橘宏樹『現役官僚の滞英日記』(PLANETS)

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欧米では年俸の高い人ほど転職するのが普通で、転職回数もたいていはポジティブに評価されます。一方、日本は「多様性」を取り込むのが苦手で、イノベーションでは欧米に遅れをとりがちです。英国の名門校に留学してきた現役官僚の橘宏樹氏は「日本流と欧米流を組み合わせたところに活路があるはずだ」と指摘します――。

※本稿は、橘宏樹『現役官僚の滞英日記』(PLANETS)の第6章「日本への提言」の一部を再編集したものです。

■「鼻持ちならない」「上から目線だ」……

「海外に出ると視野が広がる」「視野が広がることは良いことだ」とよく言われます。反論する人もなかなか少ないと思います。しかし、視野を広げて帰国した人はいつも得をしているでしょうか。視野の広さで組織に貢献できているでしょうか。まず、視野が広い人、すなわち、(海外事物の)情報量が多く、多様な考え方がこの世にあることを知っていて、それゆえに決めつけを憎む、知的に慎重な人々は、より視野が狭い人たちが出す結論に対して疑問や異論を抱きがちだと思います。

そして、視野が広い人たちは構造上、常に少数派になりがちです。もちろん、視野の広さを買われて意見を求められることもありましょうが、その真意が広くみなに理解されるとは限りません。ゆえに、良かれと思っていろいろ学んできたのに、知見の活かせる場所の少なさから、孤立感や苛立ちが募ってストレスが増したり、それどころか嫉妬や羨望の対象となり「鼻持ちならない」「上から目線だ」と、いじめられる原因になったりするパターンも多かったりするのではないでしょうか。さらに言えば、組織の側も「視野が広いことは良いこと」と謳う裏で、「海外経験の豊富な人は海外折衝や国際会議のある部署に配置すればいいや」くらいにしか考えていないことも現実には多かったりしないでしょうか。

そしてこれは、海外畑の人々だけではなく、閉塞・硬直した業界や組織内で、異分野、異業種の事例や発想法を導入したい人たちもまた直面しがちな悩みではないかと思います。「イノベーションには多様性が大事」「柔軟な思考、挑戦や試行錯誤が大事」という論説がビジネス論壇で今日もたくさん主張されていて、みんな頭ではそうだそうだと頷きながら消費しています。

■英国の定石は「わからないから、とりあえずやってみよう」

でも、いざ重要な会議で、自分の知らない分野の知見を取り入れようという提案が出たときに、「へー」のあとは、「うーん……」となり、特段コメントもできず、なんかピンとこないと、結局スルーしてしまうというのも、組織の現実だったりしませんでしょうか。ちなみにイギリス流では「うーん……」のあとは、「わからないから、とりあえずやってみよう」「結果から猛烈に学ぼう」が定石のようです。

とはいえ、「視野の広い」人たちの方も、他人を視野狭窄だと批判しているだけでは不足だと思います。「イギリスでは××だ」「アメリカでは××だ」と紹介しているだけでは「日本では前提が違うから」と一蹴されて終わってしまいます。視野の広さが実力として評価されるよう、組織に具体的な利益をもたらすところまで、知見を加工すること、応用することが求められると思います。

たとえば自分の持っている情報量の多さを、誰かと話すときの質問力や会話の引き出しとし、それをより多くの人々との関係を結ぶネットワーキング力の基盤にできれば、組織の取引相手を増やしたり、関係強化をしたりすることができます。また、もし予期されえぬ事態が生じても、事前想定数の多さから、局面局面で「さもありなん」と構える心理的余裕を持つこともできるでしょう。

そしてこれらの果実を、視野の狭い人たちにも気前よく提供することで、視野の広さに対する高評価を獲得していくという社内営業もしていければ、視野の広い人は生きやすくなるかもしれません。他人を「視野が狭い」と批判したり、日本人にはピンときにくい海外の思考方法やアイディアを一生懸命説明するよりも、通常のビジネススキルにスパイスを与える間接支援ツールとして有効活用するのもまた、「視野の広い人」の生きる知恵ではないでしょうか。

■「ひとつのことをやり続ける」で普遍へ至ろうとする日本流

しかし、留学経験の成果をそういった「小手先の生きる知恵」のレベルにまで矮小化してしまうと、それはそれで、わざわざ海外に留学させる意味という点では、疑問符がついてきてしまいますよね。海外のこと、異分野・他業種のことについて知見の広い人を有効活用するためには、留学経験者側だけではなく、組織の側にも準備とノウハウが必要だと思います。では、誰がどうすればよいのでしょうか? 「視野の狭い人」が組織の多数派であることが問題であるなら、留学者や出向経験者を増やして「視野の広い人」で分母を厚くすれば解決するのでしょうか。

