正面玄関のガラスレリーフ扉はルネ・ラリックの作品(撮影:梅谷秀司)

東京23区だけでも無数にある、名建築の数々。それらを360度カメラで撮影し、建築の持つストーリーとともに紹介する本連載。第2回の今回は、港区の「東京都庭園美術館」へ訪れた。
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JR目黒駅からほど近い白金台の東京都庭園美術館は、1933(昭和8)年に朝香宮邸として建てられた。日本国内でもめずらしいアール・デコ様式の洋館として知られる。

戦前の宮家が愛したアール・デコ

朝香宮家は久邇宮鳩彦(やすひこ)王が、1906(明治39)年に明治天皇から朝香宮の宮号を賜って創設した宮家。鳩彦王は明治天皇の第八皇女允子(のぶこ)内親王と結婚し、2年半あまりフランス・パリで生活した後にこの邸宅を建てた。


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明治以降の日本には、天皇をサポートし、皇位継承権を保持する宮家が多く存在。その邸宅は都内の高台、山の手地域に点在していた。

現在、都内に残っている旧宮邸には、旧竹田宮邸であるグランドプリンスホテル高輪の貴賓館、旧李王邸である赤坂プリンスクラシックハウスがあり、そのほか広尾の聖心女子大学内には旧久邇宮邸=クニパレスが保存されている。

今回訪ねた旧朝香宮邸は、1983年に東京都庭園美術館となったが、戦前戦後と、数奇な運命に翻弄された建物だとも言える。戦後、GHQの進駐と皇室典範の改正により多くの宮家は廃止され、朝香宮は皇籍離脱を余儀なくされた。

細かな装飾が随所に施された大客室(編集部撮影)

宮邸は外務大臣公邸や国の迎賓館として用いられた後、西武鉄道の所有となる。同社傘下で白金プリンス迎賓館となり、ホテル新館の建設が計画されたが周辺住民の反対などがあり中止。その後、この土地は東京都に売却され、東京都の迎賓館になった後に東京都庭園美術館となる。かつての主・朝香宮が93歳で亡くなったのは1981年で、その直後のことだった。

この建物がアール・デコの館となったのは、フランスに留学中だった朝香宮が1925年に開催された国際博覧会=アール・デコ博を夫妻で訪問し、そのデザインに魅了されたことによる。それまで高輪にあった朝香宮邸は関東大震災(1923年)で被災し、新たな邸の建設を計画していた時だった。

アール・デコとは1920年代前後のヨーロッパで流行した装飾様式で、直線と立体による構成や幾何学模様を特徴とし、工芸、建築、ファッションなどの多分野に影響を与えた。

朝香宮邸では夫妻の強い要望で、アール・デコ博で数々のパビリオンを手がけたアンリ・ラパンが1階の大広間や客室、大食堂などの主要な部屋と、2階の殿下書斎、居間のデザインを担当。ラパンは、ガラス工芸家ルネ・ラリック作のレリーフやシャンデリア、マックス・アングラン作のエッチングガラス扉など当時活躍中のアーティストたちの作品をふんだんに用いて室内を装飾し、建物自体が美術品と言える邸宅となった。

現代アートの企画展も開催

2階の殿下居間。アール・デコの館内と現代アートの融合もまた面白い(編集部撮影)

庭園美術館では毎回、趣向を凝らした企画展を開催、この建物の魅力を掘り下げ、伝えている。また他の企画展も、現代美術やフランスの工芸など、この美術館の空間とのコラボレーション効果のあるものや、ミスマッチ的な面白さがあるものが多く、アール・デコの空間とアートとの相乗効果を楽しめる場ともなっている。

そしてここは“庭園美術館”と言われるだけあって、建物を囲む広大な庭があり、建物とマッチした芝庭、茶室などを配した日本庭園もある。隣には国立科学博物館付属の自然教育園が続いていて、豊かな自然を抱く都心のオアシスともなっている。

この美しい館を実現させた裏方に、宮内省内匠寮(たくみりょう)という存在がある。朝香宮邸というと常にラパン、ラリックという名前を挙げて語られることが多いのだが、建物の外観やラパンがデザインした以外の部屋のデザイン、そしてアール・デコの館として全体をまとめる役割は宮内省内匠寮の権藤要吉らが担当した。

宮内省内匠寮は当時最高の建築設計の職能集団で、現在の迎賓館(赤坂離宮)をはじめ、数々の宮家の設計を担当している。権藤は当時のエリート建築家として、大正末には欧米の貴族住宅や、朝香宮夫妻も訪れたアール・デコ博の視察にも行っている。この邸宅内をラパンがデザインした部屋と、それ以外の部屋とを意識しながら巡ると、宮内省内匠寮の技量の高さを改めて実感する。

美術館となってから今年で35年になるこの建物だが、2011年から約2年かけて修復を行い、本館裏に展示室を備えた新館を設置。2015年には国の重要文化財に指定された。

関東大震災後に建てられた邸宅には、倒壊しないように構造や壁の厚さを必要以上に丈夫に造っているものも多く、この建物も診断したところ、大規模な耐震補強は必要ないことがわかった。インテリアや装飾品に関しては、大広間に続く次室(つぎのま)にある香水塔の修復、2階の「殿下の居間」の壁面の竣工当時への復元などが行われた。

邸内にはアール・デコのインテリアとマッチした家具が創建時からあったはずなのだが、その多くは、建物の主が代わる度に徐々に失われ、1981年に西武鉄道から東京都に建物が売却された際には、建物のみの引き渡しという条件で、内部に家具のない状態だったという。その後、美術館になってからは、館内にあった家具の一部が西武鉄道から寄付されたほか、図面から復元するなどして30点以上の家具を修復、復元してきた。

モダンな装いの新館

新館に続く通路(編集部撮影)

新館の建物には、「ホワイトキューブ」と言われる白い天井、白い壁の展示空間が設けられ、美術家の杉本博司がアドバイザーとして参加。新館と本館の連絡通路には杉本のデザインで三保谷硝子店製のガラス壁があり、その表面の凹みの影が太陽の傾斜の角度によって、ハート型になったりうろこ型になったりする現代アート的な空間も見られる。

今回久しぶりにこのアール・デコの館を訪ねたが、修復を経て建物は美しく甦りさらに魅力を増している。そしてここは、何度訪ねても新たな美を発見できる場所であることを実感した。