企業側には細心の注意と敬意が求められている(写真:Wachiwit/iStock)

フェイスブックやインスタグラムをはじめとするソーシャルメディアの発達により、ファンの活動がかつてないほど活発になっている。その一方で、企業が「ネット炎上」を起こしてしまうケースも数多く見受けられる。現代において、企業はファンとどのように向き合ったらよいのだろう? 『ファンダム・レボリューション――SNS時代の新たな熱狂』の著者、ゾーイ・フラード=ブラナー(同書はアーロン・M・グレイザーとの共著)が、これからのブランディングに不可欠な企業戦略を語る。

ファンが創ったスター、初音ミク

ソーシャルメディアの登場によって、作り手とファンの境目は消えつつある。いまや、プロダクトとファンのコミュニケーションは双方向になった。すべての創作物が公式作品の一部になるような未来が、すぐそこにある。

ファンの創作物がフィードバックされてプロダクトが作り上げられていった世界で初めての例が、初音ミクだ。

もしセレブに無限の時間と拡散力があり、ファンが制限なくそれにアクセスできるとしたら、どんなやり取りが交わされるのか、考えてみてほしい。愛好の対象物そのものが、ファンの手によってつねに生まれ変わることになるだろう。初音ミクは、その生きた事例だ。もしテイラー・スウィフトが、ティーンエージャーのファンの作った曲をすべて歌って、それをすぐにほかのファンに公開できたら、どれほどファンたちが熱狂するかは想像にかたくない。

初音ミクの生みの親はクリプトン・フューチャー・メディアだ。音楽業界とキャラクタービジネスの狭間の市場を一気にかっさらったのが、クリプトンだった。どちらの業界もしゃかりきに著作権を守ろうとするなか、クリプトンはファンたちにミクというキャラクターとその音楽を、できるだけ遠くまで広く拡散してもらうことに励んだ。

その結果、ファンがほとんどすべての創作を行う世界が生まれた。ファンたちはミクのストーリーを書き、絵を描き、曲を作った。アマゾンやiTunesには何十万点ものミク関連作品がある。

日本のポップカルチャーを研究する文化人類学者のイアン・コンドリーは、次のように語っている。「エンターテインメント業界は、キャラクター作りにプロが必要だと信じ込んでいた。ミクを見ればそれが間違いだとわかる。昔からヒット映画を作るカギはストーリーだと言われていた。マンガには人気キャラクターが必要だと言われていた。ゲームには壮大な世界観が必要とされていた。ミクはそのどれにも当てはまらない。そこが面白いんだ」

そもそも、ミクは宣伝材料にすぎなかった。クリプトン製の音声合成ソフトの一般的なファンが手に取りやすいようにソフトのパッケージに描かれたイメージキャラクターだった。

「初音ミクがあれほど一気に世界中に拡散したことに、自分たちが驚いた」と言うのは、クリプトン社でアメリカ/欧州のマーケティングを担当するギヨーム・デヴィーニュだ。「インターネットに突然湧いた大量の曲や絵や動画をどうするか、急いで決めなくちゃならなかった」。

クリプトン社は、これほど多くの日本人ファンを相手に使用権を争って不快な思いをさせるよりも、「商業目的でなければ使用を無制限に認める」ことにした。ファンはタダでミク関連の創作をできることになり、それを自由に拡散してよいことになった。

実はこの頃、ニコニコ動画上では違法動画が摘発されていた。レコード会社や制作会社は著作権侵害にあたる動画の削除を求め、ニコニコ動画はその穴を埋める材料を探していたのだ。その穴を埋める役割を果たしたのが、初音ミクだった。彼女は今や日本のみならず、アメリカのライブで3万人以上を動員する「世界の歌姫」となっている。

ソーシャルメディアに集ったファンが大企業を動かす

ソーシャルメディアにより力を得たファンが大企業を動かした事例として、「サージ・ムーブメント」を紹介しよう。

サージとは、米コカ・コーラ社が1996年に発売を開始した炭酸飲料ブランドだ。ライムグリーンの缶に赤い爆発マークとストリートアートのようなロゴがついたサージは、ペプシコの人気飲料マウンテンデューに対抗する商品だった。中身の炭酸は草っぽい緑色で、酸っぱいレモン味だった。糖分は極めて高い。

サージの広告にはレーシングカー、スケートボード、軍事作戦、その他のエネルギー消費の多い活動が使われた。10年後にカフェイン入りエナジードリンクのマーケティングで使われたのも同じものだ。当時の多くのティーンエージャーにとって、サージは独立、自由、受容といった、はじめて経験する繊細な感情と結びついていた。

サージの過激な広告は、思いがけない反応を呼び起こした。多くの教師や親の団体が、学校や子どもの多い場所へのサージの持ち込みを禁じたのだ。1997年にAP通信の記事で「スリルを求める若者を狙った商品」として警告を受け、「生徒の私語やいたずらが増える」とされた。コカ・コーラは、「サージのカフェイン含有量は他の炭酸飲料より少ない」と対抗し、研究でも糖分と多動にはなんのかかわりもないことが証明されている。それでも、サージのプラセボ効果は絶大だった。2002年までには、サージの売り上げは下がっていた。公式な発表はなかったが、スーパーの棚や飲料クーラーからサージは消えていった。

2011年の末、20代の青年エヴァン・カーが、サージの復刻を呼びかけるフェイスブックページ、「サージ・ムーブメント」を立ち上げた。このページ上では、「ファンによるカスタマーサービス」ともいうべき文化が生まれた。活動への参加方法や、活動方針に関してわからないことがあったら、管理人より前にファンが優しく教えてくれる。

