グローバル化で割を食ったと感じている労働者層がトランプ大統領を支持している(写真=iStock.com/olga_steckel)

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各国で「移民反対」を掲げる政党が支持を広げています。こうした動きは批判的に取り上げられることがほとんどですが、批判するだけでいいのでしょうか。三菱総研理事長で元東京大学総長の小宮山宏氏は「自由経済がうまくいっていた時代に引きずられるだけではいけない。保護主義を本気で研究する。そして新しいコンセプトを作らなくてはならない」といいます――。

■各国で高まる「自国第一主義」の声

ちょうど1年前、「アメリカ第一主義」を掲げたトランプ大統領が就任しました。ヨーロッパでは、2016年にイギリスが欧州連合(EU)離脱を決めたし、昨春のフランス大統領選挙では、当選こそしなかったものの、反EU、反移民のマリーヌ・ルペン氏が決選投票まで進んで3分の1も得票した。ドイツの総選挙でも、反EU、反移民の右派政党が議席を伸ばしました。各国で、「自国の産業や雇用を守れ。国境の管理を厳しくして、移民や難民の流入を止めろ」と主張する声が高まっています。

こうした動きに対し、「ポピュリズムだ」「内向きはけしからん」と批判する向きがありますが、果たして本当に「けしからん」のでしょうか? そして、ただ「けしからん」と批判しているだけで良いのか? 私は、こうした「自国第一主義」の声が何を意味しているのか、本気で考えるべき時なのではないかと考えています。

これらの現象は、これまで信じられてきた経済の原則やモデルが、崩れてきていることを表しているように思えてなりません。これまでの価値観で、「保護主義は悪」「自由経済が善」と決めつけているだけでは、何も解決しないと考えています。

■経済のスピードに追い付かない「神の見えざる手」

植民地と本国の中だけで貿易を進める「ブロック経済」による保護貿易が、大国間の対立を招き、第二次世界大戦につながったという反省から、戦後は自由貿易を推進する動きが強まりました。さらに、1989年にベルリンの壁が崩壊し、1991年には共産主義陣営を率いていたソ連が崩壊して冷戦が終結。中国も市場経済を取り入れていますから、資本主義、自由主義経済が勝利したように考えられてきました。理論的には「自由経済が、資源を一番うまく配分できる」ということになりました。

市場で自由に経済活動が行われていれば、いくらそれぞれが利己的に動いていても、需要と供給のバランスは価格によって自然に調整されるというのが、自由経済の基本的な考え方。経済学者のアダム・スミスが「神の見えざる手」と呼んだ現象です。

しかし自由経済の中で「神の見えざる手」のメカニズムが完璧に働くためには、いくつか条件があります。「消費者や生産者が無数に存在していて、買い占めや売り惜しみが起きても価格に影響を与えない」「市場への参入も退出も完全に自由」「同じ商品であればブランドなどの嗜好はない」「市場に関するすべての情報をすべての人が持っている」といったものです。

こうした条件は現実にはありえない設定です。もちろん、机上で現実の状況を分析するうえでの基準としては必要かもしれませんが、それにしてもこれらの条件は、現実とはあまりにもかけ離れています。自由経済の理論を考えた経済学者たちは、これほどに国境を越えて人や情報、モノ、カネが移動するということを、想定していなかったのではないでしょうか。証券取引などでは、ITを駆使して1秒間に数千回もの高速取引が行われています。「神の見えざる手」、つまり価格の調整力が働くよりももっと速いスピードで、人もモノもカネも情報も動いてしまう。

雇用もそうです。本来であれば、ある産業が衰退すれば、新しい産業が生まれ、衰退した産業の雇用を吸収するということになっています。確かに実際、そうした動きはあるので、自由経済が全く機能していないわけではないですが、それは当事者たちが耐えられないほどにゆっくりとしたスピードです。例えば、アメリカで石炭が衰退産業になり、石炭労働者が解雇されている一方で、相当部分の雇用を、成長中のシェールオイル業界が吸収してはいる。しかしそれにはやはり数年かかります。マクロで見ると「たかだか数年」かもしれませんが、個々の家庭や個人の生活にとって数年は致命的です。そういうタイムギャップの間に、個々の生活は破たんしてしまいます。

■「平衡論」と「速度論」では議論がかみ合わない

自然科学の世界では、「平衡論」と「速度論」という言い方をします。

例えば私が教えていた「熱力学」の例で説明しましょう。真水がコップに入っていて、そこに食塩をひとつかみ放り込んだとします。理論的にはいずれ全体が混ざって均一な食塩水になります。それが平衡状態で、平衡状態を議論するのが「平衡論」です。

ただ実際には、平衡状態に達するまでに時間がかかります。場所によって、塩分が濃いところとそうでないところができます。よくかき回し、時間を待たないと、均一な食塩水になりません。また、均一になる前にもうひとつかみの食塩を入れたら、さらに不均一が増します。われわれが目にする現象のほとんどは平衡状態にはありません。これが「速度論」です。

もう1つ例を出しましょう。平衡論では、富士山の頂上でボールを蹴っ飛ばすと、地平線まで転がります。ただ実際はもちろん、途中で岩や木に引っかかったりするので、下まで転がることはまずありません。速度論、つまり現実の世界では、途中で発生するさまざまな不確定の条件が加わります。

平衡論の中で論じられる自由貿易市場は、適正な競争によって価格が媒介となり、最適な資源の配分が行われます。ただ、これは非常に単純化された1つのモデルの中の話。そこで行われる「自由経済、自由貿易が最善である」という議論は、現実社会では成立しません。実際は、大量なヒト、モノ、カネ、情報が高速で移動するし、国による税制の違いなどもある。不確定で複雑な条件が影響する、速度論の世界です。

