2月16日から「春節」が始まる。日本では「旧正月」といっているが、中華圏の新年のことだ。英語では "Chinese New Year" という。英文のビジネスメールでは略して "CNY" と書くことも多い。

「春節」といえば、中国人の爆買いシーンが連日のようにテレビ報道されたこともあり、日本でもすでにおなじみの表現になっていることだろう。

 中国や香港、台湾といった東アジアの華人圏だけでなく、シンガポール、マレーシア、タイなどの東南アジアや北米の華人世界、その他、中国文明の影響下にあった韓国やベトナムでも、この日に新年が始まる。ちなみに「春節」のことを韓国では「ソルラル」、ベトナムでは「テト」という。ベトナム戦争で最大の転機となった「テト攻勢」(1968年)の「テト」はベトナム正月の意味だ。

 ところが、歴史的に中国文明の影響を受けてきた国のなかでは、日本だけが「春節」を祝わない国となっている。その意味することは一体何か? 

 今回は、アジアで先頭を切って「近代化」を実行した日本について、暦(カレンダー)という観点から考えてみたい。

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東アジア世界では特異な日本

 日本では「新年」は西暦と完全に合わせており、「旧正月」という名称はあってもそれを祝うことはほとんどない。「近代化」イコール「西欧化」とみなした明治新政府が、江戸時代まで使用していた太陰太陽暦を廃止し、完全に太陽暦に転換したからだ。

 日本が太陽暦に転換したのは1873年(明治6年)1月1日からである。西欧諸国で採用されているグレゴリオ暦を導入し、導入日を明治6年1月1日とし、それまで使用していた太陰太陽暦の「天保暦」を廃止した。

 明治維新後に「文明開化」のスローガンのもと「近代化」を促進した日本は、キャッチアップ対象の西欧文明にカタチから入っていったのである。「攘夷」から「開国」に180度転換した変わり身の早い日本人であるが、暦の転換は「革命」としかいいようのない激変であった。 「十二支」は現在なお生きているとはいえ、「近代化」のモデルを西欧文明に切り替えたことで、「中国文明からの独立」が完成したことになる。

 もちろん、国家権力が有無を言わさず強制したことであり、「メートル法採用」と同様に、日本人の生活に強いた犠牲は少なからぬものがあった。典型的な例が「和時計」である。国立科学博物館に展示されている江戸時代の「和時計」を見ると、まったくもって「ガラパゴス」だなあと思ってしまう。当時の日本人が、創意工夫を重ねて創り出した精緻を極めた傑作だったが、独自の進化がアダとなり太陽暦採用以降は無用の長物と化してしまったからだ。

 一方、中国で太陽暦のグレゴリオ暦が採用されたのは、日本より約40年遅く、「辛亥革命」後の1911年のことだ。中国は日本と異なり太陽暦に慣れることがなかった。革命後も国内で混乱が続いただけでなく、農民を中心とした一般民衆は農事暦である太陰太陽暦を使用し続けてきたのである。その結果、現在に至るまで「春節」が行われている。

 だからこそ、年中行事まですべて太陽暦に移行してしまった日本はきわめて特異な存在だといえる。中華文明圏である東アジアだけでなく、世界的にみても特異であると言わざるを得ない。

「紀元節」「建国記念日」という発明

 さて、一昨日の2月11日は日本の「建国記念日」であった。

 西暦2018年の今年は、皇紀2678年にあたる。「皇紀」とは、「神武天皇即位紀元」ともいうように、初代の天皇である神武天皇が即位した日時を起点にした紀年法のことだ。『日本書紀』の記述にもとづき神武天皇の即位の日時が紀元前660年1月1日と同定されたのは、1873年(明治6年)のことであった。その日時を太陽暦に換算して、2月11日を「紀元節」として制定した。この紀元節が戦後の1966年に復活したのが、「建国記念日」である。

 戦前の昭和15年、すなわち1940年には、「皇紀2600年祭」が大々的に祝われている。また、皇紀2676年(2016年)には、「神武天皇二千六百式年祭」が執り行われた。神武天皇の崩御から2600年目にあたるためである。神武天皇は在位76年に及んだことになる。

