シリコンバレーでのイノベーション、とりわけアントレプレナーシップの議論で、日本に大きく欠如する要素をいくつも痛感しました。

 とりわけ、私のミッションは「大学発ベンチャー」国立大学法人の研究成果を市場に離陸させ産業として巣立たせるところにあります。

 そのような観点で日本の「来し方」を振り返るとき、決定的に欠けている要素に「顧客中心思考(customer-centric)」という側面があるように思われます。

 これは、むしろ確信をもって排除していると言った方が近いかもしれません。今回はこの「顧客中心思考」について、考えてみたいと思います。

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むしろ技術だけなら勝った日本

 しばしば言われることですが、日本は技術だけで言えば欧米諸国よりも優れた水準にある/少なくともかつてはあった、しかし、ビジネスにおいてそれを展開する能力に著しく欠け、そんなくじばかり引いてきた・・・。

 確かにそういう表現もできるかと思います。しかし「そうだそうだ」と言っても状況の改善には直接役に立たない。

 「ビジネスを展開する能力が低い」ではなく、どのようにビジネスを展開できなかったのか、具体的に敗因を分析し、その轍を踏み続けない工夫を考えるべきでしょう。

 21世紀に入り、インターネットが一通り普及したとき、「その次」をどう考えるか、いくつか潮流がありました。

 それまでは「ネット化」自体が商売になった。オフィスをIT化しましょう、というIT革命そのものがビジネスになった。

 でも2000年4月頃からは「これからはインターネット<で>どうビジネスするか、に風向きが変わります。

 そこで強調された1つに「e-ラーニング」がありました。大変派手に喧伝されました。

 これには背景があります。全世界世界規模で回線を筆頭にネット環境のハード&ソフト導入、これが一段落したとき、各国予算の支出項目からIMF(国際通貨基金)のレギュレーションまで、様々な条件に鑑みて

 「軍事でなく民生なら、次は教育」という、よく言えばマクロな概算、悪く言えば「顔のない統計の目標」が設定されました。

 その結果、どうでしょう。お上も旗振りに加担して何となく始まったe-ラーニングでしたが、凄まじく使いにくく、およそ非効率なものが多かった。

 私は1999年に大学の人事があり、IT革命対応部署で研究室を主宰しましたので、この間の経緯はもろに至近距離で目撃することとなりました。

 当時は、頼まれて非常勤でお伺いしていた私学などがありましたが、そちらの先生で「e-ラーニングは生徒の孤独との戦い」とまで断言される方もありました。

 こうした商売、典型的な「顧客後回し型」正確には「エンドユーザ無視」に近いビジネスであったと言わねばならないように思います。

 システムを納品するとき、ひとまずの「顧客」は学校機関、大学や各種専門学校などになるわけで、そのレベルでの「顧客の要望」は取り入れられる面があったでしょう。

 すなわち、人件費を節減したい。一度買えば、その後は学生が勝手に勉強してくれ、使い回しが利く・・・。

 でもそれは、本当にこれらのシステムを使って学習する真のエンドユーザであるはずの「学生カスタマー」のニーズを反映していたでしょうか?

 はなはだ疑問なケースが存在したように思いますし、初期に導入された「e-ラーニングシステム」の中には、およそ活用されることなくにお蔵入りとなったものも、決して少なくないのではないでしょうか。当時を振り返っての、率直な感想です。

「ネットワーク型知識基盤」のケース

 2000年、私が東大に着任した直後、工学部長だった小宮山宏教授を中心とする「知識構造化プロジェクト」というものに、メンバーの1人として加えていただきました。

 また並行して、新しいTLO「株式会社東大総研」の創設にも声をかけていただき、役員としてコミットさせていただくことになりました。

 東大総研はIBMとご縁が深く、同社関係者を通じて、ゲノム解析の自然言語処理技術が今後のカギになることなどを知りました。

 そこで「知識構造化」プロジェクトにも自然言語処理の導入がかぎになるだろうと考え、当時は理学部情報科学科におられた辻井潤一さんに参加していただき、世界トップ水準の技術陣が揃って「ネットワーク型知識基盤」を創出する5年5億円のプロジェクトが2001年にスタートしました。

 この審査は、当時の工学部評議員、松本洋一郎さんと大垣眞一郎さんのお2人にご一緒していただきつつ、もっぱら私が質疑にお答えし、良い経験をさせていただきました。

 真ん中にドンと構える江崎玲於奈氏はほとんどものは言わず、経済学の竹内啓さんからは「そんなもの意味はない!」的な攻撃を受けて必死にディフェンス、国際政治学の薬師寺泰蔵氏に「米国の一番新しい潮流の先を行くもの」と助け舟を出していただいたのは、いまでも本当に心から感謝しています。

 ともあれ、何とか審査を通って、この大型プロジェクトが動き出した当時、いまだグーグルはほとんど売り上げが立たず、ネットワークビジネスは、これから言語処理が大活躍という夜明け前の時期でした。

 しかし、東京大学知識構造化プロジェクトから何らかの産業が生まれたり、発展するということは、ついぞありませんでした。

 そもそも、そういうことを企図していなかった、というのが、1つにはあります。

 もう1つは、そういう方向性を国立大学(でした、いまだ独立行政法人化前で、私も公務員大学教授の端くれだったことになります)は目指すべきではない、という強いバイアスもあったと思います。

 加えて、ゲノム言語処理の方向性などを、本当の意味では多くのメンバーが共有しなかったという事情もありました。

 ともあれ、東大の「知識構造化」プロジェクトは、例えば「ナノマテリアル」とか、水環境工学関連知識とか、日々莫大な数の新情報が導入され、爆発的に増大する「学術情報」の全体を「見たい」あるいは「ネットワークで<アクセスできるようにしたい>」という観点で、大型プロジェクトの方向性が決定され、5年間のミッションを完遂しました。

