11日に北朝鮮芸術団「三池淵管弦楽団」の公演を鑑賞する北朝鮮の金与正党第一副部長(中央)と韓国の文在寅大統領(右)、左は金永南最高人民会議常任委員長(写真:YONHAP NEWS/アフロ)

平昌五輪の露骨な政治利用ともみえる北朝鮮の「ほほ笑み外交」の行き着く先を国際社会が注視している。安倍晋三首相は主要国首脳の中で唯1人五輪開会式に出席、文在寅(ムン・ジェイン)韓国大統領と日韓首脳会談を行った。だが、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が妹の金与正(キム・ヨジョン)党第1副部長を開会式に送り込んだことで、五輪外交の主役の座を奪われたのは「想定外の事態」(政府筋)だった。

金一族の初訪韓は世界の耳目を集め、金委員長の名代として文大統領の早期訪朝を招請した与正氏の笑顔を、世界のマスメディアは競って報道した。韓国取り込みで日米韓連携を揺さぶろうとする北朝鮮の意図は明白だが、文大統領は南北首脳会談実現に意欲満々で、日米両政府は不信と警戒の念を強めている。

北朝鮮を支配し続ける金一族はロイヤルファミリーと呼ばれるが、今回の訪韓で初めて西側メディアに素顔をさらした与正氏の立ち居振る舞いは、訪韓団団長の金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長より「格上」であることを印象付け、事実上の北朝鮮ナンバー2であることを世界にアピールした格好で、当初五輪外交の目玉とされた安倍首相訪韓は完全にかすんだ。

与正氏は北朝鮮での「南北首脳会談」を提案

与正氏の訪韓は開会式の直前に決まったとされるが、文大統領ら韓国政府は開会式への参加各国首脳との外交行事を素早く組み直し、北代表団の接遇を最優先することで南北対話進展への熱意と意欲をにじませた。

とくに、「金正恩委員長に意見具申できる唯一の人物」(外務省)とされる与正氏を「国賓待遇」で歓迎したことは、ともに開会式に乗り込んだ安倍首相とペンス米国副大統領へのけん制とみられ、「北朝鮮制裁で日米が完全に一致している『最大限の圧力』を形骸化しかねない状況」(外務省幹部)ともなった。

9日の開会式に合わせて、同日午後に金委員長の専用機で訪韓した与正氏は、空港では硬い表情を崩さなかったが、金永南団長とともに文大統領と面会した際は笑顔を振りまき、文字通りの「ほほ笑み外交」を展開した。与正氏は開会式でも文大統領の近くの席で南北選手団の同時入場に大きく手を振り、10日には南北合同チームが出場した女子アイスホッケーの試合を文大統領やバッハIOC会長と並んで観戦、美女軍団と騒がれた北朝鮮応援団の派手なパフォーマンスに拍手を送った。

さらに11日にはこれも北朝鮮が送り込んだ三池淵(サムジヨン)管弦楽団の特別公演を文大統領の隣席で観賞し、同夜に専用機で帰国した。この3日間の与正氏を中心とするメディアの報道ぶりは「平昌五輪が平壌五輪に化けた」(韓国主要紙)との印象を世界に振りまいた。

もちろん最大の外交行事は10日の文大統領と北代表団の公式会談だったが、この席で与正氏は金委員長の親書を文大統領に手渡したうえで、早期訪朝による南北首脳会談の開催を呼びかけた。文大統領は「米国との調整」などを理由に即答を避けたが、南北会談への意欲は隠さなかった。

一方、安倍首相は9日の開会式前に文大統領との日韓首脳会談に臨んだ。首相訪韓は約2年3カ月ぶりで、文政権発足後では初めてだ。

五輪会場近くのホテルで行われた会談で、首相は慰安婦問題での日韓合意の履行を強く迫ったが文大統領は「政府間交渉では解決できない」などと主張し、平行線に終わった。両首脳は対北朝鮮では日米韓による「圧力強化」の方針を文大統領も確認したとされるが、10日の北との会談で文大統領が日米が大前提とする「北朝鮮の非核化」への言及を避けたことも考え合わせると、「日米韓連携は後退した」(外務省)との印象は拭えない。

このため、あえて国内の反対論を押し切って「言うべきことは言う」と訪韓を決断した首相にとって、日韓首脳会談は「物足りない結果」(自民幹部)に終わった。

ペンス副大統領との事前会談で「北への圧力強化」を確認し、開会式前後の一連の日米韓外交で日米が歩調を合わせたことで、「韓国取り込みを狙う北朝鮮のほほ笑み外交に日米で対抗した」(同)ことは成果といえる。しかしその一方で、首相が文大統領に「(平昌五輪後の)米韓合同軍事演習を延期すべきではない」と要請したのに対し、文大統領が「我が国の内政問題で、直接取り上げて論じては困る」と反発したことは、日韓の溝を浮き彫りにした。

しかし、こうした首相訪韓について、国内では目立った批判は出ていない。国会では週明けにも「外交集中審議」が実施される見通しだが、首相訪韓に反対したのは自民党内保守派で、むしろ首相訪韓を後押ししてきた野党側は、「訪韓は安倍外交の失敗」と追及しにくいのが実情だ。

開会式直前の与正氏も含めた各国首脳の顔合わせの会合では、ペンス副大統領が米朝接触を拒否して着席せずに退出したが、首相はあえて金永南氏と言葉をかわした。日米の事前打ち合わせを踏まえたものとされるが、北側に拉致問題解決を直接働きかけたことで、「安倍外交」の独自性もアピールした格好だ。

首相訪韓は「何とか帳尻が合った」

10、11両日に産経新聞とFNN(フジニュースネットワーク)が合同で実施した世論調査では、平昌五輪開会式に合わせた首相訪韓について「良かった」が76.9%に上った。さらに、首相が文大統領に慰安婦問題の日韓合意の着実な履行を迫ったことを「支持する」は83.8%と圧倒的多数だった。

同時期に実施された他の大手紙の世論調査でも内閣支持率は現状維持か微増となっており、党内保守派の「国民の批判で政権が失速しかねない」(参院若手)との懸念は払しょくされつつある。

10日夜帰国した首相が、11、12日両日を完全休養に充て、政府要人とも会わずに自宅で静養したのも「訪韓批判がなく、ほっと一安心の心境」(側近)からだという。首相は12日に珍しく東京・富ケ谷の私邸周辺を散歩したが、ジョギング中の小野寺五典防衛相と出会い、短時間だが会話するというハプニングもあった。

小野寺氏は今回の南北接近について10日に「対話のための対話ではあまり意味がない」とけん制しており、このタイミングで自衛隊の最高指揮官の首相と防衛省トップが顔を合わせるというのは「まったくの偶然とは思えない」(自民幹部)と勘繰る向きもある。首相にとってハプニング続きの訪韓だったが「何とか帳尻が合った」(側近)ことは間違いなさそうだ。