ヨウジさんは「ほとんどの職場で、正社員との間に会話がなくなっていきました」と話す(筆者撮影)

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。

職場でモノを言うのはやめた

大みそか、街はどこも浮かれていた。札幌市内のある商業施設の駐車場入り口。家族連れなどを乗せた車両がにぎやかに行き交うそばで、案内板を掲げた誘導員のヨウジさん(59歳、仮名)は黙々と立ち続ける。気温は昼すぎには氷点下に。黒っぽいコートを重ね着し、分厚い手袋と耳あてで防寒しても、顔の筋肉はこわばり、足先の感覚はない。


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「人手が足りないので、年末は31日まで出勤でした。年始の休みも元日と2日だけ。帰省ラッシュがピークだとか、有休を組み合わせれば9連休になるとか――。シフト制の、時給制で働く契約社員にとっては、どれも無縁のニュースです。休日が少ないと収入は増えますが、体がつらい。かといって、休日が取れると体は楽になりますが、収入が減る。これも非正規労働者の“あるある話”です」

駐車場管理員として勤続10年。この間、時給は840円から880円に、40円上がっただけだ。年収は200万円に届かない。寒冷地手当もボーナスも住宅手当も家族手当もゼロ。あまりの待遇の悪さに、特に若者が定着しないという。1年間で職場の顔ぶれの半数が入れ替わることも珍しくない。

最近は募集をしても人が集まらないと言い、人員が足りないため、本来1時間の昼休が30分しか取れない。会社は商業施設を中心に複数の駐車場管理を請け負っており、ある現場では、10日連続の勤務を強いられた同僚もいるという。会社の方針が変わり、ここ数年は有給休暇も取れなくなった。

いずれも法律や就業規則に違反している可能性が高いが、職場で声を上げる人は誰もいない。かつてヨウジさんは職場環境について愚痴をこぼしたとき、そばで聞いていた年下の正社員から「契約社員が何言ってるんだ。二度とそういうことは許さない」と語気荒く、一蹴されたことがある。以来、職場でモノを言うのはやめた。不満のある者は黙って辞めていき、彼のように再就職口を見つけるのが難しい中高年以上の働き手はとどまる代わりに口をつぐむ――。いつのまにか、そんな「ルール」が出来上がってしまったのだという。

北海道内の産炭地で生まれた。兄弟が多く、経済的な理由から大学進学を断念。高校卒業後、札幌にある資材製造会社に就職した。技術系の正社員として、勤続20年を超える頃には年収は400万円を超えていた。帰宅は毎晩のように深夜近くで、結婚のタイミングは逃しつつあったが、暮らしぶりはおおむね順調だった。

安定した生活が一転したきっかけは、借金の連帯保証人になっていた友人と連絡が取れなくなったことだった。ヨウジさんは多くを語らないが、金額は自身の年収を軽く超えていたという。会社を辞めた退職金で穴を埋め、自己破産をして片をつけた。

このとき、すでに40代半ばすぎ。正社員の働き口はなかなか見つからなかった。折しも労働者派遣法が改正され、製造業への派遣が解禁。「やむをえず派遣会社を渡り歩くことになった」。

派遣に対する「差別と偏見」

「派遣に堕ちた」。正社員時代、短期間ながら役職者として派遣労働者を使う側にいたというヨウジさんは、自らが使われる側に転じたことをそう表現した。たぶん、彼に派遣労働者を見下す意図はない。確かに派遣労働者の中には、専門性の高い技術を武器に労働市場を生き抜くことができる人もいれば、それぞれの事情から短期雇用を望む働き手もいる。一方で規制緩和が進む中、彼のように安く買いたたかれ、理不尽な雇い止めに遭う「不本意派遣」が大量に生み出されたのも事実だ。これにより、多くの職場にいらぬヒエラルキーがもたらされたこともまた否定できない。

実際に多くの派遣先は差別と偏見にまみれていた。ヨウジさんが派遣されたある職場の仕事は、重さ20キログラム近い荷物をトラックから所定の場所まで移し変えることだった。期限は午前中いっぱい。多い日は1人で500個近くを運ばなければならないこともあった。

ヨウジさんは、正社員なら、荷物が多ければ人員を増やしたり、作業を午後に延ばしたりするなど臨機応変な対応がなされたはずだと言う。しかし、派遣労働者は代わりが利くとでも思っているのか、そうした配慮はない。昼前になって正社員が手伝いに入ることもあったが、それは同時に「時間内に仕事ができない使えない派遣」とみなされることでもあった。実際に仕事を失う仲間もいた。切られたくなければ、死に物狂いで終わらせるしかない。そんなとき、つくづく自分は「労働者」ではなく、「労働力」なのだと痛感したという。

