2017年12月14日木曜日、東京都町田市の小高い丘の上に温かな風が吹いた。

 今までは、人気(ひとけ)も全くなかったとある小さな病院のロビーフロアは、地域の医療機関や介護・福祉施設、地元の高校の学生や地域の住民であふれ返っていた。

 それは、東京都町田市の自然豊かな丘陵地帯にひっそりと存在してきた「まちだ丘の上病院」が地域を支える医療機関として蘇生し、2025年問題*1へ挑戦蘇生するを始めた物語の序章である。

 実際にこの病院で起こった小さな奇跡とも言える物語を、事実関係と奇跡の要素要因を分析を踏まえながら紹介したい。キーワードは「夢(ビジョン)を持つこと」そして「有言実行」である。

*1=2025年問題:団塊の世代が75歳以上になり、全国で約43万人が施設と専門人材不足を背景に必要な介護を受けられない「介護難民」になると言われている世界的にも例をみない少子高齢化による問題。

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類を見ない障害者の治療をする病院

 「まちだ丘の上病院」は、つい半月前までは「南多摩整形外科病院」という名称で呼ばれていた。地域の住民もそこに病院があるのかどうかも知らない、人気(ひとけ)のない丘の上に存在するこの病院は、実は知る人ぞ知る著名な医療機関だった。

 「南多摩整形外科病院」は、脳性麻痺による重度身体障害児(者)の機能改善を手がける、全国や時には海外から患者が指名で集まる医療機関だった。

お披露目式当日の様子


 故・和田博夫博士の甚大なる尽力により、当時の美濃部東京都知事の政策的な後押しもあり、「南多摩整形外科病院」は産声を上げることとなった。その後、和田博士の急逝もあり、一時期はこの特異な専門医療を中断しなければならない時期があったという。

 しかしながら、病院を必要とする患者の会や多くの支援者の支えもあり、松尾隆前院長を迎えて、機能改善医療を再開するに至ったという歴史を持つ。多くの支えの中で歴史を刻んできた医療機関だった。

 しかし、継承者不在という全国の中小病院が等しく抱える課題は「南多摩整形外科病院」にとっても同様だった。

 しかも、あまりにも特殊な技能を持った医師によって支えられていたこの医療機関にとっては、経営の継承問題は人間国宝の伝統工芸を継承するかのごとく難しい課題だった。

 そんなアキレス腱を抱えながら存続していた「南多摩整形外科病院」に不幸が襲いかかることになる。院長が倒れたのである。2016年暮れのことだった。

 松尾隆院長は一命をとりとめ、その後現場復帰するも、長い休養期間と年齢という生命の限界には抗うことができず、「南多摩整形外科病院」は、かつての活気を取り戻すことはできなかった。

 そればかりではなく、期間損益で大幅な赤字計上を余儀なくされていたため、財政的にも窮状に瀕していた。そんな中、一人また一人と多くの医療専門スタッフは離れていった。

絶望の中訪れた転機、そして蘇生へ

 もはや、この病院が蘇ることはないのだろうか。多くの職員はそう考えていたに違いない。

 職員も含め、皆があきらめそうになりかけた時、この医療機関にとって大きな転機が訪れた。

 医療・福祉で地域を元気にする活動をしている諏訪中央病院名誉院長の鎌田實を所長とする我々「地域包括ケア研究所」との出会いがあり、経営の支援が決まった。

 そして、この厳しい状況下にありながらも未来に向かって歩み始めた医療機関に対して温かい心ある金融機関が現れた。融資実行を決断してくれたのだ。

 それらの出会いは、とても細い細い糸をたどるように偶然の出会いによって訪れた。しかし、その偶然は「夢(ビジョン)を持つこと」、そして掲げた目標を実践するという「有言実行」を成し遂げることを通じた、必然によってもたらされていると言えるのではないだろうか。

 病院の中に一握りの希望を持ち続けた職員がいたことがきっかけとなり、その希望を形にする方針と具体的な行動目標を示し、職員が皆で実行し切ったことが要因にほかならない。もう少し具体的に順を追って説明していきたい。

 2017年12月1日、ひっそりと「南多摩整形外科病院」はその歴史は幕を下ろした。「まちだ丘の上病院」として、蘇ったのだ。名誉院長には地域包括ケア研究所の鎌田實所長が就任した。

 そして、院長には最先端の外科医から教育者を経て、複数の医療機関の病院長を経験した経験豊富な金良一医師が着任した。

 院長は、我々が描く「温かい地域創り」に医療分野から取り組んで行く活動に共感して集まった夢(ビジョン)を共有した仲間だ。初めの「有言実行」は、組織の中心となる医師体制を構築することだ。

 本来なら潰れかけの病院へわざわざ飛び込んで来る医師はいない。ましてや輝かしいキャリアを持った医師であればなおさらだ。地域包括ケア研究所が医師体制構築という実現困難な有言実行を果たしたのだ。

