1月30日に竣工式を迎えた「東京ミッドタウン日比谷」

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 3月末、東京・有楽町に開業予定の大型複合施設「東京ミッドタウン日比谷(以下ミッドタウン日比谷)」。都心最大級のシネマコンプレックスや、飲食店をはじめ初出店・新業態のテナントも数多く、東京の新たなランドマークとして注目されそうだ。しかし、開発主体である三井不動産の日比谷エリア再開発構想は、ほんの序章に過ぎないという。『月刊BOSS』編集委員の河野圭祐氏がレポートする。

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 東京・日比谷はある意味、不思議な街だ。日比谷という名称は駅名にはあっても、日比谷という住所は存在しない。三井不動産が手がけて竣工したミッドタウン日比谷の高層ビルも、番地は有楽町1丁目である。

 三井不動産といえば、同社の本社も入居する日本橋三井タワーをはじめとして、日本橋エリアが“三井村”であることはよく知られている。ライバルの三菱地所が、丸の内で多くの高層ビルを所有していることから、“三菱村”と称されているのと同じ理屈だ。

 だが、丸の内に比べて日本橋エリアは再開発では遅れをとった。同地には古くからの老舗商店も集積し、土地の権利関係が複雑で地権者との合意形成に時間がかかったためだ。

 再開発が本格的に動き出したのは2000年代に入ってからで、旧東急百貨店日本橋店がコレド日本橋として生まれ変わったのが2004年。それまでの日本橋界隈は、週末になると閑散とした寂しい街並みだったことは否定できない。

 翌2005年に前述の日本橋三井タワーが竣工し、2010年にコレド室町、2014年にコレド室町の2&3が完成している。このほか、今秋には郄島屋日本橋店に隣接する高層ビルが竣工するほか、日本橋三井タワーの隣接地などでも開発が進み、三井不動産はルーツで牙城でもある日本橋での賑わいを大幅に向上させ、面展開を完成させつつある。

 一方で、冒頭で触れた日比谷エリアは、三井不動産にとって“第2のルーツ”ともいうべき、ゆかりの深い土地だ。当地にはかつて、「三井有楽町集会所」と呼ばれた大屋敷があり、この集会所は三井財閥のグループ経営会議、あるいは方針を打ち合わせる場所として活用されていた。また、国賓や外交官をもてなすために明治政府がつくった社交場、「鹿鳴館」も当地にあった。

 その後、三井集会所の跡地に建ったのが三信ビル(1930年竣工)と日比谷三井ビル(1960年竣工)。特に日比谷三井ビルは完成当時、東洋一のビルと言われ、4年後には東京五輪が開催されている。

 今回竣工したミッドタウン日比谷も、2年後の夏には再び東京五輪を迎えることになるが、同ビルは地上35階、地下4階、高さは192mで、丸の内の新丸ビルや八重洲のグラントウキョウのビルに匹敵する大きさ。隣接する銀座が景観上、高層ビルが建てられないエリアになっているだけに、ミッドタウン日比谷の威容は際立っているのだ。

 それでも威圧感をあまり感じないのは、大抵の大型高層ビルがスクエアな箱型なのに対し、ミッドタウン日比谷は“曲線美”を意識した外観デザインになっているから。三井不動産では、「丸の内のイメージが男性だとすれば、日比谷は宝塚や日生劇場などがある、女性の柔らかいイメージの街。さらに、かつて社交場の鹿鳴館があった歴史を踏まえ、男女がダンスをしている姿を着想し、デザインコンセプトを“ダンシングタワー”にした」と言う。

 同社は多くの商業テナントが入り、都心では最大級のシネマコンプレックスも入居、オフィスフロアでは大手企業の旭化成の本社移転が決まっているミッドタウン日比谷に、大丸有(大手町、丸の内、有楽町の総称)エリアも含めた、大きな人の回遊性の実現をもくろんでいる。その理由は、これまでの日比谷は周辺エリアと“分断”されていたことにもあった。

 大丸有エリアとは晴海通りで分断され、銀座とはJRの高架で分断。眼前の日比谷公園も日比谷通りで分断といった具合だ。回遊性を考えると、日比谷はこうした周辺エリアとの連続性の薄さが弱点だったのである。映画や演劇に代表される日比谷という街の独自性を強めつつ、周辺エリアからの導線、相互送客性も高めることが課題だった。

