山田耕介(サッカー部監督)PROFILE やまだ・こうすけ/ 1959年12月3日生まれ、長崎県出身。83年に前橋育英高の監督に就任すると、山口素弘や松田直樹、細貝萌ら数々の名選手を指導。36年目の今年、悲願の選手権制覇を果たした。写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部)

写真拡大 (全4枚)

 選手権で悲願の初優勝を成し遂げた前橋育英は、昨年からコンディショニング栄養食を使うなど、徹底した体調管理に取り組んできた。激闘を勝ち抜くため、どのようにして選手たちのコンディションを維持しているのか山田耕介監督に訊いた。
 
――原動力は昨年の悔しさにあり。

 

 高校サッカー選手権で初優勝できたのは嬉しいのですが、正直なところを言うとホッとしています。通算3度目の決勝でまた負けたら大変なことになっていましたから(笑)。
 

 今年のチームは選手たちも言っていると思いますが、昨年の選手権決勝で青森山田に5 -0の完敗を喫したところからスタートを切りました。それがあったからこそ、勝つために必要な厳しいトレーニングを継続することができたと思います。
 

 とても悔しい思いをしましたが、負けた悔しさはすぐに忘れてしまうもので、3日もすれば記憶として薄くなっていきます。でも、「忘れてはいけない。それではいけないよ。また、悔しい想いはしたくないだろう?」という話を、選手たちが忘れそうになる度にしてきました。
 

 それが1年間ずっとボールを追い続けることができた要因で、選手権の優勝という結果につながったと思っています。

 

――選手権前の不調と主将の負傷。苦難を乗り越え、日本一へ。

 

 今年度は優勝できそうで出来ない時期が続き、インターハイは準決勝で敗退。昨年12月のプレミアリーグ参入戦もあと1勝で昇格というところで敗れました。
 

 とりわけ、プレミアリーグ参入戦は「これはどうしたものか」というような出来で、本当に立ち直れないなと思いました。あのPK負けは立ち直れないですよ(笑)。(昇格が懸かった参入戦2回戦で戦った)ジュビロ磐田も参入戦出場が5回目でうちが4回目。コンディションも整えて、休みも入れました。リーグ戦も最後のフロンターレ戦で主力を休ませ、開催地の広島入りも通常より1日早めました。
 

 それぐらい万全な状態で臨みましたが、それでもダメだったのはショックでしたね。でも、選手たちは不思議なことに、選手権に向けて気持ちを切り替えていました。「こいつらはもう選手権に切り替えているのか」と思い、自分も早く切り替えなければと考えました。
 

 そして、迎えた今回の選手権ですが、3回戦の富山一戦で主将の田部井涼が負傷し、試合後にトレーナーと相談をしました。すると、準々決勝と準決勝で使えば決勝は無理だろうという話になったので、決勝に照準を合わせ、治療に専念するように決めました。
 

 無理をすれば起用できたかもしれませんが、涼がいなくても恐らく決勝まで勝ち上がれるという自信がありました。代わりに出場した2年生の秋山裕紀も本当に良い選手。周りもそのプランで行けると言ってくれていたので、涼を休ませる決断をしました。
 

――150人を超える大所帯では、体調管理は不可欠な要素。

 

 他の学校やクラブもそうだと思うのですが、うちは1年生から3年生がそれぞれのチームに分かれて活動しています。そこに各コーチが付いて、彼らが中心になって朝練習の後に必ず集ります。だいたい7時40分からがコミュニケーションを取る時間で、各選手のコンディションの確認とアドバイスを行なっています。

 

「あいつは今日寝坊しました」というような話も含めて、体調やメンタルの情報を収集するので、本当に重要な場になっていると思います。自分も寮生と一緒に生活をしているので、6時15分から生徒たちと体操を行なってからそのミーティングに参加するようにしています。