2017年冬、健太からプロポーズされた美和子は、涙を流す。

ふたりの5年間に、何があったのか?

実は同棲して間も無く、ふたりは “プラトニックな恋人”となっていた。

学生時代の友人・茜から、御曹司・瀬尾を紹介され、彼から真剣告白された美和子は健太と別れることを決意し家を出る。

瀬尾と夜を共にした美和子は彼のマンションで暮らし始めるが、強引に結婚話を進められ困惑。

そんな中、復縁を望む健太から手紙を渡され彼を忘れられない気持ちを再確認した美和子は、瀬尾に別れを告げ、ひとりで暮らし始める。




不毛な関係を続ける理由


中目黒で一人暮らしを始めてから、早いもので3ヶ月が経つ。

最近のビッグニュースといえば、百合さんが再婚したこと。

相手を聞かされた時は本当に驚いたが、しかしすぐに納得した。最初に会った時から百合さんと“やまちゃん”の間には確かに特別な空気感があるな、と感じていたから(私はてっきり、昔付き合っていたのだと思ったが)。

周りはどんどん変化するのに、私はといえば…何一つ進歩のない日々を過ごしていた。

瀬尾さんと別れたことを知った茜は、呆れながらも「…ご縁がなかったのね」と上品に収めてくれ、相変わらず派手に遊んでいる杏奈は「ひとりに慣れるとまずいわよ」と私に忠告し、頻繁に食事会に誘ってくれる。

しかし新しい出会いを探す気になれぬ私は、未だに健太と不毛とも思える関係を続けているのだった。

毎日のように連絡を取り合っても、お互いに「会おう」と言い出さない。

それはきっと、会ってしまったら…結論が出てしまいそうで怖いのだ。

-キスをしたり、抱き合ったり、恋人同士として当たり前のことをしよう。

健太は手紙に、そう書いてくれていた。

けれどもそんなことが…これだけ拗れてしまった私たちにできるのか?

その答えを知ってしまうのは、とても恐ろしかった。

…私たちの、そんな曖昧で生ぬるい関係にようやく終止符が打たれることとなったのは、2017年冬。木枯らしが吹く、寒い夜だった。


2017年冬。ついに健太からの、捨て身のプロポーズ…!


