金正恩氏

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北朝鮮は8日、金正恩党委員長の妹・金与正(キム・ヨジョン)党第1副部長を含む北朝鮮の高位代表団が9日午後1時30分、韓国で同日開幕する平昌冬季五輪に参加するため、専用機で仁川国際空港に到着予定であると韓国に通知した。

故金日成主席に始まる北朝鮮の金王朝――「白頭血統」の一員が韓国を訪れるのは、これが初めてだ。

もっとも、金与正氏は資本主義社会を知らないわけではない。10代初めの頃には金正恩氏といっしょに、スイス・ベルンに留学していた。それより前の1990年代初めには、大阪出身の母親・高ヨンヒに連れられて他人名義の旅券で日本に入国し、ディズニーランドで遊んでいたとされる。

つまり、金与正氏は「こちら側」のことをじゅうぶんに知っているわけだ。それに比べこちらは、彼女のことをほとんど知らない。果たして、金与正氏はどのような人物なのか。

脱北者で平壌中枢の人事情報に精通する李潤傑(イ・ユンゴル)北朝鮮戦略情報センター代表によれば、金与正氏は1988年9月1日の生まれだ。同年9月23日生まれと伝えらえる金正恩氏の妻・李雪主氏と、ほとんど同い年ということになる。

(参考記事:【写真特集】李雪主――金正恩氏の美貌の妻

以下、李氏の情報をもとに、金与正氏の輪郭を描いてみたい。

李氏によると、金与正氏は乗馬と射撃が趣味とされ、北朝鮮の幹部たちの中には彼女を「女傑」と呼ぶ向きがある一方、好奇心が旺盛で何にでも顔を突っ込む性格が一部で不興を買っているとのことだ。

また、北朝鮮では学校に通わず、家庭教師から特別教育を受けたとされるが、数学や物理などの基礎科学を好み、2007年から2008年にかけての6カ月間、金日成総合大学の物理学部で特別コースを履修したとされる。この点、勉強が苦手で、母親により軍隊に送り込まれた金正恩氏とはキャラクターが異なるようだ。

大学を終えた2009年2月、金与正氏は朝鮮労働党宣伝扇動部の行事課にポジションを得て、官僚としてのキャリアをスタートする。宣伝扇動部は、北朝鮮における重要機関のひとつだ。そこで金与正氏は間もなく課長になり、2014年1月には同部の行事担当副部長となる。

そして同年4月、行事課は行事部に昇格し、金与正氏が部長不在の第1副部長――つまりは実質的な部門長に就いたというのが、李氏の説明である。ただ、党行事部の存在については、李氏以外に言及している人がいない。引き続き、確認の必要な情報と言える。

金与正氏が2015年初め頃に結婚していることは、左手薬指にリングをはめた写真などからも明らかだ。相手については一時、金正恩氏の最側近のひとり、崔龍海(チェ・リョンヘ)党副委員長の息子であると噂された。

だが、李氏によればこれは間違いで、実際には地方(黄海北道)の中堅幹部の息子で、金与正氏より2歳年上。金日成総合大学出身で、身長が180センチほどの男前だという。

2人は大学在学中に知り合い、自由恋愛を始めたとのことだが、先に相手を見初めたのは金与正氏の方だったとのことだ。当時、金与正氏は自分の正体を隠して大学に通っており、男性も彼女の父親が誰であるか知らなかったそうだ。後になって知ったときの彼の驚きようは、想像に難くない。

金与正氏本人はざっくばらんな性格のようだが、彼女が北朝鮮において「超」が付くほど特別な存在であることは、動かしがたい事実なのだ。

2人の結婚が2015年だったことを考えると、それを最終的に許可したのは父・金正日総書記(2011年12月死亡)ではなく、兄の金正恩氏だったはずだ。北朝鮮の公式報道に登場する兄妹の姿を見る限りでは、金与正氏は金正恩氏に強い信頼を寄せているように見受けられる。それは兄が公私にわたり、妹の意思と存在を重んじていることの表れでもあるだろう。

実際、金与正氏は金正恩氏にとって、かけがえのない存在であると言える。それは家族としてだけでなく、独裁者としても同じだ。独裁者は孤独である上に、行動の歯止めになるものが少ないことから暴走しがちだ。たとえば金正恩氏が部下に激怒し、感情的になったとき、それをいさめられるのは実の妹ぐらいしかいないだろう。

金正恩氏が、数多くの幹部たちを些細な理由で粛清・処刑してきたことを考えれば、側近たちにとっても金与正氏はありがたい存在のはずだ。もしかしたらすでに、彼女なしに北朝鮮の政治は回らなくなっているのかもしれない。