介護になってからこそ必要な「生きる意味」(写真:筆者提供)

介護をしている方の苦労話を聞いていると、介護のことを「下の世話」くらいに考えている場合があります。実際に、認知症になった親が、自分の糞便を投げたり弄んだりする(弄便)のを見るのは、精神的にきついものです。

しかし私たちが、介護を「下の世話」だと考え、それが10年以上もの長期間にわたって続くことになれば、どうしても心が折れてしまいます。ですから、外から見れば同じ介護でも、長期的に頑張れる人と、短期で折れてしまう人の違いを理解する必要があります。

ビジネスでも同じことですが、大事なのは、対象となる仕事に対して自分なりの意義(信念)を持っているか否かです。もっとはっきり言えば、なんのために「下の世話」までしているのかという理由を自分なりに持っている場合と、持っていない場合で、私たちの介護との関わり方は大きく変わるのです。

脳梗塞で倒れたAさんの例

ここでぜひ、多くの方に知ってもらいたいAさんの介護事例があります(写真も含め、ご本人、ご親族より掲載の許可を得ています)。

Aさんは18歳から45年間、ずっと同じ会社に勤め、仕事帰りには行きつけの飲み屋(新橋)で飲んで帰るのが日課でした。結婚する暇があるなら神輿を担いでいたほうがよいと、仕事が休みの日は担ぎ手として日本全国を飛び回っていたようです。また、Aさんご自身も、50代のときに実母の介護をしています。仕事と介護を5年間両立させ、自宅で実母の最期を看取っています。

定年まであと半年となった2012年の夏、いつもの飲み屋から自宅に帰り、床に就くと、今まで経験したことのないような頭痛がAさんを襲います。あまりの痛さに義姉に電話をすると、すぐに救急車を呼んで病院へ行くよう諭されました。なんとか力を振り絞り、119番へ電話しましたが、Aさんにはその後の記憶はありません。

気がつくとAさんは病室のベッドにいました。思うように左手、左足を動かすことができませんでした。また、すべての歯は抜け落ちていました。そして、医師からは「あなたは脳梗塞により危篤状態となり、あと一歩遅ければ亡くなっていたかもしれない」と説明を受けました。

Aさんは、変わり果てた自分の姿を受け入れることができず、自暴自棄になりました。医師や親族からは、自宅へ帰ることはあきらめ、介護施設へ入所することを提案されます。どうでもよくなったAさんは、言われるがまま、施設入所を決めました。しかしいざ施設と契約する段階になったとき、自分でもよくわからない感情が込み上げ、やっぱり家へ帰ると泣きながら周囲に懇願したのでした。

初対面の介護職に言い放った言葉

病院関係者から介護職のところに連絡があり、介護職はすぐにAさんのいる病室を訪れました。はじめて会った介護職に対してAさんが言った言葉は、今でもその介護職の記憶に鮮明に残っているそうです。

「俺には生きる価値がない。あなたに用はないから帰ってくれ」

介護職は、この日は簡単な挨拶だけで済ませるしかありませんでした。その後、この介護職は定期的にAさんを訪ね、少しずつ馴染んでいき、Aさんが自宅へ帰るための準備を進めました。

Aさんは6カ月にも及ぶ入院生活を終え、久しぶりに自宅に戻りました。しかし、それを喜ぶAさんの姿はありませんでした。Aさんは「これからどうやって生きていけばよいのだろう」という不安を抱えていたのです。

それでもAさんは、介護施設に通うことは頑なに拒みました。そのまま、ずっと自宅に引きこもるような生活が6カ月ほど続きました。この期間、Aさんが接する他者は、介護職と親族のみとなってしまっていました。実質的にAさんは、ほとんどの時間を1人で過ごしていたのです。

変わり始めたきっかけは刺身

ある日、入浴介助をしていた介護職が、Aさんを介護施設に誘い出すことに成功します。この介護職は、介護の仕事をはじめる前は板前をしていた人です。Aさんが刺身好きと聞いたこの介護職は「新鮮な魚をさばくから」とAさんを誘ったそうです。


リハビリを重ね少しずつ回復(写真:筆者提供)

はじめのうちは、Aさんは、そうして介護施設へ通いでやってきても、周囲と打ち解けることはありませんでした。

しかし、自宅から外に出る機会が増えるにつれて、少しずつAさんに笑顔が見られるようになってきたのです。そしてAさんは、他者から話しかけられての笑顔だけでなく、自ら冗談を言って笑顔になることも増えていきました。

そのころ、介護職との対話の中で、Aさんは「これからどう生きていくのか」というテーマに触れるようになりました。また、自分が倒れてからの人生を振り返り、当時の心境についても詳しく話すようにもなったのです。

