伝説の蓄財家に学ぶ「巨万の富を築く方法」とは?

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 皆さんは本多静六(1866年〜1952年)という人物をご存知でしょうか? 本多静六は、大学教授・投資家・造園家として、明治から昭和初期に活躍した人物です。彼はドイツのミュンヘン大学で林学を学んで国家経済学博士号を得たのち、帰国し、東京農科大学(現・東京大学農学部)の助教授、教授になります。

 その後、北海道の大沼公園、福島県の鶴ヶ城公園、埼玉県の羊山公園、東京都の明治神宮、日比谷公園、長野県の臥竜公園など、多数の公園の設計や改良に携わり、日本の「公園の父」と呼ばれています。

 本多静六は一生涯を通じて独自の蓄財法と投資法を実践して莫大な財産を築きました。そしてなんと、定年退官を機に、その全財産を匿名で寄付したという伝説的な人物です。

 彼が晩年に著した『私の財産告白』には、彼がどうやってその巨万の富を築くに至ったか、その秘訣が明かされています。本時は本書より、彼の蓄財法と投資法を学んでいきましょう。

◆給与の1/4を貯蓄せよ

 まずは彼の蓄財法から見ていきましょう。彼は、少年時代からひどい貧乏生活を続けていました。そして貧乏生活を抜け出すには、貧乏をこちらから進んでやっつけなければならない、という考えに至ります。そこで彼が思いついたのが、彼が「4分の1貯金法」と呼ぶ方法です。

 「4分の1貯金法」とは、彼の言葉を借りると「あらゆる通常収入は、それが入った時、天引き4分の1を貯金してしまう。さらに臨時収入は全部貯金して、通常収入増加の基に繰り込む」というものです。

 つまり、月給その他の月々決まった収入は4分の1を、著作収入、賞与、旅費残額などの臨時分は全部貯金に繰り込む。こうしてまた次年度に新しく入ってくる貯金利子は、通常収入とみなして更にその4分の1だけを後に残しておくのです。

 彼によればこの方法は「無理のようで決して無理ではない」ということです。なぜなら、仮に給料を20万円もらったなら、15万円しかもらえなかったと思って、5万円分天引きすればよいだけだからです。つまり、生活を一段下げたところから始めるだけでよい、ほんの1回、最初だけ生活の切り下げを行ないさえすれば、あとはそれが当たり前の生活水準になるのです。

 静六自身は25歳の時にこの貯金法を始めました。始めはとても苦しく、奥さんやお子さんたちも大変な思いをしたようですが、この4分の1貯金を続けていれば、3年目にはこれくらい、5年目にはこれくらい、10年目にはこれくらいになる。今の苦しさは、苦しいのを逃れるための苦しさだから、しばらく我慢してくれと懸命に家族を説得したそうです。

 そうしてある程度まとまったお金を元手に、日本鉄道株を買い、これが当たって一財産を築きます。その後、秩父の山奥の山林を買収したところ、日露戦争後の好景気時代に木材が大幅な値上がりをし、大きな財産を築くに至ります。

◆投資は欲を出さず、逆張りせよ

 では、彼はどのような考え方に基づいて投資活動をしていたのでしょうか。

 彼の投資法は、彼が「二割利食い、十割益半分手放し」と呼んでいる方法で、「買値の2割の益が出たらすぐに転売して益金を銀行の定期預金に預け、手持ちの株が2倍以上に騰貴した場合は、半分を売り放ち、元金だけを預金に戻す」というものになります。

 こうした方法に基づいて、鉄道をはじめ、ガス、電気、製紙、ビール、紡績、セメント、鉱業、銀行など30種類以上の業種のなかで、優良株を選んで投資していったところ、皆成功をおさめたそうです。

 また、投資戦の心構えとして、「好景気時代には勤倹貯蓄を、不景気時代には思い切った投資を、時機を逸せず巧みに繰り返す」ことを勧めています。つまり、不景気のときは安く買い集められるため、積極的に投資しておき、株価が上がった時点で高く売る、という考え方です。