上場廃止を免れた東芝。ただ成長シナリオは描けていない(撮影:梅谷秀司)

東芝経営陣にとって今年は明るいバレンタインデーとなりそうだ。

1年前のこの日、東芝は第3四半期決算を発表できなかった。米国の原子力子会社ウエスチングハウス社(WH)で巨額損失リスクが浮上、さらに内部統制の問題が発覚したためだ。「独自見通し」として示されたのは債務超過転落だった。

だが、2月14日に発表される決算では、2018年3月期予想が従来の1100億円の最終赤字から一転、3000億円超の最終黒字に上方修正されるはずだ。3月末の株主資本は2000億円程度の黒字見通しが示されるだろう。

危機的な状況から脱出

1兆円の利益をもたらすメモリ事業の売却は、主要国で独占禁止法の審査中で、まだ完了していない。だが、昨年12月に約6000億円の第三者割当増資を実施。今年1月に、その資金を活用したWH関連の税務上の損金確定処理を完了した。これにより税負担が軽減され、最終利益が押し上げられる。

天然ガスの液化契約フリーポートや各種の訴訟など損失リスクはまだ残っている。メモリ事業を売却した後の成長シナリオもまだ見えてこない。とはいえ、上場廃止や法的破綻もちらついた危機的な状況を脱したことは間違いない。

このタイミングで東芝危機が日本の産業界に残した課題を考えてみたい。

「主要国の株式市場で、債務超過で上場廃止となるのは日本と韓国だけ」。メガバンク役員はいまだに不満と未練を隠さない。

東芝が虎の子のメモリ事業を売却したのは債務超過を解消するためだった。というのも、期末時点での債務超過を1年で解消できないと東京証券取引所は上場廃止と定めているからだ。

対して、ニューヨーク証券取引所やナスダックでは、株主資本の最低額が定められているが、時価総額が一定以上ならば上場は維持できる。2015年の不正会計発覚後でも東芝の時価総額は6000億円を割ることはなかった。米国ならば上場廃止の危機はなく、メモリ事業を売却する必要もなかった――これがこの役員の主張だ。

「米国の資本主義のすごみを痛感した」

米国なら不正会計で上場廃止を命じられた可能性が高いと思わなくもないが、日本よりも米国が投資家の判断と自己責任を重視する制度であることは確か。ただ、それは取引所の問題というよりも、経済社会そのものの違いと言えるかもしれない。

結果的にメモリ売却前に債務超過は脱却できた。その原動力となった増資について、ある有力財界人は「米国の資本主義のすごみを改めて痛感した」と振り返る。

わずか3週間で6000億円を集めたのは米投資銀行のゴールドマンサックスだ。彼らはその対価として200億円超の手数料を稼いだ。

直前の株価の90%という有利発行ギリギリの発行価格262.8円で引き受けた投資家は、現時点で15%程度の含み益を得ている。

その筆頭のエフィッシモは日系である。が、日本勢は金融界の本流から離れたこの鬼っ子しか出てこなかった。一方、米国勢はエリオット、ファラロンなど著名ファンドのほか、ハーバード大学の資産運用会社も参戦した。


「短期間で巨額を投じる決断ができる多くのファンドと、それをまとめ上げる投資銀行が米国にはある。日本勢は腫れ物に触るように動けない」(同)

メモリの売却交渉でも、彼我の差を思い知らされた。

日本に先端半導体産業を残したい経済産業省が日本の大企業に出資を呼びかけた。興味を示した企業もあったが、最終的に資金を出したのはHOYA(と東芝)のみだった。

主導権を握ろうとしない日本勢

官主導の1社100億円程度の“奉加帳”方式では、その後の経営がうまくいくとは思えない。しかし、AI(人工知能)やIoTが社会に浸透し、半導体技術の重要性が高まる中、主導権を握ろうとする日本勢がファンドも含めて現れてもよかった。

日本企業がリスクを取らないわけではない。そもそも東芝の苦境は、適正価格の2倍以上でWHを買収したことに起因するし、高値づかみのM&Aでやけどを負う企業は多い。


当記事は「週刊東洋経済」2月17日号 <2月13日発売>掲載の記事に一部加筆したものです

確実に言えそうなのは、リスクとリターンを見極めたうえで、短期間で投資を決断できる人材が日本に少ないということだ。

企業ばかりを責めるのはフェアではないかもしれない。ビジネスライクにリスクを追及することを是としない空気が日本の社会にある。メディアもまたそうした空気の醸成に一役買っていることは否定できないからだ。

東芝危機が浮き彫りにした課題は重い。