「今年もきっと、超えていくことがいっぱいある。そうやって1年1年重ねていける57歳って悪くない」(撮影:尾形文繁)

人生100年時代。働き方やスキルは何度もアップデートできる。そんな生き方を体現しているのが、『格好悪いふられ方』などのヒット曲で知られるシンガーソングライター・大江千里さんだ。
国内ポップミュージック界でのキャリアを捨て、47歳でジャズの名門・米ニュースクールに入学。現在はニューヨークを拠点とするジャズミュージシャンで、自身のレーベル・PNDレコーズを「ひとりビジネス」として手がける経営者でもある。
その毎日の様子は1月の新著『ブルックリンでジャズを耕す 52歳から始めるひとりビジネス』(KADOKAWA)に詳しいが、約1年ぶりに帰国した折にじっくり話を聞いた。千里さん、人生の新しいステージをどう生きていますか?

僕にとっては「意味のあるおカネ」

――今の活動状況を教えてください。

ニューヨークの53丁目にある「トミジャズ」というジャズクラブで、毎月最終木曜日に演奏しています。元々は日系のお店なんですけど、今は出ているアーティストもお客さんも日本人のほうが少ない。非常にニューヨーク的なお店になっています。僕はジャズミュージシャンとして、すごく曲を書きたい。だから書いた曲を毎月トミジャズでお客さんに聞いてもらって、反応を見て、それでまた次を考えるというサイクルです。

後はニューヨーク以外にも欧米でツアーをやっています。去年は中西部を攻めようと決めて、ミネアポリスやコロンバス、シカゴなどでツアーを組みました。西海岸やワシントンでもやっています。去年はヨーロッパはなかったけれど、メキシコで演奏しました。

――収入源は主にライブですか。

ライブが大きいですね。ジャズのアルバムも、毎月少しずつ売れています。毎月売れるってすごくないですか? もちろん、日本のバブルの頃に入ってきた額とはケタが違うんだけど、僕にとってはそれ以上に意味のあるおカネのような気がします。あの頃は入ってくる金額が大きくても、税金やらで出ていくものも大きかった。おカネのことが分からなくなっていて、一体いくら稼いでいくら残るんだろう?という不安がありました。今は銀行口座を見て、仮に減っていても、「あれじゃそりゃあ減るよね。じゃ、またなんか始めなきゃ」って手に取るようにわかる。

――ポップミュージシャンとしてのキャリアを47歳でリセットして、ジャズを本場米国でやり直すというのは、米国人にも驚かれる挑戦だそうですね。

そうなんです。だから米国の地元の高校で講演をすることもあるんですよ。人生は限りがある。だからやりたいことをやるために、これからの人生を使おう。そういう決断を47歳でした。そのためにすべてを一度捨てた。この過程そのものを話します。学校を卒業して、米国のレコード会社がCDを出してくれるわけでもないから、自分で音楽レーベルを作ってネットで売っている。そういう話をすると、「結局、捨てたのは何?」「逆に手に入れたのは?」といった突っ込んだ質問が高校生から来るんですよ。

捨てたのは「アメニティグッズみたいなもの」

――「何を捨てたのか」は、ぜひ聞きたいです。

「アメニティグッズみたいなもの」を捨てたんだと思います。たとえば、誰かに運転してもらってその間に仮眠をする、といったことですね。今だったら移動は全部自分で公共交通機関に乗って、必要な機材を担いでします。これがいちばん違いますよね。

――人にサポートしてもらうことを捨てた?

サポートというより、コンフォータビリティ(快適さ)みたいなもの。それはそれで価値のあることではあったのですが、今の僕はもっと別のところに照準を当てていて、そっちに価値を見いだして生きている。その価値観の中では、コンフォータビリティはいちばん重要じゃなくなったんですよね。


日本での演奏は年1〜2回。アーティストとして35周年を迎える今年は、来日の機会が増えるかもしれない(撮影:尾形文繁)

――よく企業マネジメントの世界では、コンフォートゾーンからいかに抜け出すかが人材の成長にとって重要だといいます。日本のミュージシャンだったときには、コンフォートゾーンから抜け出せなかった?

僕自身は実は、「グリーン車で移動するんじゃなくて、アルバムの制作費だとかもっと違うことにおカネを使ったほうがいいんじゃないか?」と昔から言うこともありました。でも当時は周りの人が、「大江千里にはそういうことをさせられない」って思ってくれていた。それは僕の音楽に対するリスペクトであり愛情。そういう気持ちをみんなからいただいていたから、当時の僕が頑張れたのも事実なんです。あの頃は本当に大勢の人を巻き込んだチームワークだったので。

だから、あっていいコンフォートゾーンと、なくしていいコンフォートゾーンがその時々にあるんだと思います。今も、たまにはグリーン車に乗りますよ。体調が良くない時に、次の場所に向けての投資だと思って乗ります。そういう時は、グリーン車で過ごす時間をうんと大事にする。久しぶりに『ひととき』(東海道・山陽新幹線のグリーン車限定月刊誌)を読みますか! いっそ持って帰っちゃいますか!とか、グリーン車から見える富士山はやっぱり見え方が違うねえ、なんて言ったりとか。いや、一緒なんだけどさ(笑)。

