神奈川県の黒岩祐治知事。混乱の原因を理解できているのか。(写真=時事通信フォト)

写真拡大

神奈川県立がんセンターで、放射線治療医が大量退職し、治療の継続が難しくなっている。原因はセンター内での派閥対立だ。2月5日、黒岩祐治知事は、同センターを運営する県立病院機構の土屋了介理事長を解任した。だが土屋理事長は大量退職の穴埋めに奔走していた功労者で、むしろ混乱を招きかねない。患者不在の派閥対立はいつまで続くのか――。

■本当に「医師間のパワハラ事案」なのか?

神奈川県立がんセンターが危機に陥っている。放射線治療医が大量退職し、治療の継続が難しくなったのだ。

きっかけは、昨年8月、中山優子放射線治療部部長(当時。現国立がん研究センター放射線治療科医長)が退職したことだ。残りの5名のうち、3名が1月末までに退職した。

神奈川県は調査委員会を立ち上げ、1月24日に調査結果を発表した。配布資料の中で中山医師らの主張を引用し、「退職医師らが退職を決意した最も大きな理由は、放射線治療科に長年勤務していた医師が外部機関に研修派遣され、退職に至った」と述べ、この事件を「コミュニケーション上の大きな問題」と認定した。そして「派遣の理由や必要性についてしっかりとした説明責任を果たし、病院現場との意思疎通、コミュニケーションを徹底していれば、今回の事態を防ぐことも可能であった」と結んだ。

さらに、「医師間のパワーハラスメント事案」があることを認め、「病院機構の内部規定に則った対応がされていない」と土屋了介・神奈川県立病院機構理事長の対応を批判した。

この主張だけを聞くと、現場の医師をいじめる土屋理事長を、神奈川県庁が懲らしめたように映る。ところが、実態は正反対だ。

私は、改革派の土屋理事長を引きずり降ろすため、既得権者である中山部長や神奈川県庁幹部が策動したのが真相だと思う。2月5日、神奈川県の黒岩祐治知事は土屋理事長を解任すると発表した。患者不在の迷走はどこまで続くのだろうか。

■土屋理事長にしゃべられると困る人がいる

昨年12月8日の午前、首藤健治・神奈川県副知事から携帯電話に連絡が入り、その夜、彼は私のオフィスに訪ねて来た。そして、「土屋先生は問題がある。このままではもたない。(土屋降ろしに)自らの進退をかける」と言った。

首藤氏は灘中学・高校剣道部の2年先輩で、37年のお付き合いだ。嘘は言わないだろう。私は、この時、土屋理事長と神奈川県庁が抜き差しならない関係に陥っていることがわかった。調査は非公開で、8人のメンバーのうち7人は県の役人だ。県の調査が「土屋理事長追い落としの結論ありき」であることが分かる。もちろん、こんなことは許されない。県民視点に立って、公正に評価されなければならない。

神奈川県は、この点を突かれたくない。1月29日、この問題を県議会で取り上げる予定で、自民党が土屋理事長と大川伸一・神奈川県立がんセンター院長を参考人に招致したが、当日になって招致はキャンセルとなった。土屋理事長にしゃべられると困る人がいたようだ。

当日、質問に立った小川久仁子県議(自民党)は「(退職した中山)医師のわがままではないか。県民視点で指導してくれたのなら、それは正しいことではないか」と批判した。

彼女が中山医師を批判した理由は、中山医師が「経歴詐称」をしていたからだ。

■経歴を詐称する人物は信用できない

神奈川県立がんセンターでは「先進医療」である重粒子線治療に取り組んでいる。この治療について、厚労省は施設基準として、施設責任者には1年間の療養経験が必要としている。だが中山医師は放射線医学総合研究所(放医研、千葉県)に3カ月出張した経験があるだけだった。中山医師は放医研で2年間、客員研究員を務めているが、大部分の期間を県立がんセンターで勤務しており、これでは基準を満たさない。この点を指摘された中山医師は「当該外部機関に確認した上で記載した」と説明したが、「経歴詐称」であることは明らかだ。だが、神奈川県はこの主張を追認し、申請書類を厚労省に提出した。

