乃木坂46の顔として、結成当初からグループを引っ張り続けてきた生駒里奈が卒業することを発表した。記念すべき20枚目のシングルを最後に卒業するという。思えば、乃木坂46のここまでの歴史は、生駒里奈と共にあった。

まず、生駒里奈が我々に驚きを与えたのは乃木坂46結成間もないころ。AKB48がTOKYO DOME CITY HALL で開催していた「リクエストアワーセットリストベスト100 2012」の初日公演に乱入し『ぐるぐるカーテン』を披露。しかも、生駒は涙して震えながら「私たちには超えなければならない目標があります。その目標とは、AKB48さんです」と宣戦布告をした。

2012年といえば、AKB48の勢いがいま以上にあった時期で、2000人を超える熱狂的なAKB48ファンを前に、まだ何者でもなかった生駒が勇気を振り絞りこのサプライズを行ったことに、メンバーはもとよりスタッフや関係者の多くが舞台裏で涙をしていた。

この勢いのままに、生駒は不動のセンターとして活躍。5枚目のシングル『君の名は希望』までセンターを務めた。自身がインタビューなどで、『君の名は希望』までの間の記憶がないと話すことがあるが、生駒は取材から舞台からコンサートからすべての責任をその小さな体に背負い続けてきた。

今となっては、白石麻衣、西野七瀬を始め、多くの人気メンバーが存在する乃木坂46だが、まさに『君の名は希望』までは、取材をしていても生駒里奈の印象しかないほどに、「生駒里奈のグループ」として乃木坂46は存在していた。

この生駒の活躍を良しとしないファンも少なからず存在し、かつて前田敦子がAKB48の不動のセンターとして悩み、もがき続けてきたように、生駒もまたアイドルとして、乃木坂46のメンバーとしてセンターという重圧にもがき続けてきた。その重圧は尋常ではなく、「16人のプリンシパル」記者会見では、記者からの質問に取り乱し会見を逃亡するという前代未聞の事件まで起こした。

その後センターを他のメンバーが務めるようになってからも、AKB48チームBとの兼任や「第6回AKB48選抜総選挙」への参加など、次々と試練が待ち構えていた。

筆者は実際に生駒が出演をしたAKB48の劇場公演を取材もしているが、やはりどこか打ち解けていない彼女の姿を見て不安に思ったこともあった。生駒里奈はまさに身を削って乃木坂46を背負いアイドルとして活動を続けてきた存在だ。

しかし、そんな生駒もセンターの重圧から離れ、外での活動も多くなった中でアイドルとしての実力も経験も飛躍的に上がり乃木坂46をしっかりと変革していった。総選挙などで時には女同士のギラギラした戦いを見せるAKB48とは違い、どこか平和的な印象だった乃木坂46。そんな、乃木坂46を生駒は戦えるグループに変えていった。コンサートでは率先してパフォーマンスを見せ会場を煽り、センターでは無くてもシングル選抜でも存在感を発揮。後輩への指導も率先して行い、センターという立場ではないにせよ乃木坂46を引っ張る存在で有り続けた。

現在の乃木坂46の大躍進は、生駒里奈というアイドルの苦悩と努力の上に成り立っていると言っても過言ではないだろう。

数々の人気メンバーの卒業を経験してきた乃木坂46だが、生駒の卒業は確実に大きなターニングポイントとなり、乃木坂46は第二章を迎えることになるだろう。

生駒里奈がいない乃木坂46は、すぐそこまで迫っている。これから、乃木坂46がどんな活動をしていくのか?また、生駒里奈がタレントとしてどう活躍するのか?注目していきたい。

(芸能ライター/高橋瑠羽)