AID(非配偶者間人工授精)で生まれた子どもの気持ちとは(撮影:編集部)

AIDって何?聞いたことがない…という方が多いかもしれません。これは、夫以外の第三者の精子を使った人工授精のこと。男性側に不妊の原因がある夫婦などが子どもを持ちたいとき、この方法を選ぶ場合があります。

さまざまな立場にある子どもから話を聞く本シリーズ。今回登場するのは、そのAID(非配偶者間人工授精)によって生まれた子どもである、石塚幸子さん(38)です。


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AIDは、日本では1948年に初めて、慶応義塾大学病院で実施されました。それから約70年、国内でAIDによって生まれた子どもの数は、推計で1万〜2万人といわれていますが、正確な数は国も日本産科婦人科学会も把握できていません。

また石塚さんのように、自分がその技術によって生まれたことを知り、かつそれを公にしている当事者は、ごくわずかです。

AIDで使われる精子は、親族などが提供するケースや、学生ボランティアが提供するケースが昔からあるほか、最近では、海外の精子バンクを利用する例や、国内の個人ボランティアなどから譲り受ける例もあります。

これまで日本でAIDによって生まれた子どもたちは、精子提供者、つまり血縁上の父親がわからないケースが大半です。

AIDは「隠すべきこと」なのか?

子どもが欲しいのに持てない人たちにとって、AIDは救いの技術のひとつです。しかし日本では、「わが子と血がつながっていないことを世間に隠したい」という親の思いが働くためか、AIDは「隠すべきこと」のように扱われてきました。

そのため、いまだにAIDにおける親子関係を明確に定める法律もできていませんし、子どもが自分の遺伝的な父親を知る権利についても、近年までほとんど考慮されてきませんでした。

実際にAIDによって生まれた子どもの立場である石塚さんは、この技術に複雑な思いを抱いています。

自身がAIDで生まれたという事実を知ったときは、これまでの人生が覆されるような衝撃を受けたといいます。

「それを聞いたのは、いまから15年前、23歳のときです。父親が遺伝性の難病を発症し、私にも遺伝の可能性があるかもしれないと思って調べていたとき、母から『実は、父とは血がつながっていない』と知らされたのです。

最初は病気が遺伝していないことにホッとしたのですが、仲の良かった母親が、そんな重要なことで私にうそをついていたというのが何よりショックでした。たぶん父親の病気のことがなければ、一生言わずに済ませていたはずです」

養子や継子の立場の人からも、ときどき聞く話です。大人になってから突然「親だと思っていた人と、実は血縁関係がない」と知らされるのは、どんな思いか。経験がない筆者には、想像しきれないところがあります。

自分は「後ろめたい技術」で生まれた子なのか


石塚幸子さん。自らがAIDで生まれた事実を23歳のときに知った。「非配偶者間人工授精で生まれた人のグループ(DOG)」を立ち上げ、当事者の声を社会に伝える活動を続ける。『AIDで生まれるということ 〜精子提供で生まれた子どもたちの声』の著者の一人(撮影:編集部)

親は一生隠し通すつもりだったのかもしれませんが、子どもは人から聞いたりして、大体どこかの時点で事実を知ることになります。隠し通すことは、現実問題かなり困難なのです。

幼少期から聞いていれば「そういうものか」と思い、事実を受け入れやすいのですが、ある程度の年齢になってから知った場合は親子の信頼関係が崩れ、子どもは大きなダメージを受けることが少なくありません。

石塚さんにとっても、それは大変つらいことでした。当時は大学院に通っていましたが、通学途中など一人になると涙が止まらず、「このとき、一生分の涙は使ったかも」と思うほど泣いたといいます。

「家では、母が『その話題に触れてくれるな』という雰囲気を出しているので、その話には触れられません。

でも、隠そうとすることから、母親がこの技術を後ろめたく思っていることが、伝わってくるわけです。『母が隠したいと思っているようなやり方で、自分が産まれてしまった』ということが嫌だったし、悲しかったですね」

これは、離婚家庭の子どもがよく「親から『かわいそうな子』扱いされるのが嫌だった』という話と、少し似ているかもしれません。

もし「かわいそうな子」と思うなら、そもそもそんな状況に自分を置かないでほしいし、もしその状況が避けられないなら、ポジティブな態度であってほしい。親の思考と行動の矛盾に、子どもは怒りやいら立ちを感じるのです。