 もちろん神武天皇は神話上の人物であって、実在の人物ではない。重要なことは、建国記念日もその前身である紀元節も、明治維新後の「発明」であり、150年弱の伝統に過ぎないということだ。そもそも、江戸時代末期に尊皇思想が高まるまで、天皇の存在など日本人はほとんど意識していなかったのである。

 皇紀という紀年法は、結局のところ日本ではスタンダードとならないまま現在に至っている。

「西暦」はデファクトスタンダードに過ぎない

 あまりにも当たり前になりすぎているために、西暦がキリスト生誕暦であることは普段はほとんど意識されないが、「紀元前」と「紀元後」の境目がイエス・キリストの生誕であることが、西暦の性格を如実に物語っている。

 紀元前は略してB.C.というが、これは英語の "Before Christ"(キリスト以前)の略だ。紀元後は略してA.D. というが、これは英語ではなくラテン語の "Anno Domini" の略である。「主イエス・キリストの年」という意味である。

 キリスト暦である西暦が世界で主流になったのは、19世紀に大英帝国が主導した「第2次グローバリゼーション」の結果である。西欧諸国が経済力と軍事力で世界を圧倒したことで、西暦がデファクトスタンダードになったに過ぎない。

 2050年には、世界人口の4分の1がムスリム、すなわちイスラーム教徒になると予測されている。イスラーム世界では現在でもイスラーム暦である「ヒジュラ暦」が使用されている。預言者ムハンマドがメッカでの布教をあきらめて移動した年をヒジュラといい、その年を起点にした暦法である。今年2018年は、イスラーム暦で1439年だ。完全な太陰暦のため太陽暦とのズレが発生し、真夏の酷暑のさなかに断食月であるラマダーンがぶつかってしまうこともある。

 このほか、ユダヤ教徒は「天地創造」を起点とする「ユダヤ暦」を使用しており、今年2018年は、ユダヤ暦で、なんと5778年になる。ただし、ユダヤ暦はイスラーム暦とは異なり、農事暦である太陰太陽暦のため、新年はかならず西暦の9月中になる。収穫の時期が新年の始まりなのだ。

 あまり知られていないが、「仏暦」というものもある。仏教国のタイ王国では西暦も使用されているが、公文書にはすべて仏暦が使用されている。仏暦は西暦とは違って、ブッダの生誕日ではなく入滅日から起算する。ブッダが入滅したのは紀元前543年なので、今年2018年はタイでは仏暦2561年になる(ただし、同じ上座仏教圏であってもミャンマーでは2562年)。

 台湾では、「辛亥革命」を太陽暦換算した1912年1月1日を起点とした「民国暦」が使用されている。今年2018年は民国107年にあたる。

 北朝鮮では、奇しくも同じ1912年を起点とする「主体(チュチェ)暦」が使用されている。金王朝の初代である金日成(キム・イルソン)の生誕年が1912年だからだ。

 このように太陽暦であるか太陰暦であるかを問わず、ある特定の歴史上あるいは神話上の出来事を起点にした紀元暦は、デファクトスタンダードとなった西暦と併用して今なお世界各地で使用されている。

 そう考えれば、日本で、太陽暦としての西暦を日常的に使用しながら、同時に現在でも公文書では太陽暦ではあるが元号を使用していることは、世界的にみてもけっして特異なことではないことになる。ある意味では、西暦というデファクトスタンダードに対して、元号によって日本の独自性を守り、グローバル化に歯止めをかけていると言えるかもしれない。

「明治150年」は「近代の終わり」の年?

 今年2018年(平成30年)は「明治150年」にあたる。

 明治150年は、さまざまな意味で節目となる年である。近年は、明治維新の歴史的な意味の見直しも活発化している。明治維新から始まった「近代」の終わりが顕在化した年として、明治150年は後世から回顧されることになろう。政府主導で2068年に「明治維新200年」が祝われることはないかもしれない。

 だが、「近代の終わり」は、「前近代」への回帰ではなく、近代の否定(=「反近代」)でもない。近代化を完成した日本が、異なるステージに移行するのだと考えるべきである。しばらくは「移行期」の混乱が続くだろうが、日本の年中行事は、今後も太陽暦にもとづいて行われるのであり、太陰太陽暦に戻るわけではないからだ。

筆者:佐藤 けんいち