「強烈なこだわり」こそが、この世界を変える
ナイキジャパンのアドバイザリーボードのメンバーも務めた経営学者・石倉洋子氏は、フィル・ナイトをどう評価しているのか(撮影:谷川真紀子)
一代で世界的ブランド「ナイキ」を立ち上げた起業家・経営者としての「熱狂人生」を自伝『シュードッグ』にまとめたフィル・ナイトは、経営学者の目にはどのように映っているのか。
かつてナイキジャパンのアドバイザリーボードのメンバーを務め、自身もランナーである一橋大学名誉教授の石倉洋子氏に話を聞いた。
(聞き手:大内ゆみ・ライター)
【2月2日16時15分追記】初出時のタイトルは、"「思い込みの激しい人」こそ世界を変えられる"でしたが、内容とのかい離があったため修正しました(編集部)
リーダーとしてのフィル・ナイト
――石倉先生は、フィル・ナイトに会ったことがあるとか?
17万部のベストセラーとなったフィル・ナイトの自伝『SHOE DOG』特設サイトはこちら
1990年代の半ばころですね。秋元征紘さんがナイキジャパンの社長を務められていたときに、大前研一さんの紹介もあって、同社のアドバイザリーボードに入っていました。昨年亡くなったニフコ創業者の小笠原敏晶さんや、イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊さんなど、そうそうたるメンバーが参加されていました。
フィルとは、秋元さんたちと一緒に一度食事をしたことがあります。印象としては、わりと普通の人だな、というもの。オーラがすごいとか、そういうことはなかったですね。
『シュードッグ』を読むと、彼は、自分のやりたいことがはっきりしていて、それだけでメンバーがついていくようなリーダーですね。社員選びにも、上場の際の葛藤にもそれがよく出ている。一緒に働く人は自分の基準で選ぶし、経営者としても、他人からのコントロールは受けたくない。自分でやる、という意識が強い。最近は、人の話を良く聞くとか、部下に尽くすといったリーダーがよいリーダーとされているのですが、そういう意味でのよいリーダーではない。
――戦略的なリーダーというわけでもない?
戦略というのは、市場を分析して、対策を練って……ということですか。そういうリーダーではないですね。むしろ、実現したいことが先にあって、そのために生じた課題にその場その場で対処していくというリーダーです。
そもそも、今の時代は、戦略とかフレームワークといったものがいっさい通用しない時代になってきている。もちろん、基礎的な知識は重要なんだけれど、それだけにこだわっていると、たいしたことはできません。
そうした基礎を知ったうえで、クリエイティブに考えなくてはいけない。正解がない世界で針路を決めるためには、やはり自分のこだわりやパッションが必要になってくるのです。
パッションの持ち方に正解はない
――ナイキがここまで成功した理由はなんでしょうか?
こだわりだけで突き進むと、だいたいの場合は失敗するのですが、フィル・ナイトの場合は、賭けとハッタリもあり、堅実な面もあり、思いがけず救いの手にも助けられたりして、幸運も持ち合わせていたのでしょう。ナイキの創業と成功は、フィル・ナイトでなければなしえなかったことだと思います。
彼は起業の前に世界を旅して回っています。世界というのはこういうものだと、体感としてわかっていた。それに靴とアスリートへのこだわりが加わって、グローバルな企業に育ったと思います。生産工場を世界に広げていくときの苦労や、搾取労働の問題があってバッシングされたりもしたけれど、それぞれの場面で、ラッキーな正しい決断をして今に至るのではないでしょうか。
起業と言えば、普通は株を公開して金持ちになりたいとか、世界の情報を整理して世界のあらゆる人に提供したいとか、特にテクノロジー系の人はそういうビジネスとしての話をしがち。でもフィル・ナイトはそうではない。「私のこだわりは靴。靴を作りたいんです」という強烈なこだわりと意志を感じました。
――何かにこだわるというのは、成功への要素の1つでしょうか?
