野中郁次郎氏(右)と田村潤氏(写真は『Voice』編集部提供)

硬直した組織を打破するためには、現場の力が不可欠だ。一橋大学名誉教授で「知識創造経営」の生みの親としても名高い経営学者の野中郁次郎氏と元キリンビール副社長、『キリンビール高知支店の奇跡』(講談社+α新書)の著者でアサヒビールからシェアを奪還した田村潤氏。「表面的な数字ばかり追う会社の致命的な欠点」(1月22日配信)、「闘う現場の本当の敵は官僚的な本社だ」(1月26日配信)に続いて、2人が総合論壇誌『Voice 2017年3月号』(PHP研究所)で対談した内容を一部加筆修正して抜粋する。

利他的経営の本質は人材育成にあり

田村 潤(以下、田村):皆の暗黙知を集めるという点でいえば、入社後最初に経験した人事・労務部門での仕事のスタイルが大いに役立ちました。

野中 郁次郎(以下、野中):どういったスタイルだったのですか?

田村:社内では「平等の思想」と呼んでいましたが、リーダーと末端の若手社員では、立場が違うだけで、役割を100%全うするという点では平等である、という考えです。先述のように、どんな立場の人間でも、自分の感じたことを率直に言うことが責任であり、議論や対話を踏まえてチームとして最高の結論を導き出す。そして、その結論に対しては全員が責任をもって実行していく。このスタイルを定年まで貫き通してきました。

少なからぬ人が「仕事は他人事」と考えているように、自分を組織の歯車の1つと捉えがちです。だから会社の業績が悪くなると、「自分は言われたことをやっているだけだ」という無責任な感情が湧いてしまう。組織を動かすうえでこの感情は、大きな障害となります。経営を前進させるには、「自分は会社を動かす一員なんだ」と、社員一人ひとりが使命感や責任を感じることが何より必要です。

野中:海外の人事制度に目を向けると、現在のGE(ゼネラル・エレクトリック)は人事を重要視しています。2014年にGEは、社員に対して示す目標を “GE Gross” という客観的、比較的、分析的な指標から “GE Beliefs” に改めました。端的にいえば、客観的な数値評価から、主体性を強調して自由度を与えるシステムに変えたのです。

P&Gやジョンソン・エンド・ジョンソンなどの人事部門も、株主と葛藤し合いながら社内の人間的な繋がりを大切にしています。現場で働く社員と一緒になって動ける人事部門の存在が、いい会社の条件かもしれません。

田村:オランダのビール会社のハイネケンも、徹底して現場に入り、そこから本質を掴んで普遍性を伝えるタイプの人材を抜擢していました。私も日本企業は、株主や顧客だけでなく社員のために企業があるというヒューマン・セントリックな「人間企業」をめざすべきだと思っています。


野中 郁次郎(のなか いくじろう)/1935年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。富士電機製造勤務ののち、カリフォルニア大学経営大学院(バークレー校)にて修士号(MBA)、博士号(Ph.D)を取得。南山大学経営学部教授、防衛大学校社会科学教室教授、一橋大学産業経済研究所教授、北陸先端科学技術大学院大学教授、一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授を経て現職。 田村潤氏との対談イベントが2018年2月8日(木)に東京・有楽町で開催予定。(写真:『Voice』編集部提供)

野中:ヒューマン・セントリックなマネジメントには普遍性があります。私も企業に勤めていたとき、フロントのなかでヒトを育てる仕事を通じて、企業体というのは人間の潜在能力を解放系にすることだという考えが染み付きました。

田村:ところが人事部門も最近では制度づくりを優先するようになって、現場に足を運ばなくなりました。

過去を振り返っても、対等な労使関係は日本の高度成長を支えていたと思います。経営側にとっても「下手なことができない」という良い意味での緊張感がありました。しかし現在は、組合が企業の顔色を窺(うかが)うばかりで、経営者の暴走や不作為を招いている。

そういえば昔は、人事や労務部門が出世コースでしたが、最近はそうでもないらしいですね。

野中:人事を経験した者が次の社長になるというのは、理に適(かな)っています。日本の伝統的な利他的経営の本質は、人を育てることにあるからです。情報から知識、知識を知恵にまで昇華させ、コンテクストに応じて行動に変換できるプロフェッショナルの人材を育て上げるのが企業の使命なのに、それがいま蔑(ないがし)ろにされているのです。

自社の使命を社員一人ひとりが果たす

野中:現在の日本企業が抱える最も大きな問題は、本社の存在が大きくなりすぎて、支店の役割が無意味になってしまうことです。

以前、証券会社の営業マンから「新しいファンドを扱ったので、買ってください」と勧められたことがあるのですが、私が細かく質問すると、本人もよく理解していないようで返答に窮している。挙げ句の果てには「あとで読んでおいてください」といって、本社から渡された資料を置いて帰ってしまう。本社の指示のまま動いているだけで、社員一人ひとりが業務にコミットしていない典型です。業種を問わず、いまこういうケースがじつに多い。