これと同様に、自分の生命の根本にある技術を母親が後ろめたく感じているというのは、子どもの立場からすれば、納得しがたいことでしょう。

後ろめたいなら、なぜそんな技術を使ったのか。技術を使うと決めたのに、なぜそれを肯定的にとらえないのか。石塚さんは、母親の態度にいらだちを感じていました。

「もっとあっけらかんと『私が産みたかったから、AIDで産んだのよ』って言ってくれたらよかった。隠すのではなくて、うそでもいいから『あなたを望んだから、その方法で産んだのよ』と言うべきだったのではないかな、と思います」

泣き暮らす日が続くなか、あるとき石塚さんは母親から「なんで、そんなに悩む必要があるの?」と聞かれます。つらさを理解してもらえないばかりか、「悩むことさえ許されないのか」と思い、苦しさはさらに増したのでした。

事実を知った翌月、石塚さんは家での生活に耐えきれなくなり、一人暮らしを始めました。日々、AIDに関することを調べていましたが、15年前の当時は今よりももっと、情報がありません。そんなとき厚生労働省で、生殖補助医療に関する法律をつくるための審議会が行われていることを知ります。

「議事録が公開されていたので読んでみたら、驚くような内容でした。委員のなかには小児科医などもいたんですけれど、その人たちは誰も、その技術によって生まれた子どものその後について、追跡調査はしていないんです。なのに産婦人科の医者などが『子どもには秘密のままやっているが、それでうまくいっています』みたいなことを普通に話して、みんなそれを信じている。『この人たち、何を言ってるんだろう』と思いました。

私は苦しいし、うちの家族も大変な状況にある。それはやはり、医療のあり方に問題があると思ったんです。医者は『とにかく患者が妊娠して子どもが生まれれば成功』と思っているかもしれないですが、それは違います。生まれた後のことまで考えてくれていたら、うちの状況ももっと違ったかもしれません」

「あぁ、私も怒っていいんだ」

そのしばらく後、石塚さんは初めて新聞の取材を受けました。自分の経験や思いを語ったところ、記事を読んだ別の当事者と初めて会うことができ、大きな転機になったといいます。

「連絡をくれたのは、私より6歳上の男性ですが、彼も怒っていたんです。怒鳴るとかじゃないんですが、親にだまされていたことや、提供者がわからないことに、怒りの空気を発していた。それを見てようやく『あぁ、私も怒っていいんだ』と思えたんです。

その人の紹介で、ある小児精神科の先生と出会えたことも大きかったです。その先生は私の話を聞いて『あなたは親に文句を言っていいわよ』と言ってくれて。やっと悩むことを許された気がして、ラクになれました。

それまでは、怒るとか悲しいとか、親に対してマイナスの感情をもつことはいけないと思っていたんです。母親は私が悩むことを嫌がっていたし、いろんな人から『あなたは望まれて生まれてきたはずだ』とか『育ててもらったことを、もっと感謝しなさい』とか、“親の立場に立った善きこと”ばかり言われていたので」

いわゆる「ふつうの親子関係」にある人は気づきにくいと思うのですが、この社会には「子どもは親に対して、つねに感謝しなければいけない」という暗黙の圧力のようなものが、強く働いています。

でも親との関係がうまくいかない人にとって、それはとても苦しいことです。石塚さんも親に感謝はしていても、許しがたい部分もあるのは事実で、その気持ちを押し殺すのはつらかったでしょう。

それまで「まあまあ優等生で生きてきた」という石塚さんにとって、「親に怒っていい」という気持ちを自分に許すのは、とても大変なことだったのです。

AIDにおいては「出自を知る権利」についても問題になります。

「出自を知る権利」とは、子どもが自らの遺伝的ルーツ(この場合は精子提供者)を知る権利のことです。日本も批准する「子どもの権利条約」でも、「児童はできる限りその父母を知り、且つその父母によって養育される権利を有する」ということが、うたわれています(第7条)。

しかし実際のところ、「出自を知る権利」はまだ日本ではあまり浸透していません。AIDだけでなく、養子縁組においても「子どもには出自を知らせなくていい(隠したほうがいい)」という昔ながらの考えが少なからず残っているのです。