ミスをしたときの風当たりも強かったという。工場内でフォークリフトの運転中、通路に放置された製品にぶつかってしまったときなどは、正社員から「これだから派遣は……」と言われた。ヨウジさんに言わせると、運転の不注意もあるが、荷物を放置しておくほうも悪い。派遣労働者を格下とみなすような物言いに、「ほとんどの職場で、正社員との間に会話がなくなっていきました」という。

正社員には正社員の言い分があるだろう。ただ、ヨウジさんがその後、駐車場管理の仕事に就いたのは、「派遣を渡り歩く」ことに心身ともに疲れ果てたからでもあった。

非正規労働者となってから十数年。60歳を前にして、健康格差も顕在化しつつある。

逆流性食道炎の持病があり、医師からは年1回の胃カメラ検査を指示されているが、実際に検査を受けるのは経済的な事情から2、3年に1度が限界。胸やけがひどくなるなど「本当に調子が悪くなってから」だ。歯科医師からは歯槽膿漏と言われたが、放置。健康診断で要再検査とされた項目についても「病院に行くと、(おカネがなくなり)生きていけなくなっちゃう」と、こちらも捨て置いたままである。

実は、ヨウジさんには職場以外にもうひとつ居場所がある。高校時代に兄の影響で、労働組合運動にかかわりを持つようになり、今も個人加入できる、ある地域ユニオンに加入しているのだ。最近は休日を利用して「働き方改革」に反対するデモなどに参加している。3年ほど前、東京で若者たちが「最低賃金1500円」を求めるデモを行うようになってから、札幌でも沿道の反応がよくなってきたという。

一方でユニオンへの理解はなかなか進まないと感じることもある。以前、ある女性が、退職金が規定どおりに出ないとユニオンに助けを求めてきたケースでは、交渉のかいあって退職金を得られたものの、それっきり女性と連絡が取れなくなった。かなり後になって再び女性から電話があったと思ったら、またしても同様の相談を持ちかけてきたという。

困ったときだけ頼られても「労組」の活動は続かない

労働組合は、言ってみれば会社側に対して弱い立場にある労働者同士の支え合いである。困ったときだけ頼られても、その活動は続かない。まるでユニオンを便利屋かなにかと勘違いしたかのような振る舞いに、ヨウジさんは「自分の問題が解決したら、それっきり。自分のことしか考えない労働者が増えたと感じます。ただそれは、学校で労働者の権利や労働運動の歴史についてちゃんと教えられていないことが原因だとも思います」という。

私的な付き合いの酒席でも、たびたび賃金や待遇の不満が話題になるので、1人でも加入できるユニオンがあると持ちかけてみるのだが、大抵の友人から「あ? 何よそれ。社会党系か? 共産党系か?」「そこに入ったら、俺の給料が上がるのか?」などと揶揄された揚げ句、拒絶される。「口を開けば仕事の不満ばかりなのに、いざ労働組合の話をすると『へー』『は?』で終わってしまう。不思議で仕方ありません」。

少し話はずれるが、私も、職場で雇い止めや賃下げに直面した知人に地域ユニオンを紹介したことがある。しかし、大抵の場合、彼らは「労働組合って、赤い鉢巻をまいて団結ガンバローと言わなきゃいけないんでしょう」「会社にけんかを売りたいわけじゃないんで……」など、正しいような、正しくないような理由で労組の敷居をまたごうとはしなかった。いずれにしても、彼らに団結権は憲法で保障された権利だという認識はない。

話をヨウジさんに戻す。私が、今の職場で労働組合はつくらないのかと尋ねると、彼はこう答えた。「無理だと思います。駐車場管理の業界は、警察OBや自衛隊出身者が多いんです。中でも労働組合への反発が強い人たちですから……」。

ヨウジさんの見立てが正しいかどうかは別にして、雇い止めと隣り合わせの契約社員が独りで行動することは、確かに難しいのかもしれない。

職場もユニオンも、現状は八方ふさがりに見えるが、ヨウジさんにはひとつ夢がある。それは定年退職後、ユニオンの労働相談員になることだ。派遣労働者に「堕ちた」悔しさも、職場で声を上げることができないふがいなさも――。すべて経験した自分ならではの寄り添い方ができるのではないかと思うのだ。

真冬の北海道の屋外で働くのに、時給880円は割が合わない。それでも、いつかこの経験が役に立つはず。そう信じて遠い春の訪れを待つ。

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