―大好きな吾郎くんが、私と結婚してくれたー

数々の苦難の末に、結婚願望のない男・吾郎との結婚に辿りついた英里。

結婚はゴールでないことなど、百も承知。

しかし、そんな二人を待ち受けていたのは、予想を上回る過酷な現実であった。

愛し合っていたはずの夫婦は、どのようにすれ違い、溝ができてしまったのか。

男女の価値観のズレ、見解の相違、そして、家庭外での誘惑...。

二人は“新婚クライシス”に陥り、夫婦仲はギクシャクしたまま、ついに別居してしまう。そして距離を置いた夫婦は、互いに少しずつ思いを改め始めるが...?




「.........」

英里と新一は、銀座の『ラモ フルータス カフェ』のテーブル越しに向かいあったまま、気まずい沈黙と闘っていた。

先日はまさかの展開で新一に告白をされてしまったが、ここはきちんとケジメをつけなければならないと、今日は英里の方から彼を呼び出したのだ。

「新一くん、あの...」

「英里さん、本当にすみませんでした!!」

英里が口火を切ると、新一は勢いよく頭を下げた。

「僕、どうかしてました。迷惑かけて申し訳ないです」

「そんな、迷惑とかじゃなくて...」

「自分が恥ずかしいです...。英里さんは、結婚してるのに...」

一方的に謝罪され、英里は胸が痛む。

新一の気遣いと、昔、自ら身を引いたきんちゃんの姿が被って見えた。

どうして自分は、いつもこうして周囲に迷惑をかけてしまうのだろう。

問題が起こると他人を頼り、受け身にウジウジと悩み続けているうちに、他人を巻き込んでしまうのだ。

「ちがうの、全部私が悪いの。新一くんは後輩なのに、何だか変に頼っちゃって...。本当にごめんなさい。また、元の仕事仲間に戻ってもらえるかな...?」

思い切ってハッキリと告げると、新一は少し俯いて黙りこんだ後に、小さく答えた。

「元通りは...正直すぐにはキツいです......でも、精進します」

哀しそうに微笑んだ彼の顔を見たとき、英里はいい加減、弱い自分とは決別しなければならないと強く思った。


一方の吾郎は、またもやナオミに呼び出しを食らう...?!


“オジサン”と呼ばれた吾郎


「吾郎先生、ランチ奢ってください」

PCから顔を上げると、ナオミが有無を言わさぬ威圧感を放って吾郎を見下ろしていた。

きっぱりと言い放った彼女の声はオフィス内にも響いており、逃れ難い状況だ。

「......お、おぅ」

焦って松田の席を振り返り助けを求めると、奴は涼しげな顔で「いいから行ってこい」とでも言うように軽く目配せをしている。

「何、食おうか...」

思い切り及び腰で、目も合わさずに言った吾郎に、ナオミは「お鮨」と攻撃的に即答した。




「勘違い、しないでくださいね」

運よく席が取れたミシュラン2つ星の銀座の名店『鮨かねさか』にて、ナオミは握りをパクパクと口に放り込みながら言った。

「吾郎先生も松田先生も、少しからかっただけで動揺しちゃって、バッカみたい」

「い、いや...」

「まぁ、既婚のオジサンなんて、エラそうにしてたって、結局みんな揃って意気地ナシってことですね」

少し前の吾郎だったら、こんな鼻持ちならない小娘のケンカなんぞ、いくらでも喜んで応戦して蹴散らしてやっていたと思う。

だが、尖った口調と険しい表情とは裏腹に、20代らしい肌艶と生意気さにはまだ幼さも感じられ、吾郎は不思議と寛容な気分になる。

ナオミの言う通り、自分の知らぬ間に“オジサン”になったのだろうか。

「そんな情けない顔してるなら、早くご自宅に戻られたらどうですか」

「...君に関係ないだろう」

「夫婦は一緒にいるべきです。経験者が言うんだから、素直に聞いてください」

吾郎はナオミの意味深な言葉にぴくっと反応する。

「夫婦間でも適度な距離は必要ですけど、離れすぎたらやっぱりダメになります。特に子どもがいなければ、修復はどんどん難しくなりますよ」

「君は......」

「私のことはいいんです。元々結婚にはそれほど興味なかったし、所帯染みるのも嫌なので。それに私、若いカッコイイ男性にもまだモテますから。別に、オジサンじゃなくても」

強気に言い切るナオミの事情を深く聞き出すのは躊躇われたが、どこの夫婦も、やはり色々と問題を抱えているらしい。

「あとは既婚男性って、なぜか変に自惚れてますけど、何だかんだで本当に想ってくれてるのは奥さまだけだと思いますよ」

ナオミは嫌味たっぷりに言ったが、そのセリフはやけに吾郎の耳に残った。


前向きになり始めた英里に“あの男”が接近...?!