Aさんは「当時は何もかもが嫌になっていた。しかし、いろいろな人に応援してもらい、今は感謝の気持ちでいっぱいである」ということを頻繁に口にするようになりました。

Aさんは、自身に起こったことを受容しつつありました。そしてAさんは、介護職に対して「自分が死ぬまでにやりたいこと」を伝えました。それらは々圓つけだった新橋の店に行くこと、⊃斥舛鮹瓦阿海函↓7觝Г垢襪海函△任靴拭

その翌週、介護職はAさんを連れて、その新橋の店(居酒屋)に行きました。たまたま、女将さんが店の外で片づけをしているところに到着しました。そのとき、女将さんは、目をまん丸くしてAさんを見たそうです。女将さんは、Aさんが体調を崩し、そのまま亡くなったと聞かされていたからです。少し時間が経つと、その店に、古くからの常連たちがやってきました。そして皆が「生き返った」Aさんに驚き、尽きない談笑を楽しんだのです。

そんな具合にして、Aさんは、自分の状態に合わせた生き方を少しずつ見つけていきました。日々、生活に必要な動作も反復していましたので、体の動きも退院当時よりもずっとスムーズでした。そして、神輿を担ぐことについて介護職とじっくり話をするようになったのです。

Aさんは、本音では神輿を担ぎたいと思っていました。しかし、神輿を担ぐことはそんなに甘くありません。そしてAさんは、自分が無理やり担いでも、かえって周りに迷惑をかけるだけと、神輿をあきらめていました。

しかし「あきらめることは後でもできます。とりあえずできる一歩を踏み出しませんか」という介護職の誘いに、Aさんはついに腹をくくります。

9カ月のリハビリに励み・・・

ターゲットとしたお祭りの日まで、9カ月の時間がありました。リハビリを担当する別の介護職(正確には作業療法士)が、段階的に3カ月間のメニューを作り、それを実行することにしました。こうして書くと簡単なことのように思えますが、Aさんとしては、精神的にもかなり厳しいリハビリになりました。


いきいきと神輿を担ぐAさん(写真:筆者提供)

いよいよ神輿を担ぐ前日となり、Aさんの気持ちも高ぶってきました。担ぐ前に神輿を見てみたいというAさんとともに、祀られている神輿を見ていたときです。Aさんに声をかけてきた男性がいました。その男性は神輿会の前会長で、なんと、Aさんの小学校時代の同級生だったのです。現会長さんからAさんのことを聞きつけ、Aさんに声をかけたとのことでした。久方ぶりの再会ではあったものの、すぐに打ち解け、お互い励まし合っていました。

当日、拍子木の合図で神輿を担ぎ上げ、そこにAさんが加わります。事前の取り決めでは3分程度と言われていたのですが、もっと長く担いでいたような気がします。Aさんは担ぎはじめて、しばらくはその雰囲気にのまれ、顔がこわばっていました。しかし、だんだんとまっすぐ前を見据え、顔つきが凛々しくなっていきました。

担ぎ終えた後にAさんは一言だけ「もっと担ぎたかったな」と言葉を発しました。担ぎ終えたAさんには割れんばかりの拍手が送られ、周囲にできた人だかりがなくなるまでに、かなりの時間を要したことは言うまでもありません。

Aさんは現在、少しずつ、次のステージへ向かっています。介護職は、Aさんと同じような状態にある人のために、Aさんを講演会の場に立たせようとしています。また、Aさんが今、女性に会うたびに、自分が家を持っていることをアピールしているのは、本気で結婚をしようとしているから……かもしれません。

Aさんの例から気づいたこと

私は、このAさんの実話に触れて、介護とは、相手が「生きていてよかった」と感じられる瞬間の創造だと考えるようになりました。それに成功したとき、介護する私自身がとても幸せな気持ちになることにも気がつきました。

そう考えたとき、さらに思い当たることがあります。それは、介護というのは、必ずしも、心身に障害を抱えている人にだけ必要なものではないということです。


仮に心身に障害を抱えていたとしても、自分の人生に十分満足しており「生きていてよかった」と感じられる瞬間に恵まれている人には、なんらかの支援は必要でも介護は必要ないのかもしれません。しかし、仮に健康に見えたとしても、自分の人生に絶望しており「生きていてよかった」と感じられない人には、なんらかの介護が必要だと思います。

この違いは、自分で自分の人生を選べるかどうか、すなわち自立にかかっています。人間は、選択肢のない状態には不幸を感じるようにできています。逆に、それなりに選択肢があると、自分の価値観を見つめ、それに合った選択肢を考えるようになります。結果として、限定的な環境にあったとしても自分らしく生きられることになり、人間はそこから幸福感が得られるようになっているのです。

動けるような状態になったら何がしたいのかを問い続け、それがお祭りで神輿を担ぐことであることを見出し、実質的に引きこもり状態にあったAさんの身体能力を回復させ、本人の希望を達成するという一連の流れは、介護本来のあるべき姿を示しているとは言えないでしょうか。