彼らの理屈が通用しないことは誰でもわかる。療養に従事しない客員研究員の期間を臨床経験に加えていいはずがない。それに、「確認」は、共同申請者である「当該外部機関」ではなく、厚労省に対して行うべきだ。

私は経歴を詐称する人物は信用しない。ほかでも嘘をついている可能性が高いからだ。多くの研究不正事件で、ひとつでも不正が見つかった研究者は、その後、数多くの不正が露見することが多い。

■なぜ医道審議会で処分を検討しないのか

中山医師は、神奈川県立病院機構が開設した重粒子線治療センターの責任者になりたかったのかもしれない。だが、平気で「嘘」をつく無資格者に治療されては、患者はたまらない。厚労省に「嘘」をつくのだから、患者をだましていてもおかしくない。

この件を報告された厚労省は調査を開始した。無資格者の治療なのだから、本来、医道審議会で処分を検討すべきだ。2015年、聖マリアンナ医大の精神保険医の資格不正取得事件では、医道審議会での答申を受けて、3人が医業停止、15人が戒告となっている。

2014年に神奈川県立病院機構の理事長に就任し、中山医師の経歴詐称について知った土屋理事長は、外部から有資格者である野宮琢磨医師を招聘し、重粒子線治療科の部長に任命した。そして、中山医師が資格をとれるように、放医研での研修を命じた。

ところが、中山医師はこれに納得せず、退職。同調した若手医師も集団退職した。退職した若手医師にも、彼らなりの言い分があるだろうが、患者を見捨てたことは事実だ。世間知らずの医師たちの「わがまま」と見なすのが妥当だろう。

■神奈川県庁にパワハラを調査する権限はない

どこも報じないが、招聘された野宮医師は、中山部長から「パワハラ」を受けていたことが明らかになっている。「報復を恐れた本人は届け出ずに我慢していた」(県立がんセンター関係者)が、予想外の方向に事態が進むのをみて、神奈川県の調査委員会に資料ととともに提出した。ところが、神奈川県はこのことを公表しなかった。

2月2日、神奈川県の不誠実な対応に業を煮やした土屋理事長は、県庁記者クラブで記者会見を開いた。そして、過去の経過を説明した。また、2人の副知事から辞職を迫られたことを明かした。

実は、神奈川県の問題はお手盛りの調査委員会だけでない。そもそも県立がんセンターは独立行政法人である神奈川県立病院機構が運営しているもので、神奈川県には一般指揮監督する権限がない。神奈川県庁にはパワハラを調査する権限も、副知事が理事長の辞職を迫る権限もない。その根拠は地方独立行政法人法だ。

同法の17条では、「職務上の義務違反があるとき」には、神奈川県知事が県立病院機構の理事長を「解任することができる」と明記されている。

他に介入できる点については、同法122条に規定されており、その条件は「法令若しくは設立団体の条例若しくは規則に違反し、又は違反するおそれがあると認めるとき」である。

独法に詳しい政府関係者は「パワハラは法令違反ではなく、神奈川県が独法に介入する理由にはならない。まして、副知事が理事長に退任を迫るなど論外」と言う。

■神奈川県が横浜市大の提案を拒絶した理由

神奈川県のパワハラ認定も一方的だった。2月2日に配信されたエムスリーの記事「神奈川県病院機構、県に真っ向から反論、医師退職問題」によると、神奈川県庁の調査報告書では、「病院機構の監査・コンプライアンス室が医師間のパワハラ事案(筆者注放射線科内部のパワハラ)を認定している」が、これは事実とは異なる。

土屋理事長の説明によれば、病院長から報告を受け、監査コンプライアンス室にヒアリングを指示した。この人物は神奈川県警のOBで、この手の問題への対応には慣れている。彼は「ハラスメントに認定しうる」と判断したが、被害医師からパワハラを訴える医師はいないことを確認したため、「ハラスメントの要件は満たさない」と判断し、土屋理事長に報告した。専門家は、パワハラ認定は、あくまで当事者の意向を優先しているようだ。土屋理事長は、加害医師に対して口頭で注意した。適切な対応だと思う。

神奈川県の問題は、これだけではない。放射線科医不足も、もとは神奈川県庁がまいた種だ。重粒子線治療施設の計画が持ち上がり、放射線治療医を確保することが必要となったのは2009年。このとき神奈川県立がんセンター内に横浜市大大学院を設置し、放射線科医を育成する話が提案された。

