10年ほど前だろうか、駅の改札を出るとテーブルの上に大量の巻き寿司が置かれ、販売されていて、何事だろうかと驚いたことがある。それが「恵方巻き」なるものだということを後で知った。“節分の日にその年の恵方に向かって、巻き寿司を切らずに、黙って一本丸かじりすると幸運に恵まれる”というのである。

 何を信じるかは、人それぞれが勝手に決めれば良いことであり、それをとやかく言うつもりは毛頭ない。私は、馬鹿らしくて信じる気にもなれなかったが、以来、コンビニでもスーパーでもデパートでも大々的に宣伝され、販売されるようになった。今では、節分の一大行事であるかのようになっている。

 この意味不明の習慣が大阪の一部にあったと聞いたが、大阪に住んでいた私も、大阪で生まれ育った妻もそんな習慣など聞いたこともない。

 ちなみに、あと10日余で満70歳になる私だが、小学生、中学生時代の遠足、運動会、学芸会での弁当は、巻き寿司が一番のご馳走だった。関東で言う太巻きである。母は巻き寿司が得意で10本ぐらいなら、あっという間に巻き上げていた。その隣で見ている子どもの私は、1本取り上げて丸かじりするのが常だった。何かあれば巻き寿司がご馳走だったので、1年に何度もそういうことがあった。節分も、恵方も関係はない。だからといって不幸に見舞われたわけではない。

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豪華「恵方巻き」は恵方巻きではない

 テレビCMを見ているとマグロやイクラなど高級食材をふんだんに使い、1本が1キロ以上もある数千円というものまで売り出されている。とても1人で食べきれるような代物ではないので、カットした映像が放映されていた。この時点でこの巻き寿司は恵方巻きではなくなっている。これを食べても幸運が舞い降りることはないはずだ。

 売る側も、買う側も、もちろんそんなことは百も承知なのだろう。売る側は、何でもいいから売れさえすればいいのだ。買う側も信じてなどいないが、楽しめれば良いということなのだろう。

 しかしその背後では、毎年、おそらく何万本もの巻き寿司が廃棄処分され、またコンビニのアルバイト店員にはノルマを課せられ、無理矢理購入させられている。こんな馬鹿騒ぎに一石を投じるスーパーがあり、話題になっていた。兵庫県の姫路市を中心に展開する「ヤマダストアー」だ。このスーパーが発行したチラシには、「もうやめにしよう」という見出しで、「売上至上主義、成長しなきゃ企業じゃない。そうかもしれないけど、何か最近違和感を」とあり、資源の浪費に警鐘を鳴らしている。その通りだ。

 どこかの商売上手が始めたこんな習慣に踊らされるのは、まっぴらごめんだと思いながら、妻と2人で巻き寿司を作って、丁寧に包丁でカットして美味しく食した。幸運など舞い降りなくて結構だ。

不倫報道をなぜ大騒ぎするのか

 もう1つ違和感を覚えるのが、週刊誌やテレビのワイドショーなどの不倫報道だ。次から次へと俳優やタレントなどの不倫問題が暴かれている。引退に追い込まれたミュージシャンもいる。不倫を暴かれた人は記者会見をして、「お騒がせし、ご迷惑をかけました」などと謝罪させられるが、騒いでいるのは視聴率目当てのワイドショーやSNS上のつぶやきだけである。世間は騒いでなどはいないし、関心もない。

 去年を例にとると、8月時点で、テレビの在京キー局だけで120時間も不倫問題を取り上げたそうである。これにネット上の反応が盛り上がり、さらに取り上げる時間が長くなるのだそうだ。ある局などは、1時間近く、ある女性議員の不倫騒動を取り上げていたという。

 そもそも俳優やタレントの不倫で迷惑を蒙った人などいないはずだ。迷惑を蒙ったのは、当事者の妻(あるいは夫)や子どもなど、その家族だけである。なぜ世間に向かって謝罪する必要があるのか。家族に謝罪すればそれでよい。それを大真面目に経緯の説明などをさせられてしまう。そんな必要などさらさらない。

 男でも、女でも、妻や夫以外の異性を好きになることはある。その感情自体を誰も責めるわけにはいかない。不倫であろうとなかろうと、人を好きになり、それを行動に移すということは大変なエネルギーを必要とする。さまざまな心の葛藤もあるはずだ。その微妙な心の襞(ひだ)は第三者に説明などできないものだ。

 その関係や家族がどうなるのかは、当事者たちの自己責任で決めるべきことだ。他人がとやかく言うことではない。それが政治家であり、タレントであったとしても、少なくともそれは社会の大問題などではない。“他人の不幸は蜜の味”と言うが、要するに下衆(げす)な覗き趣味に過ぎない。

 都々逸の一節に「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ」というのがある。不倫であろうとそうでなかろうと、恋路は恋路である。恋路を邪魔するのは、無粋で、野暮なことだ。

みんな不倫に憧れているのでは

 どこかで多くの男女が不倫に憧憬感を持っているのではないだろうか。不倫を歌った歌が流行り、カラオケで熱唱するのはその証であろう。

 私も十八番にしている曲の1つが大川栄策の『さざんかの宿』だ。先週、大分に出張して同行した友人の知り合いの店で、勧められたのを良いことに歌ったのだが、あまりの下手さに笑われてしまった。ただその効用もあって、それまで歌いたいけど我慢していた他の客が、次々と自信たっぷりに歌い始めたのだ。中にはギターを奏でながらの達者もいた。おかげで大恥をかいた。

 それはともかく、この曲の歌詞の1番は、「くもりガラスを 手で拭いて あなた明日が見えますか 愛しても愛しても ああ他人(ひと)の妻」で始まり、3番の「春はいつくる さざんかの宿」で終わる。要するに、明日も見えない、春が来ることもない、道ならぬ恋を描いたものだ。この2人は無理心中を図ったのではないか、ということを連想させる歌詞である。

 台湾出身の歌手、テレサ・テン(1953〜1995年)は、日本でも絶大な人気を博したが、彼女には“不倫三部作”と言われるヒット曲があった。『つぐない』『愛人』『時の流れに身をまかせ』がそれである。『つぐない』『愛人』はそれぞれ150万枚、『時の流れに身をまかせ』は200万枚という大ヒット曲であった。

 不倫は演歌の世界だけではない。最近の新しい歌でも道ならぬ恋をテーマにした曲で溢れている。まるで不倫がなければ歌の世界は成り立たないのでは、と思えるほどだ。不倫だけではなく恋愛も、淡々とした日常ではなく、その非日常性に人の心を惹きつけるものがあるのかもしれない。歌が不倫と切っても切れない関係にあるのは、そのためではと思える。

気持ちが変わるのはよくあること

 人というのは、厄介な生き物なのだ。それは何よりも動物であるということに由来しているのかもしれない。「この人と生涯連れ添う。他の異性など見向きもしない」と心底思っていたとしても、その気持ちが変化することはある。そんなことは、世間にいくらでもあるはずだ。「墓に夫と一緒に入りたくない」という女性も多いという。結婚したときには、そんなことは毛頭考えていなかったはずだ。心はとっくに離れているということである。

 古希の私は、高齢者にも大いに恋愛を勧めたいと思う。恋をすれば、いっときでも熱に浮かされ元気づく。それが犯罪に結びつくようなことがあってはならないが、いくら年をとっても、ときめく気持ちは失わないようにしたいものだ。有名人も週刊誌やワイドショーなどに振り回されることなく、堂々と恋愛してもらいたい。

筆者:筆坂 秀世