もちろん、視野の広さの底上げ自体は良いことだと思います。しかし全員を全知全能のようにはできません。ということは、「知らない分野のことでも判断を行えるようになること」が重要なのではないでしょうか

では、どうしたら「知らないことでも評価できる」ようになるのでしょうか。僕が思うに、ひとつは、「自分が知っていることを通じて、普遍的な判断力を養い、転用、類推などを駆使する」という道があると思われます。この道を採るならば、次は、普遍的な判断力、本質を抽象的に理解する力の培い方が論点になってくるわけですが、僕はここに日本と欧米の大きな違いがあると感じています。

■「井の中の蛙大海を知らず」の本当の意味

日本には、視野の狭い人を批判する「井の中の蛙大海を知らず」という諺があります。しかし、その先があるという説があります。次には、「されど天を知る」「されど空の青さを知る」と続くのだ、というのです。僕は最初にこれを聞いたとき、おお、なるほど! 深い! と思いました。狭い視界からであっても、ずっと見ていれば、空や天の本質、普遍性の真理に近づくことができる。曹洞宗の道元が言う「(ただひたすら、座り続ければ悟りが得られる)」のような、いかにも禅的思想だな、と思いました。

しかし、少し調べてみると、この諺はもともと荘子の「はって海を語るべからざるは、虚に拘ればなり。は以って氷を語るべからざるは、時にければなり。は以って道を語るべからざるは、教へにねらるればなり」(井の中の蛙に海を語ってもわからない。くぼみの中のことしか知らないからである。夏虫に氷のことを語ってもわからない。冬まで生きていないので知らないからである。ひねくれ者に道義を語ってもわからない。固定観念にとらわれているからである)から採られているようでした。つまり、「されど〜」以下は日本で誰かが付け加えたもののようなのです。

視野狭窄の揶揄から、専門性を突きつめて至る神髄や境地を強調する大逆転に持ち込もうというところに、「されど〜」をくっつけた人の粘り、視野の狭い側が感じる「視野の広い人からの上から目線」に対する逆襲、「その道幾十年」を重んじるいかにも職人気質の矜持を感じませんか。そういう意味で、荘子に日本の誰かが「されど〜」を付け加えたという点まで含めて、なかなか意味深長だなと思います。

こうして、ひとつのことをやり続ける中で普遍に至ろうと考えがちなのが日本流だとしたら、多様な経験を積み様々な発想に触れることで、普遍に至ろうとするのが欧米流だと思われます。欧米では、「多様性が高ければ、発想の組み合わせ数が増え、創造可能性が増す」「異分野からの手法の転用は選択肢を増やしてくれる」「思考方法自体の相違点を掘り下げれば、メタ思考(=考え方を考えること)も促してくれる」と考えるのです。

■抽象的思考の基本的作法と多様性を身につけるイギリス流

イギリスの大学では、オックスフォードやケンブリッジ大学のカレッジ教育で行われる「チュートリアル」や「スーパーバイズ」と呼ばれるものを典型とする、少人数の演習型授業が重視されています。週に1度、課された宿題への回答を行い、その回答について教授と一対一で対話するのです。

自分以外にも、他の学生とのやりとりを眺めることから学べることも多いと思います。これを通じて、多角的なものの見方、発想の硬直性を憎む知的モラル・自己批判力が徹底的に鍛えられます。やはり教育は個人に与えられるもの。ひとりひとりに丁寧に施されて初めて人間は育つもの、という基本姿勢を感じます。「より違うものを得ることが、成長につながる」という考え方が根底にあるので、欧米の知的産業は多様性に対して貪欲なのです。転職回数もたいていポジティブに評価されます。

ちなみに、金融やコンサル等の欧米企業では、一般に人件費圧縮の際には、パフォーマンスの高くない労働者を解雇するよりも、高給取りの減棒から着手するそうです。外資系の優秀層のサラリーは半端なく高いので、削減のコスパがいいからです。すると高給取り=優秀な層はこれを受け入れず、希望退職したり、解雇されたりします。なので、ホワイトカラーにおいては解雇されることを次の会社の人事はあまりマイナス評価しないのです。

逆に、低賃金層は、他の勤務先が見つかりにくいことを本人もわかっているため、減棒や解雇を行ってしまうと、なるべく粘って訴訟に訴えたりするリスクがあります。なので、費用対効果を考えると彼らは養い続けていた方が得なのです。ともあれ、欧米のビジネスや学会において、競争力を高める上で、多様性が高いことは良いことであり、多様性が低いと批判される、低評価を受ける――これが自明のこととして通有されています。議論の主戦場は、むしろ「それをどのように測定するか」に移っています(差別反対という観点もありますが)。