しかし神奈川県は横浜市大の提案を拒絶した。当時のことを知る県立がんセンター関係者は「中山部長が『横浜市大に頼らなくても、医師は自分たちで確保できる』と言った」という。土屋理事長によれば、「14年に神奈川県立病院機構に赴任したとき、横浜市大幹部から『いろいろと経緯があって、先生には協力できない』と言われた」そうだ。土屋理事長は、「今回、はじめて全貌がわかった」という。

■120億円の施設が止まれば、引責辞任がスジ

神奈川県が立ち上げた医師確保対策委員会(委員長首藤健治副知事、大川病院長と県職員7人で構成)も、奇妙な存在だった。神奈川県は土屋理事長に対して「医師確保はこちらでやるから、そっちは動かないでほしい」と指示した。こんなことは、県と独法の関係を考えればありえない。神奈川県の越権行為だ。

このことを記者会見で追及された黒岩知事は「緊急事態だから」と苦しい説明をしたが、緊急事態だから超法規的に動いていいという道理はない。

神奈川県がやるべきことは、独法への支援だ。一般指示や医師確保ではない。ところが神奈川県はいまだに県直営病院の意識でいる。だからこそ、県庁に「医師確保対策委員会」という組織まで作った。これが、病院機構も神奈川県も責任をとらない「無責任体制」を招いた。

120億円を費やした重粒子線治療施設が止まれば、責任者は引責辞任するのがスジだ。ところが、県立がんセンターの大川院長も、2人の副知事にも、そんな覚悟はないようだ。

■「神奈川の仲間割れに巻き込まないでほしい」

私には、大川院長は「土屋憎し」だけで動いているように見える。大川院長は、院内で「医師派遣を求めた群馬大と東京大学から『土屋理事長が怖いので、辞めないと人は出せない』と言われた」と報告している。

こんな発言を信じる人はいないだろう。飲み屋の愚痴でもあるまいし、大学が「××さんが怖くて」などというはずがない。現に、今回、県立がんセンターに残ったのは東大医局に所属する若手の女性医師だ。

群馬大学のある教授は、土屋理事長に対して、大川院長の発言を明確に否定したという。知人の群馬大学出身者は「腹腔鏡事件で世間から批判されている現在、理事長が嫌いだから医師を出さない、引き上げるなんて言うことはあり得ない。神奈川の仲間割れに巻き込まないでほしい」という。

■放射線治療医の派遣を調整したのは土屋理事長

現場は、こんな体たらくなのに、神奈川県は手柄だけは誇りたいようだ。1月24日の記者会見で、県内外の大学、医療機関に派遣を要請した結果、3月末までは常勤医4人、非常勤医6人の計10人を確保できたと明かした。黒岩知事は自ら病院に足を運び、電話をかけたそうだ。「最終的にトラブル前よりも増えた」といって、派遣元として福島県立医大など4施設の名前を挙げた。

私はあきれはてた。今回、神奈川県立がんセンターの支援に動いているのは3人の専門医を派遣する福島県立医大だが、この派遣を調整した人物こそ土屋理事長だからだ。

医師の派遣は、土屋理事長が福島医大の竹之下誠一理事長に依頼したことで実現した。竹之下理事長と私は、福島での医療支援活動を通じ、知り合った。とても信頼できる人物であり、今回、私が2人をつないだ。竹之下理事長は、放射線科医大量離職の背景をすぐに理解し、「優先すべきは患者さんです。医師同士の仲たがいのどちらかにくみする気は一切ありません」と言って、放射線治療科の鈴木義行教授につないでくれた。昨年12月13日、土屋理事長は福島県立医大を訪問し、鈴木教授に医師派遣を依頼した。鈴木教授は快諾し、今回の運びとなった。私も、土屋理事長に同行し、両者の会談に同席した。

その後、土屋理事長が竹之下理事長に携帯電話でお礼を伝えた。そこで竹之下理事長から「うちは県立医大です。そちらの黒岩知事から、内堀福島県知事に一本電話を入れてもらえませんか」と付け加えた。これが、黒岩知事が記者会見で話した手柄の背景だ。おそらく、黒岩知事は、こうした経緯を副知事から聞いていないのだろう。