それはあると思います。企業は人が集まった組織なので、パッション(情熱)があるかどうかは重要です。『シュードッグ』にも、「みんなが走れば世界は良くなる」という熱い記述がありました。当時、そういうことを言う人はまだいなかった。フィル・ナイトは、パッションの塊のような人。よく知られたところでは、スティーブ・ジョブズのような先見性と情熱を感じます。
私はパッションこそ人生だと思うのですが、講演などでそう話すと、やりたいことが見つからないとか、どうすればパッションを持てますか、と聞かれます。どうも、「正しいパッションの持ち方」という正解があるとみなさん思っているらしい。でも、そんなことはない。自分が好きなものなら対象は何でもいい。パッションは誰でも持っている。パッションの対象を見つけるには、とにかく試してみることです。
著名な建築家の安藤忠雄さんも、すごくこだわりの強い人です。
彼も、「若い人たちは、やる気になればもっとなんでもできる、やりたいことがあれば生きられる、パッションは励みになる」ということをおっしゃっていました。やりたいことが見つかって、それができるというのは、すばらしいことです。
「死んでもやれ」はアドバイスにならない
ですが、いまは、何があろうとも自分がやりたいことにこだわるという人は少数で、まあいいや、と妥協する人が多いと個人的には感じています。例えば商品のカテゴリーを分析して判断すれば、これはいけそう、あるいは売れなそうというのは、簡単に結論を下すことができる。
でも一見売れなそうに見えるものでも、こだわってよくしていけば何とかなることもある。靴という商品だって、すごくこだわって、最高にすばらしいものをつくろうと思えば、NIKEのような企業の誕生にまで至るんです。
『シュードッグ』の最後の章で、プロバスケット選手のレブロン・ジェームズがフィル・ナイトに時計を贈ったという話が出てきます。「チャンスをくれた感謝を込めて」という文字を彫った時計です。
アスリートは、タレントと同じで、チャンスを与えられなければなかなか這い上がれない。マイケル・ジョーダンとか、ジョン・マッケンローとか、タイガー・ウッズもそうですが、フィル・ナイトのこだわりで早くから広告塔として採用したり、支援したりしていますよね。そういうこだわりがもたらすチャンスというのも、あると思います。
一方で同書には、「時には断念することも必要だ」とも書いてある。これも印象的な言葉だと思います。以前、堀場製作所創業者の堀場雅夫さんも、「どうがんばってもできないことがある」とおっしゃっていました。成功者のなかには「死んでもやれ」というアドバイスを他人にする人もいるのですが、そうではなく、だめなときもあると。創業者が言う言葉として、意味があると思いました。
――こだわり以外で、ビジネスを成功に導く要素はなんでしょうか?
そもそも、「こうすれば成功する」といった法則のようなものが本当にこの世に存在するのか、私は疑問に思っています。私が参加するいろいろな会合でよく言われるのは、今の時代においては、ストーリーが重要だということ。ストーリーをどう語るかで世界が動く。たとえ客観的に正しいことでも、それだけでは世界は動かないということです。
これは私もそうだと思っていて、私が講演でよく話すのは、今はキャリアも、ライフスタイルも、すべて自分でデザインしてストーリーを語る時代になったということ。逆に言えば、自分のストーリーを他人に書かせないのが重要だということ。
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」というスタイルで有名なボクシングチャンピオンのモハメド・アリが亡くなったとき、彼はどういう人だったか、という追悼記事がたくさん出ました。そのなかで印象的だったのが、「自分で自分を定義した人」と彼を評した言葉。これからは多くの人が、他人が敷いたレールを歩くのではなく、アリのように自分で敷いたレールを歩いていくようになるでしょう。
――時間がかかっても、自分がやりたいことを見つけようと。
そういう意味では、『ライフ・シフト』とも関連しています。100年時代なので、人生は長く、時間がたくさんある。若いときにやりたいことを見つけられなくても、まだ間に合うかもしれない。別のことをやりたくなったら、そちらに移る時間もある。
学歴、肩書きの価値は暴落した
――格差社会で、負け組とされた人にもチャンスはありますか?
学歴や肩書きには、昔ほどの価値がなくなったと思います。学ぼうと思えば、インターネットを使っていろいろな教育を受けられるし、かつては堅実な仕事と思われていた会計士のような職業も、AIなどの技術進歩がどう影響するかわからない。
いい大学、いい企業に入ればそれで安泰という時代ではない。なくなる仕事も増えるけれども、新しい仕事も増える。常に学んでいなければいけないし、やりたいこと、学びたいことがある人にはそれを実現する機会もすごく増えています。
私はいま、フリーターとして活動していて、名刺にも、肩書きを書いていません。個人として生きられる時代が来たと若い人に言っているし、自分もそうでありたいと思うから。チャンスは、誰にでも開かれるようになってきている。私は昔、フリーターだったので、いまそうしていることに抵抗感はまったくありません。