 職員は当日を迎えるまで半信半疑だったに違いない。しかしながら、その日新たな院長を迎えたことは、組織に小さな自信をもたらした。

地域の多くの期待が後押しに

 閉院寸前まで来ていた病院は、こうしたメンバーに支えられて蘇った。そして、「まちだ丘の上病院」を地域にお披露目する12月14日を迎えた。

 これまで、地域の医師会にも入らず、自治会にも顔を出さず、地元の住民ですら知らないような外来患者数人という病院のお披露目などに人々は来てくれるのか。職員の多くはそんな不安を抱えながら当日に向け準備を進めてきた。

鎌田名誉院長と参画した新院長


 我々が掲げたお披露目会の集客目標は50人だった。50人でもこれまでの経緯を考えると出来過ぎた数字かもしれない。しかし、蓋を開けてみれば、その目標の2倍以上、100人を超える参加者が足を運んでくれた。

 余ったら職員の夕食にでもしようかと思い、かなり余裕をもって用意していた弁当が足りず、用意した椅子も足りず、ついには立ち見の人々までが出るほどだった。

 これだけ多くの人が集まったのは、準備した職員が一丸となって決めた役割を果たしたこと、地域の住民や医療機関からの大きな期待(ニーズ)があったからにほかならない。

 2週間足らずの準備期間で、リストアップした約300の地域の医療機関や介護・福祉施設、訪問看護ステーション、地域包括支援センターへの案内を行い、地域住民には職員が手分けして個別訪問も行った。

 「ここで頑張らないでいつ頑張るのか」。職員の想いは1つになった。潰れかかり活気を失っていた職員の間に自然と笑顔と充実感が現れてくるようになった。

 また、地域を支える医療機関として「温かな医療」と「確かな医療」そして「共に歩む医療」という理念を掲げた「まちだ丘の上病院」が目指す医療は、まさに地域に求められているものだった。

 町田市は多摩丘陵の南端に位置し、古くは街道があり宿場として栄えた町だった。南北に長く古い町並みが残ることから交通の便が悪いことに加え、多くのほかの地域と同様に少子高齢化問題を抱える地域である。

 さらに丘陵地であるために坂道が多い地形は、地域の高齢者にとっても医療機関への通院は深刻な問題となっていた。そんな地域住民の抱える課題からくる期待は大きく、掲げた夢(ビジョン)が確かに地域の届いたのだろう。

 1つの出来事に過ぎないが、病院の職員には「有言実行」を果たした小さな成功体験になった。

 そして、何よりこの日を境に患者さんが病院に集まりだした。病床稼働は、新たな体制でスタートした12月1日から1か月で約30%増加し、1か月半経過したところで約45%の改善が実現した。

2025年問題への挑戦

 町田の丘の上に吹き始めた温かな風は、追い風となってくれたようだ。一度は潰れかけた病院を辞めていった職員が、再び戻ってきた。

 そして、新たに「まちだ丘の上病院」が取り組む医療を目指す仲間になりたい専門家が少しずつ集まり始めた。

病棟を回診する新院長


 病床稼働改善によって必要になる看護師の採用計画は当初今年度3月末までに5人を計画していた。これは医療機関として充足させなければならない必達の基準だ。

 それが、2か月弱で5人の看護師が仲間になってくれ、採用計画を前倒しで達成した。この規模の病院ではいかに難しいことか。

 アベノミクスによる好景気と少子高齢化による生産年齢人口の減少もあり、人手不足は全国的にも深刻な問題だ。

 さらに、医療・介護の分野についていうと有効求人倍率は3倍以上にもなる。医療機関や介護施設は看護師集めに大変な苦労を強いられ、看護師や専門スタッフが集まらないという理由で潰れていく医療機関や介護施設は後を絶たない。

 そんな苦しい採用市場の中で、とても立地上利便性が良いとは言えない古ぼけた医療機関に専門スタッフが集まり始めたのだ。

 そこには、2025年問題を乗り越えるために地域を支えるという明確な夢(ビジョン)を掲げ、それを実行する有言実行型の組織へと変化し始めていたことが背景として挙げられる。

 夢(ビジョン)を持ち有言実行できる組織は、医療・介護の専門家の成長のための場としても望ましい環境と言える。

 まだ「まちだ丘の上病院」は、小さな小さな一歩を歩み始めたに過ぎない。まずは入院患者をもっと増やして、次に外来患者も増やしていかなければならない。融資を受けた借入金を、責任もって返済していかなければなない。

 まだマイナスからのスタートを切ったばかりで、一(いち)医療機関として自立しているとはとても言えない状況だ。

 しかし、この病院が立ち向かっていく課題は、病院と言う小さな単位でも、町田という地域に限ったことでもない。

 我が国は全国で約43万人が必要な介護を受けられない「介護難民」になると言われている世界的にも例をみない少子高齢化による2025年問題という大きな坂道に向かっていかなければならない。

 私たちの小さな一歩は、そんな日本の未来に向けた坂道を上る第一歩にほかならない。

筆者:藤井 雅巳