意外な人物の荒療治


英里は自分なりにケジメをつけたつもりであったが、新一と気まずい状態に陥り、唯一の拠り所であった社内の居心地はすこぶる悪くなってしまった。

自業自得ではあるものの、それもこれも、結局は吾郎との夫婦不仲がもたらした副産物だろうか。

そこまで考えると、自分にとっての本当の正解とは、いよいよ結婚を手放すことなのかと思えてしまう。

「英里ちゃん」

そんな中、会社帰りにオフィスビルのエントランスで突然声をかけられた英里は、その声の主を見て驚いた。

「き、きんちゃん?!」

「偶然......なんて、さすがに白々しいよね。仕事で近くを通ったから、もしかしたら英里ちゃんに会えないかなって思ったんだ」

「どうしたの...?」

きんちゃんは相変わらず仏のような微笑を浮かべながらも、何かを伺うような目つきで英里を覗き込む。

「良かったらゴハンでもどうかな。ちょっと話があるんだ」

新一との教訓もあり、この誘いに応じて良いものか迷ったが、きんちゃんがわざわざ来てくれるなんて何か事情があるはずだ。

「う、うん...」

英里は緊張しながらも、首を縦に振った。




「実は、英里ちゃんにこの前偶然会ったときから、元気がなさそうで気になってたんだ。それで、咲ちゃんから色々と事情を聞いて...」

アークヒルズ仙石山森タワーの『華都飯店』の席に着くと、きんちゃんは控えめに語り始めた。

「そ、そうだったの...」

「咲ちゃんには、黙ってろって言われたんだけど」

きんちゃんはそこで言葉を切り、じっと英里を見つめる。

その憐れむような視線に怯み、気まずい沈黙にも耐えられず、英里はヘラヘラと自虐的に振る舞ってしまう。

「恥ずかしいっていうか、情けないっていうか...。私、どうやらダメな奥さんみたいで」

「うん。本当に情けないよ。正直、見損なった」

思いがけない彼の冷たい一言に、思わず身体が固まる。

「結婚前だって散々トラブルを乗り越えたんだからさ、新婚クライシスくらい、さっさと解決してよ」

「き、きんちゃん...?」

「勘違いしないでね。別に英里ちゃんに未練とかがあるわけじゃないよ。でも、僕が嫌なんだよ。好きだった子が幸せになってないのが。何だか、すごく腹立たしいんだ」

狼狽する英里に構うことなく、きんちゃんの厳しい口調は続く。

「英里ちゃんはさ、結局あの旦那さんじゃないとダメだよ。そんなの僕が一番分かってる。だからもっと賢くなって、うまく幸せになってよ。好きな人と結婚できたんだから、そのくらいの知恵は身につけなよ」

「......きんちゃん、ごめ......」

「僕に謝らないで。それに、泣かないで」

きんちゃんは英里から目を逸らし、大きく息を吸って溜息をつくと、元の穏やかな表情に戻っていた。

「大きなお世話っていうか、僕が口出しすることじゃないのは分かってるけど......黙ってられなかったんだ。はい、もうこの話は終わり。ねぇ、この“酸菜火鍋”、冬限定で美味しいんだよ。たくさん食べて、元気出して」

「きんちゃん、ありがとう...」

その後、きんちゃんは宣言通り、夫婦の話題には一切触れなかった。

感謝しても、しきれない。

彼の荒療治は、英里に絶大な効果をもたらした。



―もう、ブレない。吾郎くんと絶対に仲直りする。

きんちゃんと別れた英里は、これまで全身を包んでいた靄が一気に晴れるように、心がクリアになるのを感じた。

彼の言う通り、あれこれただ不満を訴えるのではなく、知恵を身につけ賢くなるべきなのだ。きんちゃんの言葉は説得力があり、英里はやっと自分の進むべき方向性を見つけることができた気がする。

そうして久しぶりに前向きな気持ちで自宅に戻ると、玄関先で違和感に気づいた。

廊下に続くリビングのドアに薄明かりが灯っており、ウェーブがかった髪に長身のシルエットが目に飛び込んで来たのだ。

「......吾郎くん!?」

急いで部屋の中に進むと、そこには数週間ぶりの夫の姿があった。

▶NEXT:2月17日 土曜日更新予定
ついに再会を果たした二人。しかし“あの問題”解決は難航を極める。