島津斉彬 密貿易の「密告」で反対派を一掃●自らの藩主就任を妨害していた家老・調所笑左衛門を自害に、藩主であった父・斉興を隠居に追い込む。(近現代PL/AFLO=写真)

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ウソも方便、と人はよく言います。2018年の大河ドラマ『西郷(せご)どん』は、薩摩藩の西郷隆盛を主人公としています。西郷をはじめとする明治維新の立役者たちも、そうした「方便としてのウソ」をいくつもつきました。正々堂々を旨とするはずの彼らが、なぜウソをついたのか。あるいは、つかねばならなかったのでしょうか――。

■日本の植民地化を、防ぐための決意

今のビジネスパーソンの世代は、「ペリー来航が引き金となって、明治維新への動きが始まった」と習ったはずです。でも、今の歴史学のコンセンサスでは、そこから13年前、1840年に始まったアヘン戦争を明治維新の出発点と考えます。

当時の清(しん)の人口は3億5000万人、陸軍の兵力は88万人。一方、当時のイギリスの人口は1300万人、投入した戦力は述べ2万人にすぎません。それなのになぜ、清はイギリスに敗れたのでしょうか。

日本人で、その答えに最初にたどり着いた1人が、薩摩藩主になる前の世子・島津斉彬(なりあきら)でした。彼は清の敗北の原因が、封建制という社会体制そのものにあると気付くのです。清では省の境を越えると、もう同じ「国」ではありませんでした。天津がイギリス軍に攻められても、他の省はどこも助けに行かない。88万の兵力は、バラバラだったのです。

三百諸侯が治める日本も、状況は全く同じでした。封建制を改め、中央集権的な国民国家をつくる以外に、日本の植民地化を防ぐ道はないと、斉彬は気付いたのです。

ところが幕藩体制のもとでは、島津家のような外様の大名には発言権がない。ましてや当時の斉彬は、父である藩主、島津斉興(なりおき)の反対で、藩主にすらなれずにいました。

そこでウソをつくわけです。

■旧幕府を挑発して、戊辰戦争を起こす

1849年12月、薩摩藩でお由羅(ゆら)騒動と呼ばれるお家騒動が起きます。次期藩主に斉彬を推す一派と、異母弟の島津久光(ひさみつ)を推す一派が対立し、斉彬派の人々が腹を切らされたり、流刑や蟄居(ちっきょ)といった処分を受けました。でも、お由羅騒動を煽ったのは、実は斉彬だったのではないか、と私は見ています。

そもそもお由羅騒動の前に、斉彬は自らの藩主就任に反対していた家老・調所(ずしょ)笑左衛門(広郷)を、藩が琉球との間で行っていた密貿易を幕府に密告することで自殺に追い込んでいます。騒動は結局、徳川幕府の老中・阿部正弘の助けもあり、斉興の隠居で決着しました。

それもこれも、一刻も早く自らが薩摩藩主になるためでした。それは私利私欲ではなく、「日本の国を救うためにはこれしかない」と、斉彬が信じていたからです。

西郷隆盛も同じようなことをやっています。1867年、「討幕の密勅」〈実はこれも、岩倉具視(ともみ)らによる偽造文書です〉が薩摩に下された翌日、徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還を宣言しました。当時の朝廷の経済力は10万石、対して徳川幕府は公称800万石、実質400万石。このままでは、新政府ができても徳川家が実権を握ることは避けられません。

新しい体制をつくるには、戦争をして旧幕府を打倒する必要がありました。そこで西郷は、配下の薩摩藩士らに密命を与え、江戸市中で放火や殺人、強盗などのテロ活動(薩摩御用盗事件)を展開。ついには市中の取り締まりを担当していた庄内藩の屯所(とんしょ)に鉄砲まで撃ち込み、薩摩藩邸焼き討ち事件を誘発させます。これが戊辰(ぼしん)戦争の引き金となり、最終的には明治新政府の誕生につながるわけです。

鳥羽・伏見の戦いでひるがえったという錦の御旗。あれも公家の岩倉具視が中心となり、大久保利通と長州の品川弥二郎がでっちあげたものです。「見たことはないが、たぶんこうだろう」と、買ってきた西陣織の布で作ったのです。

そんな代物でも、錦の御旗が上がったという情報で旧幕府軍は戦意を喪失。態勢を立て直そうと向かった淀藩からは入城を拒否され、近くを固めていた津藩からも、賊軍扱いされて大砲を撃たれてしまいます。これは大変だと大坂城に帰れば、慶喜はすでに逃げ出して江戸に向かっている。みんな錦の御旗という「ウソ」にやられたわけです。

■歴史は常に、ウソで動いていく

これ以外にも、「討幕は毛頭考えていない」と薩摩藩内を説得して鳥羽・伏見に兵を出した島津久光、藩は残すと殿様に約束しながら廃藩置県を断行した西郷と大久保など、維新の立役者たちがついた、さまざまなウソが残っています。

最近、薩長が政権を取らずに、もう少しましなやり方で明治維新が行われたら、日本はもっと豊かな国になった、あるいは軍国主義に行かなかったという議論が出ています。でも、それは結果論にすぎません。斉彬も久光も、西郷も大久保も、明日どうなるかわからない状況下で自らが最善と考える選択をし、結果としてウソが生じてしまったのです。

自分の利益をはかるためだけのウソ、相手を傷つけるためのウソは論外ですが、私利私欲でない信念、西郷が言う「至誠」の気持ちを胸に、確たる目的意識をもってつくウソは許される、と私は思います。明治維新に限らず、歴史は常にそうしたウソで動いていくものだからです。

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加来耕三
歴史家・作家
1958年10月、大阪市生まれ。奈良大学文学部史学科卒。奈良大学文学部研究員を経て、大学・企業の講師をつとめながら著作活動を行う。著書に『幕末維新 まさかの深層―明治維新一五〇年は日本を救ったのか』(さくら舎)、『西郷隆盛100の言葉』(潮新書)など。テレビ・ラジオ等の番組監修も多数。
 

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(歴史家・作家 加来 耕三 構成=川口昌人 写真=近現代PL/AFLO、時事通信フォト)