――同じものなんだけど、一度捨ててもう一度獲得するときには違う意味が生まれるのですね。

そうなんですね。もう一度得たものは、僕にとっての意味がすごく鮮明に見えるようになりました。今の僕に必要なコンフォータビリティなのか、あんまり意味がないのか、といったことが。

――昨日ちょうど、小室哲哉さんが記者会見で引退を発表しました(注・インタビューは1月20日に実施)。会見のきっかけになった出来事は脇に置くとして、60歳を目前にした小室さんが、周囲の期待に応える音楽を作ることに深く悩んできた姿が印象的でした。

見ました。僕、てっちゃんとお友達だから。てっちゃんがその決断をしたことは、非常に勇気のあることだと思います。ただ、早いなとは思う。

今は人生100年の時代です。才能だって、そんなに簡単に枯渇なんかしない。もし枯渇したと思ったなら、それは休めばいい。2〜3年のバケーションをもらって、まったく違うところで人生を立て直すことはできる。もしスキルアップする時間が十分にあったら、今度は何が出てくるだろう?って、自分にわくわくできると思うんです。


「才能だって、簡単に枯渇しない。枯渇したと思ったら、休めばいい」(撮影:尾形文繁)

肝炎のような身体的な問題があったのも、やっぱり休養が足りなかったのかなあ、と思ってしまう。ゆっくり休んで、ワインを飲んで、翌日起きて、「今日も生きてて、こうやってぱちっと目が開いた。何だってできるよね、恥なんて捨てて!とりあえず犬の散歩に行きますかね」っていう感じになれば、もう一度わくわくしてくる。

現実世界には、たとえばてっちゃんの音楽にダメ出しをするディレクターやプロデューサーがいたのかもしれない。「音域はここから出ちゃだめ」「その転調はもっと変えてください」と言われたり、自分が美しいと信じてきて、こういう曲ならそんなに歌唱力がないアーティストでも輝かせられると信じているものを否定されたり。

いや、実際は知らないですよ。わからない。だけどそういうことで人間は疲弊するもの。そしてその回数が増えてくると、あれだけエネルギーのある人でも、もうそろそろ潮時なのかなっていう発想にもなってしまうのかもしれない。

最高の仲間が1人いればいい

てっちゃんは今でも金髪がよく似合っていて、ハンサムです。だけどやっぱり、60歳手前の顔をしている。てっちゃんはにっこり笑うとかわいいんですよ。それなのに笑わないで、悲しさや苦渋をかみしめた顔をしていると、見てるほうも本当につらい。せっかくここまで人生を生きてきたのだから、少し休んでいい。

人生って、時々休んで思い切り羽を伸ばせて、話を聞いてくれる最高な仲間が1人でもいたら、十分なんとかやっていける。たくさんの人に囲まれていなくても、高級車で移動しなくてもいい。電車で移動したほうがむしろ、そこでどんな出会いがあるか、何が始まるかわかりません。

――千里さんは実際、企業社会でいうサバティカル(長期勤務者に対する長期休暇)を取るようにして米国に留学しました。その時に、「これをやってしまったら、戻ったときに自分の居場所はもうないんじゃないか」とは思わなかったですか。

思いましたね。もう戻らないと決めて出ましたが、万が一戻らざるをえないこともあるかもしれない。その時に席がなかったら、それは仕方がない。その時はその時で「次のドア」を開けていこうと、おぼろげながらも覚悟をしました。

そういう覚悟は、ずっと前からあったとも言えます。『APOLLO』(1990年9月発売のアルバム)を出してオリコンランキング1位を取った直後ぐらいに、ライブツアーの会場で不思議な光景を見たんです。前回のツアーでいた人が、1列分ぐらいいないんです。地方の公演でしたね。あれ? 今オリコン1位なのにどうしていなくなっちゃったんだろう?って。ヒットして最大公約数のファンを得ることは、本当に好きな人を減らすんだな。これは覚悟しなきゃいけないときが来るんじゃないかな、って直感しました。それが見えたのは、僕だけだったんですよ。

「別の次元に」という思いを止められなかった

――同じチームのプロデューサーだとかには、見えていなかった?