 逆に言うと「私」が「かくかくしかじかの学術情報にアクセスしたい」というユーザの観点、顧客の視点が一切なかった。

 例えて言うなら、莫大な蔵書数を誇る大学図書館が、その本の「整理」を目的にデータベースを作ったようなもので、その中のどの1冊でもいい、本を検索するユーザにとっての使いやすさ、といった観点は、ついぞ検討されることがありませんでした。

 東京大学工学部の持つ莫大な工学情報は、小宮山知識構造化によって、アクセシブルなものに近づきました。

 しかし、それを利用する「一般客」という観点は一切なく、つまり、外部企業や個人が何らかの情報を検索して事業を起こしたり新製品を作り出すための利便に供するという観点は存在しなかった。

 いや、そういうものがあってはむしろいけない、個別企業の利便に供するのではなく、あくまで国立大学としての東京大学は。知識構造そのものに対して貢献するのが正しい在り方、という別の方向性、指針すら持っていたように思います。

 同じ頃、グーグルは、どのようにしてネット顧客のニーズを捉え、あるいはユーザを囲い込み、マーケットを作るか、といった観点から、たぶん自然言語処理技術だけで考えるなら、当初は劣位のスタートラインから、懸命の努力を続けていたと思います。

 日本国内では、官製の大型プロジェクトが入れば、それを粛々と進めればよいので、マーケットも顧客も関係ありません。むしろ無用の動きがあって、茶々など入ると困る、というのが当事者の意識かもしれない。

 その結果、21世紀第1ディケード前半、グーグルがグーグルマップやグーグルアースに乗り出してデファクトスタンダードを奪取しました。

 日本は、ツイッターやフェイスブックなど自然言語処理技術の上にデジタル小社会を作り出すSNSビジネス=顧客の「社会の窓」の組織化などに完全に乗り遅れ、と言うより最初からそうしたバスの方向性を持たず、何のビジネスもマーケットも獲得できなかった。

 一言で言えば「顧客中心思考」が欠如していた。私自身の失敗として強くこれを感じます。

 1999年、私が初めて慶應義塾大学に呼んでいただき、音楽のコマを持ったときには「音楽と言うより情報処理」などと学生に揶揄されました。

 しかし、フリーのウエブサイトをネットワーク化して「電子大学」化して運営し、4か月後に東大に呼ばれてからは、最初は学生の発意で「Perl」による域内検索エンジンを設け、翌年にはそれを「Ruby」で全面的に書き直しました。

 現在の「Python」での機械学習に点と線でつながる、インテリジェントなP2Pサイバー大学システムの構築、といったことを、それなりに一生懸命取り組んでいたわけです。

 でも、それを、一般市場の顧客に対してビジネス展開する発想に、少なくとも大学の中では全く近づけようとはしなかった。

 もっとハッキリ記すなら、大学でのプロジェクトはことさら公共事業の諸ルールを遵守して、大過なく粛々と進めるのが一番安全、というのが30代半ばの助教授として、東大内で学習した現実でした。

 土台、ものごとの作りが違ので無理なことですが、グーグル創始者の若者たちが苦労して獲得した1000万円から大きくチャレンジに乗り出したのとは雲泥の差があります。

 始めた時期はほとんど変わらないけれど、日本の高等学術の公的事業で何億円もの金額を投入して、システムとしてはほとんど同系統のものを作りながら、それが顧客という観点を持たず社会浸透の方策を一切欠いたことで、5年後には大きな差が開いていたのは間違いありません。

 2006年に「学術創成のためのネットワーク型知識基盤」事業は終了し、東大内にはそれなりのデータベースができました。

 しかしグーグルが「マップ」や「アース」で切り開いた大きなマーケットやネットワーク社会と比較することなどできるわけもありません。

 別段、最初から競争などしているわけではないので「勝ち」も「負け」もありませんが、顧客ニーズと向き合うことをどれほどしてきたか、という一点では、日本の高等学術は全くスタートラインについていない。

 私は理学系物理という、その意味では全く顧客無視の最右翼が出身母体ですから、この発想は実によく分かるというか、自分自身、そういう根をハッキリ持っています。

 と同時に、20代から音楽現場でどぶ板の生活で叩き上げられた社会経験から、別の観点すなわち「顧客中心主義」のギリギリの線も、中途半端な連中よりはよほど叩き込まれてきた面があると思います。

 この、自分の内なる両者の間の垣根の高さ、あるいは相互の死角をシリコンバレーでの議論では、非常に強く感じました。

 今回は紙幅が尽きましたので、別途続きの議論をしたいと思いますが、最後に、とりわけ若い読者、学生の皆さんに、1つ記しておきたいのは「所属」を持たない弱い立場で社会と向き合う経験をしてみるとよいのでは、ということです。

 シリコンバレーでは、大学生、大学院生にとって一番手堅いキャリアパスは「ベンチャー起業してみる」ことという話がありました。

 もっと言えば、それで失敗してみるということです。チャレンジと苦闘(と、なんなら失敗)の一通りの経験を、学生時代に積むところから出発すれば、その先のキャリアビルディングに一番力になるというわけです。

 いつも一流大学、一流企業、名刺や肩書き、後ろ盾が常にあると、どうも人間は女衒か幇間(たいこもち)のような振る舞いに近づきやすい。

 裸でトライしてニベもない酷い目に遭う、修羅場経験のようなものを積んだ人が、後々大きなチャレンジをモノにしています。

 学歴社会などトイレの水に流して、自身の足で歩かれる若者が増えていかなければ、この先の日本沈没は避けることができないでしょう。

筆者:伊東 乾