アメリカでは、外国から労働者が入ってきて安い賃金で働いてくれるので、経済全体としては潤っているところもあるかもしれませんが、一方で、安い賃金で働く外国人労働者に職を奪われてしまっている人もいる。いったんここで外国人労働者の流入を止め、数年から数十年くらい待てば、労働市場の中で最適配分が起こるかもしれませんが、そうなるまで誰も待てません。現実には最適配分が達成されるまでに、また次の流入が起こったり、産業構造が変化したりと、状況がどんどん変わってしまいます。

平衡論の中では、自由経済は素晴らしいかもしれませんが、速度論の中ではそうなっていない。それなのに、政策を議論するときに、多くの人が、保護主義は悪で、自由経済が善であることを前提にしているように見えてなりません。しかし、現実の社会の中で、それが証明されているわけではないはずです。

■現実では、美しい理念もひずみを生む

先日、ある会議で、スウェーデンの方たちと話す機会がありました。スウェーデンは非常に長い期間をかけて少子化を克服し、人口がだいたい安定的に推移するようになっていました。それが2010年代に入り、移民・難民が大幅に増加して、人口が年間1%近いペースで増えています。人口の1%というと、日本に当てはめると年間約100万人にあたります。

これほどの人口が国境を越えて移動するというのは、これまでの国家の前提にはありませんでした。移動が自由なのであれば、スウェーデンのように教育や医療の水準が高く、かつ無料で享受できる国に、行こうとする人が増えるのは当たりまえです。一方でスウェーデン国民の間では、移民への支援によって国家財政が圧迫され、国全体の福祉が削減されるのではないかと懸念を抱く声が高まっていて、反移民を掲げる政党が議席を伸ばしてきています。

スウェーデンでは、すでに所得税の最高税率は60%を超えていますが、こうした状況の中で医療費の負担が上がっています。先日お話ししたスウェーデン人は、税率アップについて70%までは合意できるだろうと言っていました。しかし、税率を70%まで上げたとしても、現状の健康保険制度を維持するのは難しいだろうとも話していました。

スウェーデンは、男女(ジェンダー)平等や人権尊重、個性尊重という「スウェーデン・バリュー」を掲げています。しかし、流入する多くの移民や難民すべてに、スウェーデン・バリューにのっとって等しく手厚い社会保障を施そうとすると、財政は逼迫するし、社会も不安定になってしまう。流入のスピードがゆっくりであれば受け入れられたかもしれませんが、これほど急激だと難しい。美しい理念を実現しようとすると、ひずみが起きてしまうわけです。

■日本は強い規制のもとで、ほとんど鎖国に近い状況

こうした現実を前にして、経済の仕組みや国境の管理をどうするか、本気で考えなくてはならないときが来ているのではないかと思います。もはや、平衡論を前提とした議論で、「保護貿易はけしからん、自由経済・自由貿易がいい」などと言っている場合ではありません。

欧米ではこうした視点の議論が盛んになってきています。グローバリゼーションと国民国家と民主主義は並立しないというトリレンマの議論が活発です。ジョージ・アカロフ、ロバート・シラーのノーベル経済学賞コンビは最近、「不道徳な見えざる手(Phishing for Phools)」で自由市場の問題を浮き彫りにしています。自由主義経済の旗手ともみなされるハーバードビジネススクールすらも「危機にある資本主義(Capitalism at Risk)」を出版しています。フランスの歴史人類学者・家族人類学者のエマニュエル・トッドも「保護主義を研究すべきだ」と言っています。20世紀の、自由経済が比較的うまく機能していた時代のメンタリティーを引きずって、単純に保護主義を否定するのではなく、保護主義を本気で研究する。そして新しいコンセプトを作らなくてはならないと思います。

日本は保護主義的な国と言ってよいでしょう。強い規制のもとで、ほとんど鎖国に近い状況になっています。移民は認められず、農地の転換は進まず、送電線に接続できず、便利な電子決済手段よりキャッシュが幅を利かせ、配車サービスのUberも民泊サービスのAirbnbも使えません。自由主義経済のメリットの1つは、効率の良いビジネスに素早く変化することです。タクシーがウーバーに変わって価格が安くなるわけです。タクシーが高くても、日本と北京のタクシーが競争するわけではないので、それ自体は国際競争に影響をもたらしません。

しかし、タクシーが失業せず、農業もキャッシュも維持できる代わりに、日本社会のコストが高くなります。物流や交通やエネルギーなどさまざまなコストが高まり、企業の国際競争力を失わせます。生産性が高まらない、特に第3次産業の生産性が低いと言われて久しいですが、こうした高コスト構造が関係しているのではないでしょうか。自由競争と保護主義の議論の鍵は、急激すぎる変化による失業や格差の問題と、保護主義による高コスト構造とのジレンマを克服する現実的な解なのでしょう。

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小宮山 宏(こみやま・ひろし)
三菱総合研究所理事長。1944年生まれ。67年東京大学工学部化学工学科卒業。72年同大学大学院工学系研究科博士課程修了。88年工学部教授、2000年工学部長などを経て、05年4月第28代総長に就任。09年4月から現職。専門は化学システム工学、CVD反応工学、地球環境工学など。サステナビリティ問題の世界的権威。10年8月にはサステナブルで希望ある未来社会を築くため、「プラチナ構想ネットワーク」を設立し会長に就任。

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(三菱総合研究所理事長 小宮山 宏 写真=iStock.com)