結果として、欧米の知識階級では、専門分野を持ちつつも、複数分野で一定の知見を持つ、いわゆる「T字型」人材が増えることになるのではないかと思います。ひとつの専門分野を深めることで、普遍的真理に近づき、まだ知らぬものを評価する力、推測の精度を高める力を養う基盤になります。前述の、学部時代の専攻と職業上の専門分野がまったく違うことが当然視されることは、このことと同一線上にあると思いますし、あらゆる分野で投資判断能力が求められる金融業でイギリスが強いこととも無関係ではないと思います。

■「T字型」の欧米エリート、「I字型」の日本職人

ひたすらひとつのことをやり抜くなかで独り普遍に至る日本流。個人指導で抽象的思考の基本的作法を身につけてから転職を繰り返す欧米流。門外漢であってもなるべく正確に本質を理解する力、つまり「普遍的思考」を身につけていくためのスタイルはひとつではないと思います。さらに他の流派の存在もありえるでしょう。

しかし、昨今の日本のビジネス論壇では、多様性の意義を強調する欧米流の論調が増えているように思います。未知なるものへの判断能力だけでは足らず、ビジネスにイノベーションや創造性を得ることで儲けたい、という風潮が強いからでしょう。日本流だと、究極の境地に至ったある専門家が、たまに井戸に入ってくる異物を評価する能力は身についても、自ら他の井戸に出て行く動きは少ないままなのです。実際、日本の保守的な業界、組織、地域の硬直性、閉鎖性がイノベーションを阻害している、社会を停滞させていると考える人は、若い人を中心に多いと思います。僕も賛成です。

日本には無数の井戸があるのだと思いますが、イノベーションを起こすためには、あちこちの井戸の縁を飛び回っては中を覗き込んで、どんな井戸がどこにあって、それぞれどのような様子になっているかを知る人、専門家ほどではないものの彼らと会話ができる程度のリテラシーを複数分野で有する人、すなわち「マルチ・リテラシー」を持つ人が必要になると思います。しかし、そういう人は非常に少ないのが日本の現状ではないでしょうか。そして井戸の底の専門家たちは、縁を飛び回る彼らを見上げて「何をしているかわからない人」「中途半端な人」、さらには「うさんくさい人」とみなしてしまう傾向にある気がします。

■協働を取り持てる「E字型」人材の重要性

しかし、そのような「マルチ・リテラシー」のある人こそが、井戸たちの架け橋となり、「天を知る者」同士の新規組み合わせから、イノベーションを導く潜在能力を持っているのではないかと思うのです。たとえば、産官学連携の枠組みであれば、学者とも役人ともビジネスマンとも話すことができる人材や、医工連携であれば、医学にも工学にも通じている人材を増やすことが大事だと思います。枠組みの整備や多様性の連呼にとどまるべきではないと思います。

いわゆる「T字型」人材の重要性に反対はしませんが、日本にイノベーションを増やす上では、僕はどちらかというと、「I字型」ほどは深い知見を持っていなくとも、たくさんの「I字型」人材と信頼関係を結べ、彼らの協働を取り持てる「E字型」人材の重要性を提唱してみたいと思います。そういったマルチ・リテラシーを駆使して井戸の縁を飛び回れる「E字型」人材はそれほどたくさんはいらないかもしれませんが、現状では少なすぎるのが問題だと思うのです。これをもう少し増やすことは、有効な「第三の矢」にもなるのではないでしょうか。

そして、「E字型」人材を増やすためには、明治維新から150年経った今も、欧米流エリート教育から学べるところがあると思います。ただし、欧米流は基本的に「T字型」が育つ方向にありますから、全部を取り入れる必要はないと思います。「I字型」になりがちな日本人の一部を「E字型」に持っていくため、すなわち、ヨコ・異分野への広がりを導き、それらを横断できる普遍的・抽象的思考を鍛錬するためには、前述のとおり、アカデミックな個人指導が有効であるように思われます。

多様性のあるキャリアやマルチ・リテラシーが大事だといっても、抽象化して考える思考を丁寧に鍛えられぬまま社会に出、ただ転々と仕事を変えるだけでは、到底、普遍的な能力の育成は望めません。井戸の底の専門家たちに信頼される架橋をすることも難しいでしょう。なので、「E字型」人材を養成する大学の教育課程では、教授の個人指導をがっつり取り入れていくのがよいのではないか、というのが僕の意見です。

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橘 宏樹(たちばな・ひろき)
官庁勤務。2014年夏より2年間、英国の名門校LSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス・アンド・ポリティカル・サイエンス)及びオックスフォード大学に留学。NPO法人ZESDA(http://zesda.jp/)等の活動にも参加。趣味はアニメ鑑賞、ピアノ、サッカー等。twitterアカウント:@H__Tachibana

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(橘 宏樹)