だいたいは見えていなかった。でも1人だけ、すごいやつがいました。

そのツアーでお酒を飲んだときに彼が、「人気がなくなり始めてるって、わかってますよね。これからはプロデューサーとして、別の立場で音楽にかかわっていくことって、考えていますか」って僕に言うんです。そうは言っても、オリコン1位を取ったばかりの時期です。なんて失礼なことを言うんだって思いながらも、その言葉は突き刺さりましたね。これはきっとものすごい意味がある、聞き逃しちゃいけない。はらわたが煮えくり返る思いをしながら、ものすごい顔して、でも言い返せないで聞いていたと覚えています。


大江千里(おおえ せんり)/1960年生まれ。1983年にデビュー。2008年ジャズピアニストを目指し、NYのTHE NEW SCHOOL FOR JAZZ AND CONTEMPORARY MUSICへ入学。2012年7月、ジャズピアニストとしてデビュー。2013年には自身が率いるビックバンドで東京JAZZに初参加。2016年夏、4枚目にして初の全曲ヴォーカルアルバム『answer july』を発表。現在、ベースとなるNYのみならず、アメリカ各地、南米、ヨーロッパでライブを行いながら、アーティストへの楽曲提供やプロデユース、執筆活動も行なっている。2017年12月『「9番目の音を探して」〜大江千里のジャズ案内 』をリリース。2018年2月14日にDVD「Answer July〜Jazz Song Book〜JAPAN TOUR2016」が発売

悔しい思いをした後に実際に音楽の世界で旬が過ぎ始めて、いろいろ頑張ってみたら次に仕事がつながってきて、そうしたらまたちょっと浮上して……という時期を迎えました。それが40代半ば。そのときにちょうど肉親の死が重なったこともあり、「僕はいつまでやるんだろう。やるんだったら覚悟を決めなきゃいけないことがあるんじゃないか」と思った。それで、どうなるかまったくわからない世界だけど、別の次元に行ってみたいという思いを止められなかった。こういう経緯がすべてあって、今ここにいるんだなと思う。

実は僕、今をときめくアイドルの楽曲コンペで全部落ちてるんですよ。

――今の話ですか。

今現在、全部落ちています。基本的には書かないつもりなんですが、いくつかは「落ちるとしても絶対やるべき」というコンペがあるんです。それは自分が成長するためにやるんですね。

――そこに合わせて自分のベストをチューニングしていくことが重要。

そうなんです。そうやって作って、落ちた曲を蘇生させて、ジャズのアルバムに使っています。テンポを変えて、スイングにして、歌詞を全部英語に書き換えて。テイストは変わるけど、自分にとって「ここが胸に来るよね」というポイントは同じ。そのポイントを蘇生させることはいくらでもできる。自分が持っているテイストは、年齢なんかでそんなに簡単に枯渇するものではないと思う。

――近著の中で「運命を変えることは難しいかもしれないが、自分がどう生きるかは自分自身が決めることだ」という言葉があります。コンペで選ばれるかどうかは運命のようなもの。でも結果がどうであれ、そこに挑戦するかどうかは全然別の意味がある。

ニューヨークの大学でも、授業の中でオーディションがありました。本当に上手な人が多いから、なかなか選ばれない。でもそこで最善を尽くすと、ちょっと学べる。圧倒的にうまい人を相手に真剣に戦えば、「ああやればいいんだ」と盗める。そして悔しいけれど選ばれないということは、僕はオリジナルを作れということなんだと考える。だからオリジナル曲を作って、レコード会社を起業するという一人ビジネスを始めたんです。

二十歳だったら、迷いはあった

――悔いや迷いはいっさいない?

もし僕が二十歳だったら、迷いはあったと思います。だって、「あれもできる、これもできる」って残酷なくらい選択肢があるから。


でも僕はもう二十歳じゃない。ピアノを練習しすぎるとアスリートと一緒で弾けなくなるから、冷やして、温めて、電気を通してと、いろんな治療をして指を大切にしながら、自分が少しでも美しいと思うものを作る。

それを弾いて、伝えるために必要なエネルギーを、糠床(ぬかどこ)で寝かせるみたいにして自分で増やす。そうしないとエネルギーが腐って、もう終わっちゃうから。昔みたいに、毎日血尿が出るまで走ります!ってことは絶対にしない。だから逆にいうと、こういうふうにして生み出した曲を聞いてもらって、拍手をもらえたら、もうこのうえない喜び。スタンディングオベーションなんて起こったら、手を合わせたいぐらい。

12月31日にトミジャズでカウントダウンライブをやりました。すると1年前と比べて、日本人のお客さんがあんまりいないんです。韓国の人、中国の人、アルゼンチンから来ている俳優さんとかが、スタンディングオベーションしてくれるんです。それがうれしくて。

その夜、Uberで帰ってもよかったんですが、なぜか電車で帰りました。ユニオンスクエア駅で降りたら、DJがいて、カウントダウンのイベントをやっていて、そこら辺でいろんな人種が踊っているんですよ。僕も『ビリー・ジーン』がかかったからちょっと踊ったりして、コロンビア人にスマートフォンを向けられて、「Hey、日本人? 今スマホで生中継しているから、コロンビアで見てる人にメッセージちょうだい!」と言われたから、「大江千里って言います!」って答えました。世界中から来て、夢がまだ実現してないけれどあきらめていない人がみんな集まっているような空間で、すごく示唆的だなって思って、特別な気分になりました。

――素敵な大みそかでしたね。

昨年は米国中西部をライブで回って、いろんな意識が変わりました。今年もきっと、越えていくことがいっぱいある。そうやって1年1年重ねていける57歳って悪くない。だから神さま、あともうちょっと生きさせて! 僕、もうちょっと音楽やりたいんですから! そんな感じの大みそかでした。