい

「昔は父親に対しなぜ『死んでくれ』って思うほど嫌いなのかわからなかったんですよ。父親を憎む私はなんて性格が悪いんだろう……といつも自分を責めていました。

今は『私の父親や家が普通じゃなかったんだな。そのせいでゆがんだ部分があったんだな』と思えるようになりました。もちろん私の性格が生来悪いのも事実なんですけど(笑)」

先日、小沢さんは体験取材でゴミ屋敷の清掃をした。そこのゴミ屋敷は、住んでいたお婆さんが1人で亡くなった部屋だった。

築50年の家で窓は割れていた。トイレは詰まって使用できなくなっていた。用はバケツで足していたらしく、尿がたまったバケツからは強烈な異臭が漂っている。床には500以上のビールの空き缶が転がっていた。

「お婆さんの家族に話を聞くと、検死の結果、脳にも心臓にも悪いところは見られなかったらしいんです。どうやら酔っ払って寝てしまって、そのまま凍死してしまったんです」

その話を聞いて小沢さんは、

「自分はこれを恐れていたんだ」

と気づいた。もし小沢さんが、父親に愛想をつかし1人暮らしをはじめていたら、父親が凍死していた可能性は高い。凍死だけではない、火の不始末から火事になったり、お風呂で溺れて死んだりした可能性だって考えられる。

小沢さんは、心の奥のほうでやっぱりお父さんに死んでほしくなかったのかもしれない。


河川敷の道なき道を行く小沢さん

「取材をしていると人の家のドラマが見えてくることがあります。最初は覗き見して楽しんでいる感じなんですけど、いつしか私自身の家族や家庭とリンクしてふと真剣に考えてしまいます。もちろんルポ漫画はギャグ要素も強いんですが、私はそういう気づきや学びの部分も作品に反映させたいと思っています。

でも、そうやってついついマジメに描いちゃうところがブレイクしない原因だよって編集さんには言われるんですけどね(笑)」

そうして今日も、小沢さんは新しい取材場所に出かける。

そしてルポ漫画を描くのだ。