田中明彦(たなか・あきひこ)プロフィル:政策研究大学院大学学長。専門は国際政治学。東京大学教養学部卒業、マサチューセッツ工科大学政治学部大学院卒業(Ph.D.取得)。東京大学東洋文化研究所教授、同所長、同大副学長、独立行政法人国際協力機構理事長などを経て、2017年4月より現職。2012年紫綬褒章受章。『新しい「中世」』(日本経済新聞社、1996年、サントリー学芸賞受賞)、『ワード・ポリティクス』(筑摩書房、2000年、読売・吉野作造賞受賞)など著書多数。(撮影:疋田千里)

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世界のパワーバランスの変化は米中2ヵ国間をみるだけで十分か、また中国よりむしろアメリカが戦争を仕掛ける恐れはないのか、北朝鮮で不測の事態が起こったらどのようなリスクが考えられるうるのか?2017年上半期の米アマゾンのベストセラー歴史書『米中戦争前夜 新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ』では、新旧大国が図らずも戦争に突入する要件を、過去500年の事例から分析し、現代の米中関係への示唆を提示していきます。本書邦訳版の刊行を記念し、本テーマについて日本の第一人者である国際政治学者で政策研究大学院大学学長の田中明彦氏にお話を伺いました。

パワーの拡散による影響力にも注視すべき

――中国が軍事・経済両面でさらに力をつける一方、アメリカのトランプ政権は国内外でアメリカ第一主義(アメリカ・ファースト)の姿勢を強めています。パワーバランスの変化をどのようにご覧になりますか。

 世界のパワーシフトを見極める際、2つの視点で区別して見る必要があるでしょう。

 ひとつは、2ヵ国間のパワーのダイナミクスを比較する視点。米中2ヵ国を考えてみると、とりわけ中国の経済成長率がアメリカより高いので、経済面でもひいては軍事面でも、中国が徐々にキャッチアップはしてきています。

 もうひとつは、特定の国家間だけでなく世界全体のパワーシフトを俯瞰する視点。近年、米中間はもちろんですが、世界全体でもっと大きなパワーシフトが起きているとも言えます。つまり、圧倒的に欧米が優越していた時代が終わりつつある。これは、19世紀のはじめに圧倒的にアジアが優越していた時代が終わり始めたときと、歴史的にみた重要性は比較し得るほど大きな変化です。
 欧米は、18世紀末から19世紀の産業革命で急速に台頭し、20世紀にはいると、圧倒的なパワーを持ち続けてきました。この間、例外的に欧米に伍していたのは19世紀末あたりからの日本ぐらいでしょう。20世紀末から21世紀でいえば、中国の台頭ぶりは目覚ましかったですが、同時に、東南アジアやインドなど、中国以外も大きく成長しました。もはや、欧米だけが圧倒的に優越しているわけではありません。2ヵ国間でパワーシフトをとらえる前者の視点とともに、このような後者の視点も持ち合わせないと判断を誤るのではないでしょうか。

――米中以外の国家の台頭により、今ほどパワーが分散した時代はこれまでにないということですね。

 そうです。しかも、パワーをもつ存在が、国以外にも拡散している点にも目を向けなければいけません。

 19世紀から20世紀まで、権力(パワー)の主体は基本的に国家ばかりでした。でも今は国家以外にグローバル企業やテロリストなどの存在感が確実に高まっています。アメリカという国家の圧倒的なパワーは否定できませんが、そのアメリカでさえグローバル企業に税制優遇してでも国内に呼び寄せようとするのは、企業がパワーをもってきた証左ではないでしょうか。さほど強いパワーをもたない国家も多く、それらと比べれば今や一部の企業やテロリストのほうがパワーをもっているのです。これらは、長期的な趨勢として見逃せない動きです。

 このほか、国際機関もとかく軽視されがちですが、最近は影響力をもってきています。トランプ米大統領は国際機関なんて蹴飛ばせという姿勢を示していますが、実際は、北朝鮮問題でも国連を使わざるをえない。ましてやそれ以外の中小国は国際機関を無視するわけにはいきません。

 アリソン教授の問題提起でいえば、過去の新旧大国で戦争に至ったケースと至らないケースを分析するなかで、戦争に至らないためにどうすればいいのかを検討するには、単に2ヵ国間だけの問題でなくより広い視点で議論する必要があるのではないでしょうか。

一触即発で手を出すのはアメリカでは?