田村:ある医師の方が、薬品メーカーのMR(医療情報担当者)に、私の著書を勧めてくれたことがあります。理由を尋ねると、「自分は純粋に患者の幸福を願って治療をしているのに、薬品メーカーから来たMRは、自分のノルマ達成のことばかり考えている。彼らにはこの薬を使って世の中にいかに貢献できるかという視点に立って仕事をしてほしい」と語っていました。まさに野中先生のいうとおりです。

野中:エーザイの内藤晴夫CEOは、「ヒューマン・ヘルスケア(hhc)」という経営ビジョンの実現のために、全社員が業務時間の1%、年間2.5日を、患者と過ごす時間に充(あ)てているそうです。患者と共体験をすることで、言葉には出てこない患者の喜怒哀楽を知るためです。その経験を通じて感じた「患者の真のニーズに応えたい」という思いが、自らの仕事のモチベーションになるのです。

田村:どの会社にも使命はあります。自社の使命を社員一人ひとりが果たそうとする思いで仕事に取り組んだら、世の中の流れもきっと変わるはずです。

最終的には利他が勝つ

他方で、組織内でブレークスルーを生むには、リーダー自身が覚悟をもたなくてはならない。特に現場を知っていて、経営側の立場も知っている中間層のリーダーが立ち上がらないと、組織改革は成功しないと思いますね。

野中:かつては、大局観と現場がミドル層を中心に回転していく「ミドル・アップ・ダウン」が成立していました。ここでいうミドルとはプロジェクトリーダーであり、プロデューサーです。しかしながら、戦略的なポジションで組織改革を行っていたミドルが、いま最も疲弊している。ミドルが活力を失えば、彼らの背中を見ている第一線の社員はますます塞(ふさ)ぎ込んでしまう。

いまの若者は社会のために何かをやろうという気持ちが非常に強い、といわれています。しかしその思いが十全に発揮されないのは、部下のチャレンジを促すプロジェクトリーダー的なミドルの不在が影響しているのかもしれません。逆に今後、ミドル層が活力を取り戻せれば、個人の主観が相互主観性にまで高められ、大きなうねりを生む原動力となります。


田村 潤(たむら じゅん)/元キリンビール株式会社副社長。1950年、東京都生まれ。成城大学経済学部卒業後、1973年にキリンビール株式会社入社。1995年に支店長として高知に赴任したのち、就任6年で県内トップシェアを奪回、V字回復させる。四国4県の地区本部長、東海地区本部長を経て、2007年に代表取締役副社長兼営業本部長に就任。全国の営業の指揮を執り、2009年、キリンビールのシェア首位奪回を実現した。2011年に独立、100年プランニング代表。2018年6月にPHP研究所より新刊発売予定(写真:『Voice』編集部提供)

田村:『キリンビール高知支店の奇跡』が多くの人に支持されたのも、強いミドルを求める声と連動しているからかもしれません。

野中:不確実な時代にミドル・リーダーに求められるのは、具体的な現象の背後にある本質を掴み取り、普遍的なコンセプトに結び付けて、最後に「こうじゃないか」とジャッジメント(判断)を下す能力です。しかし個別個体に存在する関係性のなかで、ジャストライト(Just Right)の判断を下すのは容易ではありません。リーダーの実践知を組織内で共有するには、実践の只中でリーダーが共体験しながら徒弟的な関係のなかで育成するしかない。それにより、個別具体の暗黙知を形式知、普遍へとスパイラルを生み出す土壌が組織内で醸成されるのです。

何より「将来はこの人のような存在になりたい」と憧れを抱くようなロールモデルとなる社員が組織の中心になり、共体験を通じて部下を育てるのが、本当の意味での利他主義の経営であり、企業が社会に対して行う最高の善ではないでしょうか。

本来、日本企業は人材を育成するヒューマン・セントリック・カンパニーの集まりだったのですが、いつの間にかいびつな形態へと変容してしまった。これを元へ戻さなければいけない。そのときキーとなるのが実践知であり、その根底にあるのが利他主義です。しかも、脆弱(ぜいじゃく)な利他主義ではなく「最後に勝つ」という知的体育会系のしたたかさを帯びていないといけない。

田村:本書はまさに「絶対に勝つ」という願いを込めた本です。より多くの人にキリンビールを飲んで喜んでもらうという理念を掲げた以上、負けは許されない。その意味で、人を育てること、お客さまに最高の満足を提供すること、そして勝つことは、同一のコンセプトなんです。

野中:それこそ知的体育会系の利他主義ですね。利己主義と利他主義は日々葛藤しますが、最終的には利他が勝つ。最近は、金を儲ける点では長(た)けていても、フィロソフィー(哲学)に欠けるリーダーが散見されます。組織の上に立つ者は、人間を第一に考え、自社と社会の両方にとって有益な共通善の哲学をもつ賢慮のリーダーが求められると思います。