認知症になった場合の介護では過去も含めて、親の人生そのものに対する理解が重要になる(写真:ericsphotography / iStock)

あなたは、自分の父親の元カノ(昔付き合っていた女性)を知っているでしょうか。母親の元カレ(昔付き合っていた男性)を知っているでしょうか。父親や母親には、あなたを授かる以前にも人生があり、そのときの人生もまた、あなたの現在の親を形作っているのです。

特に親が認知症になった場合の介護では、そうした過去も含めて、親の人生そのものに対する理解が重要になります。なぜなら、認知症になると、今日のことは忘れてしまうのですが、昔の記憶はしっかりと残っていたりするからです。

16時になると家からいなくなってしまう認知症の母

たとえば、認知症になった母親が、毎日、夕方の16時になると自宅からいなくなってしまうという事例がありました(実話ですが、プライバシーに配慮して、一部事実とは異なる脚色がなされています)。いわゆる徘徊です。

こうしていなくなった母親は、数時間後に自分で帰ってくることもあるのですが、行方不明になってしまい、後になって警察から連絡が入ることもありました。この母親と同居して介護をしていた息子は、毎日、16時までに自宅に帰る必要に迫られ、介護離職をすべきかどうか、とても悩んでいました。

息子は、16時になると自宅を出ていこうとする母親を毎日叱っていました。「出てはだめだ! また警察のお世話になるのか!」という具合です。すると母親は、この息子に暴力をふるい、わめくようになりました。息子は、暴力をふるう母親のことを、介護職に任せることはできないと考えました。息子は、そうして地獄の16時を、毎日、自宅で過ごしていたのです。

認知症になると、意思の疎通は困難になります。ですから「どうして、毎日16時に外出しようとするの?」と母親に聞いても、答えは返ってはきません。

悩んだ末に、息子は、ベテランの介護職に相談しました。

その介護職は、息子の伯父(母親の兄)に連絡をとりました。そして、16時という時間についてのヒントをもらったのです。息子の伯父によれば、その時間は、まだ幼かったころの息子が、幼稚園のバスに乗せられて帰ってくる時間ではないかとのことでした。

そこで、このベテランの介護職は、16時になって自宅から出ていこうとする母親に対して「今日は、息子さんは幼稚園のお泊まり会で、帰ってきませんよ。バスも今日は来ませんよ」と伝えました。このとき、幼稚園のお泊まり会に関する通知(の偽物)まで作ってありました。母親は、通知を見ながら「そうだったかね?」と言い、部屋に戻っていったのです。

幼い息子を迎えに行っていた

母親は、昔の鮮明な記憶の世界において、毎日16時に、幼い息子を迎えに行っていたのです。それは、他人から見たら徘徊にすぎないのでしょう。しかし、この母親にとっては、愛する息子に寂しい思いをさせないための当然の行動だったのです。それを止めようとする存在は悪であり、暴力をふるってでも戦うべき敵に見えていたとしても、当然のことです。

これ以降は、16時には介護職が自宅に来て、毎日、同じ(偽の)説明を繰り返すだけで、母親は勝手に自宅から出なくなりました(その代わり介護職に付き添われての買い物などを楽しんでいます)。息子は、仕事を早退する必要がなくなり、地獄の16時は綺麗さっぱり終わったのです。それどころか、この息子は、16時になると、自分は母親に深く愛されていたことを思い出すようにもなりました。ネガティブな介護が、ポジティブな何かに変化した瞬間でもあります。

認知症という中核症状は、治ってはいません。しかし、決まって16時に徘徊しようとし、それを止めると暴力をふるわれるという周辺症状は消えています。この母親からは、息子が寂しい思いをするという不安もなくなっているでしょう。息子の仕事と介護の両立も進んでいます。

この実話において、もし、伯父が16時の意味に気づかなかったらどうなったでしょう。認知症の周辺症状としての徘徊や暴力は、おそらく、消すことができなかったと思われます。優れた介護を実施するには、親の人生について、この細かさでの情報が必要になるわけです。可能であれば、認知症になる前に、そうしたことを親から直接聞けていると理想的です。

悲しいのは…

最も悲しいのは、親が死んでから、葬儀場で、親族から、知らなかった親の一面についての話を聞くことです。


また、写真の整理をしていて、親の中学時代の集合写真などを見たとき、どれが自分の親なのかわからないということもとてもつらいものです。

自分という人間が生まれた背景には、どのような親の人生があったのか、できるだけ親が元気なうちに、聞いておくべきだと思います。

そこにはきっと、自分と同じことに悩み苦しんだり、また、同じことに喜んだ人生があるはずです。

これは単なる感情論ではなくて、介護離職を避け、周辺症状を上手におさえた、より優れた介護を実現するためにも必要なことなのです。