外の誰かがこのページを荒らしに来て、参加者に「目を覚ませ」と説教したときには、ファンたちがその荒らしを相手にしないようお互いをなだめたり、「いちゃもんつけないで」とか「時間のムダだと思うなら出ていけ」と対応したりしていた。コミュニティに根付いたファンたちは対応がうまく、コミュニティの精神を正確に代弁できる。サージコミュニティのメッセージは素早く隅々まで広まった。

コミュニティの外のサージファンや「90年代文化」のファンに、サージ・ムーブメントを広めて参加を説得したのもまた、同じファンたちだった。一連のシェア可能なコンテンツを作ったファンもいた。ビンテージのサージ缶を握っている手の写真、ロゴのスケッチ、サージをテーマにしたハロウィーンの衣装、サージに合う食べ物の推奨。いろいろなアドバイスも集まった。

2013年のはじめには、サージ・ムーブメントの看板広告を立てるプロジェクトが、クラウドファンディングサイト「インディゴーゴー」で始まった。コミュニティ内のファンが支援者となり、友達に口コミで広めた。500ドルを寄付した支援者もいた。1月中に目標の3745ドルが集まり、翌月にはジョージア州アトランタのコカ・コーラ本社脇の道路に新しい看板広告が作られた。そこには「親愛なるコカ・コーラ様、サージを買えなかったので、代わりにこの看板を買いました」と書かれていた。

「サージデー」の活動も行われた。ファンはよくコカ・コーラの顧客サービスに電話をして、サージの復活を訴えていたが、月イチで毎月同じ日にみんな示し合わせて電話をすると、圧倒的な呼びかけになった。

そして、2014年9月、サージは復活した。あのピカピカの緑の缶、なんとも言えないシトラス風味、草色でシュワシュワの甘味が、突然アマゾンで売り出されたのだ。その頃にはサージ・ムーブメントのフェイスブックページには15万人が登録していた。ムーブメントの創立者・カーは、コカ・コーラ・ノースアメリカの社長から個人的にメールを受け取り、最初に発売を知った。カーと2人のコミュニティリーダーは、コカ・コーラ本社で開かれる公式復活イベントに招かれた。

コミュニティは大騒ぎだった。アマゾンの買い物かごをサージでいっぱいにした画像が次から次へと投稿された。第1弾はすぐに売り切れた。数日もすると世界中のサージファンが、手に入れた商品の写真をアップした。希少なサージの缶を友達や家族やペットの前で開けているファンの写真がたくさん流れ込んだ。ファンたちが高校時代に経験したような、サージを片手に仲間といい気分で過ごす時間が、そこにシェアされていた。

ファンを利用しようとする企業は失敗する

このように、現代のファンはかつてないほどの力を持ち、これまでにないほど真剣に、ファン活動に参加したがっている。だが、ファンの熱狂が、商品を売り込んでいいという許可証になると思うのは間違いだ。

企業はファンの集団を自分たちの利益になるかどうかという観点で見ることに慣れっこになっている。SNSでバズったら、売り上げが確保できると考える。企業がファンの側に立って考えることはほとんどない。特にソーシャルメディアは、極めて個人的な空間だ。邪魔をされたと感じたり、利用されたと感じたりすると、ユーザーはとても不快に感じる。

ひとつ例をあげよう。

2012年、米マクドナルド社は「#あなたのマクドナルド・ストーリーをつぶやいて」と題したキャンペーンをツイッター上で立ち上げた。どんなに健康志向の人でも、放課後やクラブ活動のあとに同級生とマクドナルドでハンバーガーをほお張った懐かしい思い出があるはずだ。

企画者は次のように考えたのだろう。幸福なファンから寄せられた140文字のストーリーは、ファンの友達や、またその友達に拡散されるに違いない。マクドナルドファンとして「カミングアウト」してくれれば、ほかの人もまたマクドナルドに行ってみようという気になるだろう、と。


問題は、企業側に個人の発言をコントロールする手立てがまったくないことだった。マクドナルドの場合には、幸福な思い出より不幸な思い出をつぶやきたい人のほうが多かったのだ。ツイートは、警告めいたもの(「昔マクドナルドで働いてた。オレの話を聞いたら、髪の毛が逆立つよ」)から、直接的な批判(「マクドナルドに入ったら、体に悪そうなにおいが充満してて、思わず吐いてしまった」)までさまざまだった。マクドナルドはわずか2時間でハッシュタグを使った報酬制プロモーションを中止したが、ツイートがやむまでに数カ月はかかった。

ファンとの本物の関係を作りたいと思うなら、ファンの本物の体験と動機を理解しなければならない。ファン体験はこうあるはずだという幻想を抱いても仕方ない。マーケティングのテクニックの上に「本物らしさ」をふりかけても、本物にはならない。

宗教にも似たファンの熱狂

映画のロケ地やアニメの舞台を訪れることを「聖地巡礼」、好きなものを他人に広めることを「布教」と表現することにも表れているように、ファン活動は宗教に似た要素を持っている。初音ミクの事例に見られるようなコンテンツ創造はその最たるもので、いわばファンからの「捧げもの」だ。

日本では2次創作が盛んだ。ファンが見たり読んだり買ったりするだけでなく、なんらかのコンテンツを作ってくれているというのは、企業にとってそれ自体がすばらしいことだ。脳のなかでファンになるときに使われる領野というのは、宗教を信じるときに活動する領野と同じだとする研究がある。脳にとっては、教会も『スター・ウォーズ』も大差はないのかもしれない。ソーシャルメディアが普及し、ファンの発信や創作活動が活発化しているからこそ、企業側は細心の注意と敬意を払って、それらと向き合うべきだろう。