決断の夜


-週末、ロブションで会えないかな。美和子に、大事な話があるんだ-

健太からふいに届いたその文面は、私を高揚させ、そして大いに動揺させた。



「プロポーズは、『ロブション』でして欲しいな」

まだ付き合って間もない頃、私は健太にそう言ったことがある。

…とはいえ、もう5年も前のことだ。ただの偶然かもしれない。だけど-。

恵比寿ガーデンプレイスの『ガストロノミー ジョエル・ロブション』。

ライトアップされた石段を昇る私の胸は、期待、不安、後悔…様々な感情が交錯して息苦しいほどだった。

この道の先にどんな結末が待っているのか、知るのはとても怖い。

しかしそれでも私は、今日この場にやってきた。道中、足早になる自分を止められなかった。それは-。

“どの面さげて”と言われようが、私はやっぱり、健太に会いたかった。




「美和子、俺と…結婚してください」

最上階にある個室、『ジョエル・ロブション サロン』。

ジャケット姿の健太が精一杯カッコつけて差し出した手には、ティファニーブルーのエンゲージボックスがあった。

まるでこの世の幸せを凝縮したかのような、小さな箱。その中には、絶対に無理をしたであろう大きさのダイヤが鎮座していた。

「…すごい」

思わず息を飲む私に、健太は得意げな表情を見せる。まるで、私に褒められるのを待っているかのような。

その純粋でまっすぐな瞳を直視できずに俯くと、堪えきれず涙が溢れた。

「健太、私…」

ずっと、この瞬間を待っていた。

こんなにも幸せな瞬間に、本当は心から「ありがとう」と言いたかった。

それなのにどうして、どうして私は-。

「ごめんね、健太…私には、あなたと結婚する資格なんかない。私ね、本当は…あの日、健太の家を飛び出した夜に…」

「いい!…言わなくて、いいから」

耐えきれず口走った言葉を思いがけず強い口調で制されて、私は驚いて口を閉じる。

睫毛に残る水滴を冷たい、と思い、拭いながら顔を上げると、健太が私をまっすぐに見つめていた。

その表情には、何かに耐えているかのような苦しみが滲んでいる。

「…それ以上、何も言わなくていい。過去のことなんて、終わったことなんて…知りたくない。知る必要もないよ。

俺と美和子は、あの夜に別れた。だからその後に何があったとしても…それは、俺には関係のないことだから」

「でも…」

しかしそう言われても、裏切りの事実を隠したまま健太のプロポーズを受けるなんて…そんなことは、とてもできない。

それならばいっそ全てを話して、嫌われてしまった方が楽ではないだろうか。それこそが、私の受けるべき罰なのでは?

そんなことをぐるぐると考えていたら、ふいに健太が私に触れた。

固く握った私の両手が彼の掌に包まれ、大切そうにぎゅっと握られる。

その手はとても温かく力強い、男の人のそれで…瞬間、思いがけず甘い感情が心に広がった。

それは、なんとも不思議な感覚だった。

健太の手なら、知りすぎるほどに知っている。私たちは同棲していたし、触れたことも、触れられたことも、過去に何度だってある。

それなのに、この時はまるで…初めて触れられたかのように新鮮な感覚を覚えたのだ。

戸惑う私の耳に、健太の柔らかい声が注ぎこまれる。

「今夜はウェスティンを押さえてる。プロポーズの返事は後で、ゆっくり聞かせて」


健太とともに、ホテルの部屋へ向かう美和子。そして…


ふたりが出した答え


私は健太に手を引かれ、促されるままホテルの部屋に入った。

-恋人同士として、当たり前のことをしよう。

本当に…?本当に、できるだろうか。

あえて意識しないように、自然に。そんな風に言い聞かせながら、私は目の前に立つ健太にそっと、身を寄せた。

振り返った彼の腕が、私の肩を力強く抱き、腰へと移動する。

これまでは、こういう空気になるとどちらからともなく照れ笑いをしてしまって、冗談っぽくフレンチキスなどして終わり、だった。

しかしこの夜は、違った。

健太の顔が近づいて、ゆっくりと…確かめるように私の唇を吸う。私もそれに呼応して…その瞬間、それまで頭をいっぱいにしていたすべてが吹き飛んだ気がした。

レスで苦しんだ過去も、裏切りの夜も、弱さも、狡さも、罪悪感も。

何もかももう、どうでもいい-。

私たちは貪るようにキスをしたままベッドに倒れこみ、少しの隙間もないくらい、ぴったりと肌を合わせて強く強く、抱き合った。

…気づかぬうちに掛け違えてしまったボタンを、広がってしまった溝を、強引に埋めるかのように。




「ずっと、こうしたかったの」

漏らすように耳元で囁いたら、健太は「…俺も」と言ってぎゅっと私を抱きしめてくれた。

長いブランクを経て触れる健太の身体は、以前と変わらず私にぴたりと吸い付き、とても心地よい肌触りだ。

-今、この瞬間を逃したらもう終わり。

今宵、そんな思いが私たちを結びつけたのだろう。

行為に、不自然さが皆無だったとは言えない。昔のようにただただ本能で求め合うような激しさはないし、“抱き合うために抱き合っている”というような感覚が正直ある。

しかしたとえそうでも、私たちにとっては大きな進歩だ。

不自然さは、これから少しずつ自然に戻していけば良い。私は素直に、そう思うことができた。

「そうだ、指輪」

思い出したように、健太がごそごそと動く。そしてベッド脇に置かれたバッグからリングを取り出すと、私の左手薬指にゆっくりと通した。

「…ありがとう、健太。私、すごく幸せよ」

私は手をかざし、闇の中でさえ光り輝くダイヤを見つめながら、心の中で覚悟を決めていた。

…どんなに高尚な愛を語っても、男女である限り性を切り離すことなどできない。

だから私はもう二度と、レスから逃げない、と。

抱き合うことが自然になる日が来るまで、健太と一緒に何度だってトライする。不自然を恥じる必要などないし、必要なら積極的に官能を刺激するイベントを考えたっていい。

それは他でもない、精神的な繋がり…プラトニックな愛のためだ。

“この人しかいない”と思い合える尊い絆を、末永く、全力で、守っていくために。

Fin.