――そこは、田中先生が1996年にまとめられ昨夏にも文庫新装版が出るなどして読み継がれている著書『新しい中世 相互依存の世界システム』(講談社学術文庫)のなかでも、覇権衰退の影響は国家間だけでなく、国家と非国家ネットワークの間に及んでいく、と言及されていたとおりですね。

 そうですね。覇権が衰退した後に登場する国家群として、特にアジアの国が増えてきた点に注目が必要です。中国の台頭がクローズアップされますが、現実にはインドも台頭しているわけで、バランス・オブ・パワーは複雑化しています。

 覇権衰退後の事例として、19世紀後半のドイツとアメリカの事例があります。覇権国だったイギリスはドイツとは戦争になった一方、民主主義や自由、人権、法の支配といった基本的な価値観を共有しているアメリカとは戦争に至らなかった点がよく議論されます。この19世紀アナロジーで言えば、アメリカは民主主義国のインドとは戦争にならないけれども、民主主義国でない中国とは戦争になるかもしれない、というわけです。ただしここでも、米中以外の国とのバランスや世界秩序の内容も鑑みて将来を分析する必要があるでしょう。

――プレイヤーの数だけでなく、その動機もいっそう複雑化してきいているわけですね。

 覇権を狙う競争では、新興勢力が現行秩序に不満をもっていて、これを変えようとして対決が起きる、という議論があります。しかし、果たして中国は現行の秩序にどのぐらい不満をもっているでしょうか?どちらかというと、中国ほど現行の秩序から利益を得た国はありません。習近平・中国国家主席も、少なくとも発言上は現行の秩序を守りたいと言っています。

 むしろトランプ米大統領のほうが、現行秩序に不満を抱いているように見えます。WTO(世界貿易機関)への中国加盟を認めたために、アメリカ市場に中国産品がどっと入ってきて、いまや中国はアメリカにとって最大の貿易赤字相手国となってしまったというわけです。

 そうなると、むしろアメリカのほうから貿易戦争を仕掛けるのではないかという懸念が生まれます。アメリカがTPP(環太平洋パートナーシップ協定。オーストラリア、ブルネイ、カナダ、チリ、日本、マレーシア、メキシコ、ニュージーランド、ペルー、シンガポール、ベトナムの計22ヵ国による経済連携協定)から離脱を表明した動きなどは、その傾向を示しています。とすると、国際政治学におけるパワーシフト論(アリソン教授のいう「トゥキュディデスの罠」)からすると、米中がなんらか一触即発の事態に陥ったときに、手を出すのはアメリカのほうかもしれないとの予測すらできることになります。

――トランプ米大統領という予測不能な因子が余計に見通しを難しくしている印象です。

 私はどちらかというと、トランプ米大統領はアメリカ史のなかでかなり逸脱した現象だと思っています。トランプ氏が現代に必然として登場した、今後のアメリカを代表する存在かというと、そうではないと思う。現行秩序で損をしている人がアメリカにいることは間違いないけれども、アメリカ全体の経済面・政治面を考えたら今の秩序からとてつもない利益を得ていると思います。実際、人口も増えているし、次々と技術革新が起こり、GoogleやAmazonなどのグローバル企業がうまれ、先進国のなかでは経済成長率も一番高い。それは自国の努力だけによるものではないはずです。

 つまり、アメリカも中国もそれぞれの利益を冷静に考えれば、現行秩序をひっくり返す動機は見当たらない。トランプ氏は時に自己中心的な発言をしますが、彼がどうであろうと、いずれアメリカ全体の方向性として、今の秩序を維持するほうが得だという話になるのではないでしょうか。現に、1月末のダボス会議ではトランプ大統領みずから、あれほど罵倒していたTPPへの復帰もありうるとの発言をしています。対する中国も今の秩序から外れないとなれば、米中の関係は「トゥキディデスの罠」にはまらずに進む可能性が高いと思います。

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