それでも「一度は会ってみたい」

石塚さん自身は、提供者を知ることにあまり興味がないものの、それでも「一度は会ってみたい」といいます。

「私は『母親と精子で自分が産まれている』というのが、すごく不安定な感じがして、嫌なんです。モノとしての精子ではなく、ちゃんと『人』が介在していたということを実感させてほしい。だから、一度は会ってみたいと思います。

ただ、私はほかの当事者と比べると、そんなに『提供者を知りたい』という情熱はないんですね。一時期は探していたこともあるのですが、どんな人が出てくるかわからないじゃないですか。それに気づいたときに怖くなって、探すのをやめてしまいました」

もし提供者を探すとしても、多くの場合、手掛かりはほとんどありません。最近では“オープンドナー”といって、生まれた子どもが求めた場合に個人情報を開示する前提で精子提供をする人もいますが、数十年前の日本では、そうしたやり方は皆無でした。

またそもそも、親が子どもにAIDで生まれたことを告げていなければ、オープンドナーであろうと、そうでなかろうと、子どもは提供者を探すことすらできません。

残念なことに、日本産科婦人科学会は今でも「提供者のプライバシー保護のため精子提供者は匿名とする(ただし記録は保存)」という見解で、告知を義務としていません。また国において、「出自を知る権利」を守るための法律を制定する動きも現在のところありません。

このように不妊治療の技術だけが進む現状について、石塚さんは「方向が間違っている」と感じています。

「不妊のいちばんのつらさって、本当は社会的なつらさだと思うんです。特に、母が私を生んだ30〜40年前は、『子どもが産めないこと=女の人の責任』とされていました。当時は男性側にも不妊の原因があることはほとんど知られていませんでしたし。

『家を守る』という意識もまだ強かったですから、うちの母親は“長男の嫁”として、子どもができないことで相当肩身の狭い思いをしたのではないかと思います。だから母がAIDのことを私に教えなかったのも仕方ないのかな、と思うところもなくはない。

もっと社会全体で議論したほうがいい

でも、そこでAIDを使って子どもを産んでも、子どもを持てない女性たちが抱える根本的なつらさは解消されないと思うんですよ。不妊という社会的なつらさを、AIDという医療によって解決しようとしているところがあると思いますが、それはおかしい。生殖技術が“ふつうの家族”をつくるために使われている気がします」

少々補足すると、今の社会では「お父さん・お母さん・血のつながった子ども」こそが「ふつうの家族」と認識されており、人々はその「ふつうの家族」を実現することを、人生の目標のようにとらえがちです。

もちろん純粋に子どもを望み、その手段としてAIDを選択する人も多いでしょう。でも、自分の意思というより「子どもを持つべき」という周囲の空気を受けて、「ふつうの家族」を装うための手段としてAIDが使われてしまっている場合もあるのではないか、と石塚さんは指摘します。確かに、それはうなずけます。

「だから本当は、社会を変えることが必要だと思うんです。いまは、『子どもがいないとダメ』と感じさせる社会に収まるために、医療でサポートする、みたいな面もあると感じますが、本当はそうではなく、この息苦しい社会を変えるほうに、エネルギーを注いだほうがいい。

社会全体で、そういうことを一回ちゃんと議論したらいいと思うんです。
この技術を使うのはどうなのか。家族ってどういうものなのか、血縁なのか、それとも養子や子どもがいないのもありなのか、シングルや、同性カップル、AIDもアリなのか、とかね。

それを話し合って、『家族は形じゃない』という方向性を社会に浸透させたうえでなら、ちゃんと技術を認める法律も作ればいいし、いっそ国が本腰を入れて精子バンクをつくるくらいのことまでしたほうがいい。根本的な議論を避け、目先の技術についてだけ議論している現状が、よくないと思うんです」

筆者はこれまで何度か石塚さんのお話を聞かせてもらってきたのですが、「みんなで一度、ちゃんと議論しよう」というところに、彼女のいちばん強いエネルギーを感じます。

「意見が分かれる話だから」といって、そのまま野放しにするのでなく、その技術の是非をみんなで話し合い、使うなら使う、使わないなら使わないと方針を決めたうえでルール(法律等)を作り、それに則っていくこと。

それをしないかぎり、この技術で生まれてくる子どもたちをはじめ、不妊治療の当事者みんなが本当の意味で幸せになることは、できないのではないでしょうか。

本連載では、いろいろな環境で育った子どもの立場の方のお話をお待ちしております。詳細は個別に取材させていただきますので、こちらのフォームよりご連絡ください。