 もう1点、三井不動産という企業単位で見ると、隣りの銀座エリアでも交殉ビル、ギンザコマツビル、銀座並木通りビル、柳通りビルなど都心型の商業施設を数多く運営し、昨年は、かつて銀座日航ホテルがあった土地で、グループのホテル会社が賃借し、ホテル運営を行ってはいる。

 だが、三井不動産は業界最大手であることを考えると、物足りなさ感が残ってしまう。実際、ここ1、2年は同じ銀座で、旧銀座東芝ビル跡地に「東急プラザ銀座」を開業させた東急不動産、旧銀座松坂屋跡地に建つ「GINZA SIX」でコーディネート役を担った森ビルに比べ、話題性で劣後してきた。

 そこへ今回のミッドタウン日比谷の完成で、銀座隣接地とはいえ、ようやく三井不動産の存在感を示す時が来たと考えているだろう。旧防衛庁跡地に「東京ミッドタウン赤坂」が竣工したのが10年強前の2007年。2003年に先行して開業した、森ビルが手がける六本木ヒルズとの相乗効果を発揮したように、ミッドタウン日比谷も銀座エリアを巻き込んだ集客を狙う。

 だが、三井不動産の日比谷における野心は、中長期的に見ればミッドタウン日比谷にとどまらない。日本橋と同じような面展開も視野に入れての再開発だからだ。

 ミッドタウン赤坂が竣工した2007年、三井不動産は同じ日比谷エリアにある帝国ホテルの株式33.1%を862億円で取得した。拒否権が発動できる33.4%までは持てなかったが、現在も圧倒的な筆頭株主で、2007年当時の会見で三井不動産の岩沙弘道社長(当時。現会長)は、今回のミッドタウン日比谷の構想と同時に、広域の再開発構想があることも明かしていたものだ。

 前述の三信ビルの解体が始まったのが同じ2007年で、ミッドタウン日比谷は10年の歳月を経て、ようやく完成したことになる。そうした時間軸の長さを考えると、帝国ホテルにおける再開発構想も長期的なものにならざるを得ない。

 帝国ホテルと三井不動産はお互いに再開発の観点から幹部同士で勉強会は重ねてはいるが、東京五輪時は帝国ホテルは現状のまま運営し、再開発は五輪後に何かしら具体化してくるかもしれない。まずはミッドタウン日比谷の開業後、帝国ホテルが回遊者の取り込み効果をどれだけ得られるかが焦点で、そのシナジーが高ければ、勉強会での議論も急速に発展していくのではないか。

 しかも、来春には帝国ホテルのライバルであるホテルオークラが、虎ノ門のホテルオークラ東京の本館建て替えを完工し、ツインタワーを擁して東京五輪を迎えることになるだけに、帝国ホテルの首脳陣も内心は、それほど安閑としてはいられないはずだ。

 さらに、その帝国ホテルの将来の再開発を占ううえで、業界関係者が注目する出来事が最近もあった。

 同ホテルに隣接する、「NBF日比谷ビル」(旧大和生命ビル)である。同ビルにはマツダの東京本社などが入っており、ビルの頭文字であるNBFとは日本ビルファンドのこと。日本ビルファンドは三井不動産系の不動産投資信託(REIT)なのだが、昨年末、このビルを三井不動産が640億円で取得している。ビル取得によって、三井不動産は少なくても、隣りの帝国ホテルを含んだ大型再開発という点で、イニシアティブを握ったことになる。

 ミッドタウン日比谷は、帝国ホテルとは逆の隣接地に東宝ツインビル、それに今治造船が所有する日比谷マリンビルがあり、NBF日比谷ビルの隣接地には、NTT日比谷ビル、さらに東京電力ホールディングスの本社ビル、みずほ銀行内幸町本部ビル(旧第一勧業銀行のビル)などが並んでいる。

 三井不動産にしてみれば、日比谷から内幸町にかけてのこのエリアを、地権者の協力も仰ぎながら面展開で一大再開発することこそがゴール目標のはず。そうなれば、名実ともに日比谷は日本橋に次ぐ、「第2の三井村」になる。今回のミッドタウン日比谷はまだ、その序章に過ぎないといえそうだ。