■「土屋先生がいなくなったら、辞めた部長が戻ってくる」

神奈川県庁の問題は、これだけではない。首都圏の大学病院の准教授が、空席の部長に応募してきた。私の知る限り、実力・経験ともに申し分ない。少なくとも経歴を詐称するような人物ではない。

ところが、神奈川県の知事室は「この人物は前の職場でパワハラのうわさがある」という理由で、採用しないように指示してきた。これも越権行為だし、パワハラは単なるうわさ話だ。この准教授には処分の前歴はない。

現在、神奈川県立がんセンターが求めるのは、核になりえる管理職だ。この点で、彼は格好の人材だ。うわさ話のレベルでむげに断るなどあり得ない。県立病院機構の職員は「土屋先生がいなくなったら、辞めた部長が戻ってくるんでしょう」という。

神奈川県立病院機構の混乱を調べていると、患者視点の欠落にがくぜんとする。経歴詐称がばれて、徒党を組んで退職した部長に同情の余地はない。厳格に処分すればいい。

■副理事長らが「理事長解任」を求める緊急声明を送付

神奈川県は遵法意識をもつべきだ。2月2日、土屋理事長は県立がんセンターの大川院長を解職し、企画情報部長とする辞令を交付した。これは懲戒処分でなく、人事異動だ。法的な問題はない。ところが、大川院長や県の関係者はこれに抵抗した。県立がんセンター職員によると「大川院長は黒岩知事に人事異動の取り消しを求めて陳情にいき、土屋理事長の指示で院内に掲示された人事異動の張り紙は、事務職員の手ではがされた」という。

そして、2月5日には、神奈川県立病院機構の康井制洋・副理事長以下、6名の幹部が「神奈川県立病院機構土屋了介理事長の解任を求める緊急声明について」という書面を、黒岩知事や県議に送った。このなかに大川氏も名を連ねている。(※編注:記事の末尾で、関係者から入手した「緊急声明」の書面を掲載しています)

同日、黒岩知事は、土屋理事長を呼び出し、大川院長の解任を取り消すように求めたが、土屋理事長が聞き入れなかったので、彼を解任した。黒岩知事は「県知事の指示を聞けないなら、罷免する」と伝えたそうだ。前述したように、知事が独立行政法人の理事長に指示を出すことは法の趣旨に反することだ。知事の権限は任命と罷免で、指示ではない。

独法制度に詳しい前出の政府関係者は「理事長の方針に反対だからといって、知事に理事長解任を申し立てるなど、全くの権限逸脱です。おそらく、県の上層部と機構幹部が通謀してやったのでしょう」という。

■病院機構は法令を無視する「無法地帯」と化した

経歴を詐称する、辞令を拒否する、張り紙を無断ではがす。独法制度のルールを平気で破る。法令を無視し、「無法地帯」と化している。県立がんセンターの職員はみなし公務員なのだから、法令や規則に違反する人物は淡々と処分すればいい。混乱を引き起こした幹部は、しかるべき責任を負うべきだし、副知事は「進退をかける」と言っていたのだから、約束を果たすべきだ。

神奈川県庁と県立がんセンターの暴走は目に余る。暴走を止められるのは県議会だ。県議会では調査委員会の調査結果に対して、公平な立場から質疑が展開されている。しっかり対応すべきだ。

また議会と並んで重要なのがメディアの役割だ。テレビや新聞の県政担当記者には、正確な事実を報じてもらいたい。患者不在の騒動の詳細を、県民に周知してもらう必要がある。

医療は社会的な営みだ。健全な民主主義がなければ、維持できない。神奈川県に必要なのは、県民視点での情報開示、開かれた議論である。

----------

上 昌広(かみ・まさひろ)
医学博士。1968年兵庫県生まれ。1993年東京大学医学部医学科卒業、1999年東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員、東京大学医科学研究所特任教授など歴任。2016年4月より特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所を立ち上げ、理事長に就任。医療関係者など約5万人が講読するメールマガジン「MRIC」編集長。

----------

(医療ガバナンス研究所 理事長 上 昌広 写真=時事通信フォト)